映画「午後の曳航」
- 2014/08/22
- 17:09
たまには一般映画の母子相姦でも、と。
知る人ぞ知る三島由紀夫原作「午後の曳航」を1976年イギリスが映画化した作品です。
という訳で役者も向こうの方ばかりだし、イギリス映画って事であんまり見知った名前はない印象です(私が知らないだけで、すごくメジャーって可能性もありますが…)。
昔はこうして日本の小説を原作とした海外映画というのが見られましたが、最近はゲーム・漫画原作ばかりで、その出来も「………」という感じで閉口気味です。
その点こちらは原作同様シリアスで一応名作という評価も得ながら、ややエロティックなシーンもあります。
私のようなボンクラには三島作品の深淵さなどは理解出来ませんので一映画として楽しむのみですが、単体として見ると現在にも通じる少年犯罪的な香りもあって、意外にマッチしているようにも感じました。
とりあえず物語の紹介。
とある英国の港町。
洋装服飾店を営む母親アンと二人きりの母子家庭で暮らす少年にはとある秘密があった。
毎晩母親が寝静まってからそっと家を抜け出すと、近所の子供達が集まる倉庫で「秘密結社」の会合に出席する事が彼らのもう一つの日常だった。
「秘密結社」は首領(といっても13歳の少年)と数名で構成されていて、互いを名前で無く番号で呼び合う決まりになっている。
子供達の他愛もない秘密基地ごっこの延長線上のようでいながら首領は少年ながら独特の世界観と思想を持っており、厳粛な掟を結社の少年達にも課していた。
大人達はほぼみな堕落しておりその堕落した大人達の作り上げた「まやかしのような」世界を軽蔑している事、そういった首領の思想に結社の少年達は少なからず感化されていた。
ある夜、首領の持ってきたポルノ本を回し読みしていた彼らは奇声を発したり高揚したりしていたが、首領はそんなものに惑わされてはいけない事を重ねて結社の少年達に言い含めた。
彼らの閉鎖的で硬直化した思想は首領を発信元として、狭い少年達の世界にとっては大きな規範であり、モラルであり、法律にさえなっていった。
ある夜、結社へ出掛けようとしていた少年はついに母親に見つかってしまい、怒った母親によって夜の間ドアに鍵をかけられてしまうようになった。
少年はその仕打ちに反抗し、部屋中を荒らし、机や棚の引き出しをぶちまけた。
その時、彼は隣の母親の部屋を覗ける小さな穴を発見する。
何も考えないまま覗いてみると、アンは息子が覗いている事に気付かないまま、独り身で女盛りの躰を自ら慰めていた。
ある日、港に大きな船が入ってきた。
少年は母親に頼んでその船の見学に連れて行ってもらうと、小さな港町には似つかわしくないほど大きな船から降りてきた男達の中に「理想の男」を少年は見つけた。
しかし、皮肉な事に少年にとって「理想の男」は母親アンにとっても「魅力的な男」でもあった。
母子を連れて船の中を案内した男はジムといい、二等航海士をしているという。
アンは船を案内してくれたお礼に、といってジムを食事に誘った。
レストランで二人は互いの境遇を語り合う。
アンは何年も前に夫を亡くしている事、この土地を気に入っている事を話した。そしてジムもまたアメリカ生まれながら海のない土地で生まれ育ったため、憧れに近い感情から船上の暮らしを始めた事、そして海の上にこそ「栄光の瞬間」があるように思える事を語る。
二人がレストランで語り合った夜、少年は自室から覗き見た母親の部屋でジムに抱かれるアンを見た。
美しく熟したアンの柔らかな肉体と逞しいジムの肉体が絡みあう様子に少年は圧倒された。
翌日、少年は結社の仲間と一緒に居る時にジムと出会った。
少年とジムは海岸を散歩しながら海や船の話をした。
昨夜ジムが少年の母親であるアンを抱いていた事はもちろん話題に出なかった。
少年にとって、ジムとの対話は満足のいくものだった。
だからこそ、少年にとってジムは堕落した大人でなく、「理想的な男」になったのだろう。
そして再びジムは海に戻っていった。
海に戻る前夜、ジムとアンは少年を家に置き去りにしてホテルで一夜を過ごした事は少年の心に痛みを与えたが、少年にとってジムは最初から最後まで逞しい「理想的な男」であった事に満足した。
