小説 「世界はこんなにも」
- 2016/12/15
- 21:49
いよいよ2016年も年の瀬ですね。
これをあなたが読まれる頃、私は神室町で荒くれ者との戦いを終える頃のはずです。
まぁ、そんな事は置いといて。
小説「世界はこんなにも」です。
以前、「少年と熟女」というサイトに投稿して掲載していただいていた私が書いて発表した中で唯一母子相姦が含まれない小説です。
その投稿先サイトの名前からわかる通り、熟女と少年の恋愛小説のつもりで書きました。
「少年と熟女」は管理人のcelisさんの小説のみのサイトに移転してしまった(リンク先にあります)ため、今回改めてこちらで載せてみようと思いました。
私自身、celisさんには並々ならぬ感謝と尊敬の念を抱いてますので、本作はかなり気合を入れてサイト「少年と熟女」に捧げるつもりで書いた記憶があります。
本当に久しぶりに自分で読み返してみて、(特に序盤は)もどかしい部分や冗長な部分もあるのですが、中盤以降我ながらジンと感じ入る部分もあったりして、その時何に影響を受けてたかとか思い出したりしました。
かなり独特の文体(多分童話のピーターパンっぽいのにしたかった。それと小説版のマザーの影響も受けてると思います)で、いわゆるライトなオバショタモノでなく、割と真剣にリアルっぽく熟女と少年の恋愛模様を描いてみたつもりです。
あ、ちなみに全七話なのですが、小分けにしてもどうかと思い、一気に掲載します。
「」付きで主題の「世界はこんなにも」の後に書かれてるのが本来の1話ごとのサブタイトルになります。
なお、エッチな部分は第一話と第六話がほとんどです。
第一話「春」
第二話「相合傘」
第三話「summer vacation」
第四話「花火」
第五話「一人ぼっちの二人」
第六話「power of love」
第七話「ポケットが虹でいっぱい」
サブタイトルに故坂本九の曲名や故プレスリーの曲名からの引用もあったりと、気負ってますね(「ポケットが虹でいっぱい」は某アニメの劇場版のサブタイトルでもあったようですが、大元はプレスリーですよ。)
ちなみに「相合傘」は当時ネットで大ヒットしていた初音ミクの曲「メルト」の中でそういうシーンがあったからつい引用しました。
そして「花火」は北野武監督作品から、と思わせておいて、ゲーム「街」の章名からの引用で、「power of love」は前田日明のリングス時代の自伝「power of dream」のパロディです。
(誰が分かるんだ、そんな事)。
母子相姦は含まれていないのですが、かなり気合と心を込めて書いたものです。
よろしければどうぞ。
これをあなたが読まれる頃、私は神室町で荒くれ者との戦いを終える頃のはずです。
まぁ、そんな事は置いといて。
小説「世界はこんなにも」です。
以前、「少年と熟女」というサイトに投稿して掲載していただいていた私が書いて発表した中で唯一母子相姦が含まれない小説です。
その投稿先サイトの名前からわかる通り、熟女と少年の恋愛小説のつもりで書きました。
「少年と熟女」は管理人のcelisさんの小説のみのサイトに移転してしまった(リンク先にあります)ため、今回改めてこちらで載せてみようと思いました。
私自身、celisさんには並々ならぬ感謝と尊敬の念を抱いてますので、本作はかなり気合を入れてサイト「少年と熟女」に捧げるつもりで書いた記憶があります。
本当に久しぶりに自分で読み返してみて、(特に序盤は)もどかしい部分や冗長な部分もあるのですが、中盤以降我ながらジンと感じ入る部分もあったりして、その時何に影響を受けてたかとか思い出したりしました。
かなり独特の文体(多分童話のピーターパンっぽいのにしたかった。それと小説版のマザーの影響も受けてると思います)で、いわゆるライトなオバショタモノでなく、割と真剣にリアルっぽく熟女と少年の恋愛模様を描いてみたつもりです。