少年にとって「理想的な男」とは堕落した様子を一切見せず、逞しさと雄雄しさ、爽やかさのみを残して日常から海の上に戻っていく男と規定していた。
つまり少年はジムが戻ってくる事などもう無いと思っていた。
だからこそ、少年は自分の母親が船乗りに抱かれる事に胸の痛みを覚えても堪える事が出来たのかもしれない。
しかし、その後の生活は少年にとって予想外だった。
アンは海に去っていったはずのジムからやってくる手紙を何度も読み返し、まるで女としての喜びを思い出したかのように華やいだ雰囲気を取り戻していた。
首領の言葉も少年を追いつめた。
「どうせジムは戻ってくる。そして、お前の母親と結婚しようとするだろう」と。
少年は初めて首領に反抗するが、しかし、現実はその通りになった。
ジムは帰ってきてしまったのだ。
少年はジムに日常を生きて欲しくなかったからこそ、これは許せない事だった。
いつ海に帰るつもりか少年がジムに訪ねると「数日滞在するつもり」だという。
その答えによって余計に少年はジムに失望を覚えてしまった。
一方母のアンは恋人の帰還に大喜びし、まだ明るい時間だというのにテーブルの下で愛撫を交わしあうほどだった。
いつかアンに語ったような海の上に「栄光の瞬間」はない、とジムは考えるようになっていた。
現実を見るようになったジムは不安定で決して楽でもない船乗りを止めようとアンに結婚を申し込む。
アンにとっても新しい夫を心身ともに望んでいた。
二人は互いの気持ちが同じである事を喜んでいたが、少年に結婚の話をする時はさすがに気を使わざるを得なかった。
極力傷つけないように結婚の話を少年に切り出した時、少年は自分が全てから裏切られたように思った。
しかし、その不満は口には出さずに「おめでとう」と二人の結婚を祝した。
身近な大人である二人に裏切られた少年の心はズタズタだった。
堕落した大人の世界にはやはり「英雄的な理想の男」などいなかったのだ。
しかし、そんな頃に更に歪みを増していく出来事があった。
ある日、覗き穴から少年が覗いている事にアンがついに気付いてしまったのだ。
アンはひどく怒り、少年の頬を叩いた。
それだけでも少年には大変屈辱的な感情を感じさせたろう。
しかし、もっとひどかったのはジムの態度だった。
少年を気の毒に思ったのか、新しい父親として気を使ったのか、ジムはアンに取りなしてその場を収めた。
少年にとってはそんなジムの態度は堕落している偽善的な大人の典型のように映り、彼に決定的な結論を与えた。
そこまできて少年は首領と結社の仲間達に相談した。
少年に同情的だった首領は仲間達に指示を出す。
「ジムを抹殺するために」、そのための睡眠薬と手術道具を用意する事を。
少年は海の話を聞きたいとジムを呼び出して、港の見える岬に出掛けた。
ジムは何の疑いもなく勧められるままに睡眠薬入りの紅茶を飲みながら海の話を始めた。
やがて言葉を失っていくジムの周囲に少年達は様子を窺いながら集まってきて…そしてスタッフロールが流れ始めて物語は幕を閉じます。
今回ちょっと詳細にあらすじを書きましたが、一言でいえば母子家庭の少年→母親の自慰目撃→母親寝取られ→復讐という感じでしょうか。
心象的な描写の多い三島作品を映像化して原作の表現や流れをなぞる事は極めて困難です。
首領が少年達に説いていた世界観、少年がジムに抱いていた理想像とその裏切りへの失望、三島的思想を描かれても現代人にはなかなか理解しがたい事も多いのですが、本作は少年が主人公である事もあって、少年達数名の小さな世界ではそこでしか通用しないルールやモラルが支配している状況というのは理解がしやすくなります。
少年による殺人罪なら重くは罰されない、という事を子供達が理解している事も現代の少年犯罪に通じる問題でもあります。
三島作品への理解や文学的見地は置いといて母子相姦作品としては母親の自慰と寝取られを息子が目撃するシーンが入っている、という二点を押さえておけばとりあえず良いかと思いますが、それだけで見る価値があるかというと微妙です。
母親役のサラ・マイルズは美人だけど、何しろ複雑な心理を描く事が主眼なのでエロは強調されていないんですよね。
とはいえ、機会があれば一度見てみても良いのではないでしょうか。
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知る人ぞ知る三島由紀夫原作「午後の曳航」を1976年イギリスが映画化した作品です。
という訳で役者も向こうの方ばかりだし、イギリス映画って事であんまり見知った名前はない印象です(私が知らないだけで、すごくメジャーって可能性もありますが…)。
昔はこうして日本の小説を原作とした海外映画というのが見られましたが、最近はゲーム・漫画原作ばかりで、その出来も「………」という感じで閉口気味です。
その点こちらは原作同様シリアスで一応名作という評価も得ながら、ややエロティックなシーンもあります。
私のようなボンクラには三島作品の深淵さなどは理解出来ませんので一映画として楽しむのみですが、単体として見ると現在にも通じる少年犯罪的な香りもあって、意外にマッチしているようにも感じました。
とりあえず物語の紹介。
とある英国の港町。
洋装服飾店を営む母親アンと二人きりの母子家庭で暮らす少年にはとある秘密があった。
毎晩母親が寝静まってからそっと家を抜け出すと、近所の子供達が集まる倉庫で「秘密結社」の会合に出席する事が彼らのもう一つの日常だった。
「秘密結社」は首領(といっても13歳の少年)と数名で構成されていて、互いを名前で無く番号で呼び合う決まりになっている。
子供達の他愛もない秘密基地ごっこの延長線上のようでいながら首領は少年ながら独特の世界観と思想を持っており、厳粛な掟を結社の少年達にも課していた。
大人達はほぼみな堕落しておりその堕落した大人達の作り上げた「まやかしのような」世界を軽蔑している事、そういった首領の思想に結社の少年達は少なからず感化されていた。
ある夜、首領の持ってきたポルノ本を回し読みしていた彼らは奇声を発したり高揚したりしていたが、首領はそんなものに惑わされてはいけない事を重ねて結社の少年達に言い含めた。
彼らの閉鎖的で硬直化した思想は首領を発信元として、狭い少年達の世界にとっては大きな規範であり、モラルであり、法律にさえなっていった。
ある夜、結社へ出掛けようとしていた少年はついに母親に見つかってしまい、怒った母親によって夜の間ドアに鍵をかけられてしまうようになった。
少年はその仕打ちに反抗し、部屋中を荒らし、机や棚の引き出しをぶちまけた。
その時、彼は隣の母親の部屋を覗ける小さな穴を発見する。
何も考えないまま覗いてみると、アンは息子が覗いている事に気付かないまま、独り身で女盛りの躰を自ら慰めていた。
ある日、港に大きな船が入ってきた。
少年は母親に頼んでその船の見学に連れて行ってもらうと、小さな港町には似つかわしくないほど大きな船から降りてきた男達の中に「理想の男」を少年は見つけた。
しかし、皮肉な事に少年にとって「理想の男」は母親アンにとっても「魅力的な男」でもあった。
母子を連れて船の中を案内した男はジムといい、二等航海士をしているという。
アンは船を案内してくれたお礼に、といってジムを食事に誘った。
レストランで二人は互いの境遇を語り合う。
アンは何年も前に夫を亡くしている事、この土地を気に入っている事を話した。そしてジムもまたアメリカ生まれながら海のない土地で生まれ育ったため、憧れに近い感情から船上の暮らしを始めた事、そして海の上にこそ「栄光の瞬間」があるように思える事を語る。
二人がレストランで語り合った夜、少年は自室から覗き見た母親の部屋でジムに抱かれるアンを見た。
美しく熟したアンの柔らかな肉体と逞しいジムの肉体が絡みあう様子に少年は圧倒された。
翌日、少年は結社の仲間と一緒に居る時にジムと出会った。
少年とジムは海岸を散歩しながら海や船の話をした。
昨夜ジムが少年の母親であるアンを抱いていた事はもちろん話題に出なかった。
少年にとって、ジムとの対話は満足のいくものだった。
だからこそ、少年にとってジムは堕落した大人でなく、「理想的な男」になったのだろう。
そして再びジムは海に戻っていった。
海に戻る前夜、ジムとアンは少年を家に置き去りにしてホテルで一夜を過ごした事は少年の心に痛みを与えたが、少年にとってジムは最初から最後まで逞しい「理想的な男」であった事に満足した。
少年にとって「理想的な男」とは堕落した様子を一切見せず、逞しさと雄雄しさ、爽やかさのみを残して日常から海の上に戻っていく男と規定していた。