あ、ちなみに全七話なのですが、小分けにしてもどうかと思い、一気に掲載します。
「」付きで主題の「世界はこんなにも」の後に書かれてるのが本来の1話ごとのサブタイトルになります。
なお、エッチな部分は第一話と第六話がほとんどです。
第一話「春」
第二話「相合傘」
第三話「summer vacation」
第四話「花火」
第五話「一人ぼっちの二人」
第六話「power of love」
第七話「ポケットが虹でいっぱい」
サブタイトルに故坂本九の曲名や故プレスリーの曲名からの引用もあったりと、気負ってますね(「ポケットが虹でいっぱい」は某アニメの劇場版のサブタイトルでもあったようですが、大元はプレスリーですよ。)
ちなみに「相合傘」は当時ネットで大ヒットしていた初音ミクの曲「メルト」の中でそういうシーンがあったからつい引用しました。
そして「花火」は北野武監督作品から、と思わせておいて、ゲーム「街」の章名からの引用で、「power of love」は前田日明のリングス時代の自伝「power of dream」のパロディです。
(誰が分かるんだ、そんな事)。
母子相姦は含まれていないのですが、かなり気合と心を込めて書いたものです。
よろしければどうぞ。
「世界はこんなにも 春」
それはある五月のよく晴れた日の事でした。
いつものように憲太が家を出て学校に向かう途中のことです。
毎朝通学路の途中にあるその家の前の通るとよく吠えてくる犬がいました。
その犬は人間みたいな名前ですけど、コージという名前です。
飼い犬ですし、吠えるだけで噛まないのでよっぽど大丈夫です。
とはいえ興奮した様子のその犬は子供にはちょっと怖く感じますし、低学年の子は怖がってしまい、集団下校の時は憲太が付き添って回り道をするくらいでした。
しかしその日に限ってはまったく何の物音もしなかったのです。
不思議に思い、憲太が生垣の隙間からそっと覗きこんでみるとそこにはおばさんがしゃがみこんでいました。
そのおばさんは憲太も知っている人で、憲太の母憲子とは一緒にたまに喫茶店にも行く仲なのです。
名字は知らないけど、憲太の母は美帆さんと呼んでいます。
美帆さんは若くして旦那さんを亡くしている事もあってか、たまに家に来る事もあったので、憲太も会えば挨拶くらいはしています。
美帆さんの飼っている犬のコージという名前もその亡くなった旦那さんが関係しているということをちらっと聞いたことがありました。
「あ、おばさん」
「あら、憲ちゃん」
そう言っておばさんは立ち上がりました。
「どうしたの?」
「ううん、犬が鳴かないからいないのかなって…」
よくよく見るとおばさんは犬小屋を覗きこんでいるのでした。
その奥は薄暗くて良く見えないのですが、たしかにいつもよく吠えてくるあの大きな柴犬でした。
「あぁ、この子は今朝からちょっと具合が悪いのよ。普段はこんなじゃないんだけどねぇ…ご飯も食べなくて」
「そっかぁ…」
普段は通るだけでうるさく吠えてくる存在だったけど、いなければいないで寂しいものなんです。
不思議ですね。
「憲ちゃんは学校に行かなくていいの?」
「あぁ…うん。行ってきます」
そう言って憲太はいつものように学校に向かいました。
最上級の憲太にとって、朝は低学年のチビ達を引率する役目があるのです。
いくら犬が心配だからといって、遅くなってはみんなに迷惑をかけてしまいます。
そんな憲太の役割を分かっている美帆さんはその背中をニコニコと微笑んで見送るのでした。
時は流れて夕暮れ時です。
よく晴れた日で、5月だと言うのにちょっと歩くと少しだけ汗をかいてしまいそうな日です。
パートの仕事を終えて午後4時頃に美帆さんが帰ってくると庭に小さな訪問者が来ていることに気付きました。
見覚えのある小さな背中。
「あら…来てたの?」
「あ…うん。食べるかなって。パン…」
見てみるとそれは小さく千切った食パンでした。
給食で出たのでしょうか。