つまり少年はジムが戻ってくる事などもう無いと思っていた。
だからこそ、少年は自分の母親が船乗りに抱かれる事に胸の痛みを覚えても堪える事が出来たのかもしれない。
しかし、その後の生活は少年にとって予想外だった。
アンは海に去っていったはずのジムからやってくる手紙を何度も読み返し、まるで女としての喜びを思い出したかのように華やいだ雰囲気を取り戻していた。
首領の言葉も少年を追いつめた。
「どうせジムは戻ってくる。そして、お前の母親と結婚しようとするだろう」と。
少年は初めて首領に反抗するが、しかし、現実はその通りになった。
ジムは帰ってきてしまったのだ。
少年はジムに日常を生きて欲しくなかったからこそ、これは許せない事だった。
いつ海に帰るつもりか少年がジムに訪ねると「数日滞在するつもり」だという。
その答えによって余計に少年はジムに失望を覚えてしまった。
一方母のアンは恋人の帰還に大喜びし、まだ明るい時間だというのにテーブルの下で愛撫を交わしあうほどだった。
いつかアンに語ったような海の上に「栄光の瞬間」はない、とジムは考えるようになっていた。
現実を見るようになったジムは不安定で決して楽でもない船乗りを止めようとアンに結婚を申し込む。
アンにとっても新しい夫を心身ともに望んでいた。
二人は互いの気持ちが同じである事を喜んでいたが、少年に結婚の話をする時はさすがに気を使わざるを得なかった。
極力傷つけないように結婚の話を少年に切り出した時、少年は自分が全てから裏切られたように思った。
しかし、その不満は口には出さずに「おめでとう」と二人の結婚を祝した。
身近な大人である二人に裏切られた少年の心はズタズタだった。
堕落した大人の世界にはやはり「英雄的な理想の男」などいなかったのだ。
しかし、そんな頃に更に歪みを増していく出来事があった。
ある日、覗き穴から少年が覗いている事にアンがついに気付いてしまったのだ。
アンはひどく怒り、少年の頬を叩いた。
それだけでも少年には大変屈辱的な感情を感じさせたろう。
しかし、もっとひどかったのはジムの態度だった。
少年を気の毒に思ったのか、新しい父親として気を使ったのか、ジムはアンに取りなしてその場を収めた。
少年にとってはそんなジムの態度は堕落している偽善的な大人の典型のように映り、彼に決定的な結論を与えた。
そこまできて少年は首領と結社の仲間達に相談した。
少年に同情的だった首領は仲間達に指示を出す。
「ジムを抹殺するために」、そのための睡眠薬と手術道具を用意する事を。
少年は海の話を聞きたいとジムを呼び出して、港の見える岬に出掛けた。
ジムは何の疑いもなく勧められるままに睡眠薬入りの紅茶を飲みながら海の話を始めた。
やがて言葉を失っていくジムの周囲に少年達は様子を窺いながら集まってきて…そしてスタッフロールが流れ始めて物語は幕を閉じます。
今回ちょっと詳細にあらすじを書きましたが、一言でいえば母子家庭の少年→母親の自慰目撃→母親寝取られ→復讐という感じでしょうか。
心象的な描写の多い三島作品を映像化して原作の表現や流れをなぞる事は極めて困難です。
首領が少年達に説いていた世界観、少年がジムに抱いていた理想像とその裏切りへの失望、三島的思想を描かれても現代人にはなかなか理解しがたい事も多いのですが、本作は少年が主人公である事もあって、少年達数名の小さな世界ではそこでしか通用しないルールやモラルが支配している状況というのは理解がしやすくなります。
少年による殺人罪なら重くは罰されない、という事を子供達が理解している事も現代の少年犯罪に通じる問題でもあります。
三島作品への理解や文学的見地は置いといて母子相姦作品としては母親の自慰と寝取られを息子が目撃するシーンが入っている、という二点を押さえておけばとりあえず良いかと思いますが、それだけで見る価値があるかというと微妙です。
母親役のサラ・マイルズは美人だけど、何しろ複雑な心理を描く事が主眼なのでエロは強調されていないんですよね。
とはいえ、機会があれば一度見てみても良いのではないでしょうか。
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