それとも一度帰って家から持ってきてくれたのでしょうか。
美帆さんはそういうものをコージは食べないとわかっていました。
よく吠えるコージは粗野なようで、美帆さんが作ったもの以外はなかなか食べてくれないのです。
しかし憲太の優しい気持ちが嬉しかったのでそれは言わない事にしました。
憲太は今どきの子供らしくちょっと物静かでしたが、素直で美帆さんは良い印象を持っていました。
美帆さんの亡くなった旦那さんと少しだけ似ている優しい眼差しを憲太に感じ取っていたのかもしれません。
その優しい眼差しが錯覚ではなかったとコージを心配してくれている憲太の様子を見ていると再確認できて何だか嬉しくなってきました。
「多分お腹を壊しているんじゃないかな?…ご飯食べられないんだし…」
「そうかしらね。特に変なものは食べていないと思うのだけど…」
心配そうにコージを見つめている憲太を見て美帆さんはふと思いつきを口にしました。
「あ、そうだ。せっかく来たんだからお菓子でも食べていく?」
「えっ…でも…」
「お母さんには私からメールしておくから。ね?」
「う、うん…」
美帆さんの家に初めて憲太は上がりこみました。
「おじゃまします」
一応靴を脱ぐときにそう言いましたが、この家には美帆さんしかいないと気付くと憲太は何だか自分がひどく子供っぽく思えました。
案内されたのは良く片づけられた洋風の部屋です。
綺麗なソファにガラステーブル。
ソファはふかふかですし、美帆さんが出してくれたジュースのグラスもなんだかワインを入れるようなオシャレな形をしています。
どうも憲太の家のような雑多な感じが全然ありません。
(憲太の母である憲子さんの名誉のためにいっておきますが、憲子は憲太や憲太の弟など子供がいるからこうした壊されそうな豪奢な家具は使わなくなったのですよ。)
ストローの通されたジュースを飲んでいる憲太を美帆さんはニコニコして見つめています。
この小さな訪問者と二人きりで午後のお茶をしている事がなんだか可笑しくて仕方ないのでしょうか。
風はやさしく、あくまでも穏やかです。
一方憲太は大人の女性と二人きりになることが何だか気恥ずかしくて仕方ありませんでした。
憲太の母憲子も同級生の中ではなかなかの美人だと言われてますが、美帆さんはちょっと雰囲気が違います。
独身で子供がいない、という事もあってかおばさんと呼んでいながらも、どうもおばさんっぽさがないのです。
ふと憲太は美帆さんを見ました。
憲子よりも細身ですが、それでいて出るとこは出ていて、また引っ込むところは引っ込んでいます。
(これも憲太の母である憲子さんの名誉のためにいっておきますが、憲太を含めて2人の出産を経た彼女にとっては自身の体型維持よりも育児に力を注がねばいけないのですよ)
(あっ…)
憲太は一瞬どきっとしてしまいました。
美帆さんの穿いているスカートの隙間から白いものがちらっと覗いてしまったのです。
幼い憲太はチラリズムの美学などというものにはまったく縁がないでしょうから、動揺ははっきりと出てしまいました。
「どうしたの?慌てなくていいのよ?」
優しく包み込むような美帆さんの声。
慌てて憲太は目線を反らしましたが、動揺は収まりませんでした。
鼓動が早くなり、その鼓動に誘われるようについまた見たくなる衝動に駆られるのです。
憲太は母憲子が愛情をたくさん注いで育てた優しい良い子ですが、かといって男の子である事に代わりはありません。
憲太だって衝動には襲われるし、時にその衝動に負けてしまうのです。
再びちらりと視線を送ってしまうと、やはり美帆さんのスカートの隙間から白い三角地帯が覗けていました。
まあ、憲太も高学年にもなりますからそんな衝動は健全極まりないものですね。
(もしかして…)
ふと思い当った美帆さんは足を組みかえると、それに合わせたように憲太も目線を逸らしたり、そっと送ってきたりします。
(やっぱり…もうっ!)
「ふふっ…憲ちゃんももうそんな年頃なのね」
ちょっと残酷な仕打ちをしてみる美帆さん。
自分の下着を覗いていることに気付いた美帆さんは少年を泳がせる事もなく、すぐにすくいあげてしまいました。
覗いてる事を指摘されると驚いたような表情で顔を伏せる憲太。
「もう…エッチね。お母さんに言いつけちゃおうかしら」
追い打ちをかけるように言葉を続ける美帆さん。
今頃は憲太の小さな胸の中いっぱいに、きっと少年特有の自己嫌悪に襲われているのでしょう。
ちょっと可哀想ですが、美帆さんだって子供だと思っていた憲太に下着を覗かれている事に気付かれた時は驚いたし恥ずかしい!と思ったのです。
これも憲太が大人になるにあたって通らなくてはいけない道でしょうね、きっと。
とはいえ美帆さんはそんな健全極まりない衝動にそうですか、と言ってくれるほど少年の性衝動に寛容ではないのです。
「ごめんなさいね。意地悪しちゃったわね」
数分間の無言の圧力にさすがにやりすぎたかと美帆さんも反省しました。
憲太は涙目になってしまっています。
少年の柔らかい心にはこの数分間の痛みは大変なものだったのでしょう。
この辺は子供を育てた事のない美帆さんには分かりにくいさじ加減だったのです。
「私も憲ちゃんが下着見てるなんて思わなかったから、驚いちゃったの。ね、いいのよ」
そう言っても憲太はまだ顔を伏せたまま美帆さんに向こうとはしませんでした。
「女の人に興味がある年頃だもんね。だからいいのよ?ほら…顔を上げて…」
ゆっくり美帆さんを見上げる憲太。
目は少し赤く腫れていて、ちょっとだけ可哀想になってしまいます。
「あぁ…泣かないで…ほら、…ごめんねぇ」
謝られれば謝られるほど、憲太は何だか申し訳なくなり、この場からいなくなってしまいたい気持ちになります。
謝られるのは少年にとって自尊心を傷つけられることなのです。
結局泣きだしてしまった憲太を泣きやませるために気付けば美帆さんに抱きしめられていました。
どちらかといえば小柄な憲太にとってどちらかといえば背の高い美帆さんは頭二つ分は高いため、それこそ卵を抱きしめるように美帆さんの腕の中で包みこまれるようでした。
美帆さんにとっては泣きやませるためだけのちょっとした行動だったのですが、憲太には刺激の強すぎる行為だったのでしょう。
「あっ……………」
憲太と美帆さんの二人の呟きは重なるようでした。
憲太が美帆さんの匂いと柔らかさ、温かさを感じる内にごく自然にペニスは硬く膨らみ始めました。
未成熟なペニスは熱く震えるほどに昂り、半ズボンの前を突き破るほど勃起するとすぐに美帆さんの太股の辺りにぶつかり弾力を持ってその存在をアピールしだしました。
高学年にもなればもちろん珍しい事ではありません。
憲太も他の同級生と同じように自慰を覚えたての頃ですから、なおさらでしょう。
しかし憲太は美帆さんの前でそうなってしまった事がショックでした。
綺麗な優しい美帆さんに嫌われてしまうのではないか…そうよぎると憲太にはどうすることも出来ませんでした。
「私びっくりしちゃった…憲ちゃんがこんななるなんて…まだ小さいと思ってたのにね」
美帆さんの声も知らずに上ずっていましたが、そんなことは憲太には分かるはずもなかったでしょうね。
そのまま抱きしめるほど、ビクンビクンと熱く脈打ち美帆の太股を火照らせます。
いかに幼いといえど、美帆さんは自分の太股にぶつかってくる熱くて堅いモノが何なのか想起しないわけにはいきませんし、想起してしまえばなかなか冷静でいる事は難しいものなのです。
「ね…憲ちゃんの見せてくれない…?」
秘密めいた言い方をする美帆さんに憲太は少しだけ怖いような印象を持ちました。
しかし返事を待たずに美帆さんは短パンのホックを緩めると白いブリーフごと下ろしてしまいました。
「わぁ…」
それはごくごく自然に出た美帆さんの感嘆の声です。
(熱い…それに硬い…)
少しだけ手に触れていた感触が美帆さんの頭の隅から離れなくなってしまいます。
美帆さんは自分で自分が怖くなるようでした。
戸惑ったような怯えたような表情で美帆さんを見つめる憲太。
それでも自分が止められなくなってしまっているのです。
「ねぇ…憲ちゃん触っていい?触らせて…ね…?いい…?」
熱っぽい美帆さんに当てられてしまったのでしょうか。
憲太が小さく頷くのを見るとすぐに美帆さんはそのペニスに手を伸ばし包むように硬さを確かめたり熱さを手のひらから感じ取ったりしました。
そして美帆さんにとってペニスと同じくらいに興味を持っている憲太の幼い精子を作りだすところにまで指を伸ばしました。
小さく縮こまっているのは委縮しているからでしょうか。
それでも美帆さんはその中でたしかに雄の証が存在している事を感じずにはいられませんでした。
子供を作れない体質だった旦那さんだったからなおさらのことでしょうか。
憲太は生まれて初めて他人から与えられる性的な快楽に震えていました。
「あっ…」
憲太が自分のそこから生まれて初めて射精した事に自分で驚きの声をあげました。
自慰をしても絶頂するだけで射精する事は今までなかったのですから。
それは本当に少年を射精に導いてしまった、という美帆さんの感嘆にも重なってました。
もっともそのことに憲太が気付くことはありませんでしたけどね。
何しろ精通により、精子で美帆さんの手の平からを汚してしまったというショックでいっぱいでしたから。
「ぅ…ごめんなさい…」
「ううん、いいの。拭けばいいんだから…大丈夫だからね」
小声で謝る憲太に、なぜか罪悪感を覚えてしまった美帆さんは急に慌てたようにティッシュで拭きとりました。
「ほら…これで大丈夫。ね?」
ズボンを上げて、乱れた憲太の髪を直してあげるとようやく憲太の瞳の涙が止まったように見えました。
そこでようやく美帆さんもほっとしました。
別に美帆さんだって決して悪い人ではないのです。
それにもし憲太とこんなことをしたのがバレたら間違いなく彼女の方がまずいわけですからね。
「お母さんには言っちゃだめよ?」
別れ際の美帆さんの秘密めいた言葉は憲太の頭の中を一週間もぐるぐると回り続けたのでした。
「世界はこんなにも 相合傘」
雨が降り止まない7月のことです。
美帆さんはいつものように仕事を終えてから買い物を済ませると、いつものように飼い犬のコージに夕飯をあげるために早めの家路に着きました。
途中ではまだ小さな黄色い傘の集団が目につきました。
美帆さんと近所の小学校の帰宅時間は似通っていますので、しばしば通学路を通る児童達が目につきます。
子供たちは水溜りを飛び越えたり、時にバシャバシャと音を立てて走ったりしています。
大人にとっては憂鬱なだけの雨でも子供たちにとってはこれも遊び場になるのですね。
美帆さんはそんな無邪気な様子に目を細めていました。
今は亡き旦那さんとの間に子供は残せませんでしたが、子供は好きでした。
それにかつては美帆さんも子供たちのように水溜りを見るとバシャバシャと男の子に交じって遊ぶような女の子だったのですからね。
(あ…)
一瞬お互いの目線が合いました。
言うまでもなく、児童の中の一人。
美帆さんだということに気付くと憲太は軽く会釈をしました。
ちょっと大人びた反応がよく躾けられてきた良い子なのを感じ取り美帆さんはにっこりと微笑みます。
美帆さんとしては何の気もなしの反応だったのですが、憲太にとっては美帆の笑顔は直視するにはあまりに照れてしまうほど綺麗なのです。
少し慌てたように憲太が目を逸らすと、美帆さんはその反応にも少年らしさを感じて嬉しくなります。
その少年は美帆さんの友人である憲子の一人息子である憲太でした。
まだ子供だと思っていた憲太も集団下校の輪の中に入ると最上級だけあって、背も高くて落ちついているように見えます。
お兄さんとして弟や妹のような低学年の子供たちが事故に合わないように目を光らせていないといけないのですからね。
ついこないだの様子を思うと、ずいぶんしっかりしているものだと感心しました。
他の子たちと別れ、憲太が一人になるのを待ってから話しかけます。
「偉いのね。小さな子達をしっかり引率して」
「…ううん。別に…そうでも」
どこか素っ気ない憲太の反応。
5月に二人で秘密の時間を過ごしてからいつも憲太はそうなのでした。
美帆さんも常識ある大人ですからあれから自分のしたことを反省し、思い出すと子供相手にあんな事をと赤くなるような思いをしたのですよ。
そして大人らしくなかったことのように接しようとしているのに…とはいえ憲太はまだまだ子供だから切り替えられなくて仕方ないことですけどね。
学校の事、勉強の事、部活の事…美帆さんが聞いて憲太が答える会話です。
雨は降り続き、二人の声はよほど近くにいない限り聞こえないくらいでしょう。
憲太のどこか素っ気ない態度が美帆さんは(美帆さんも自覚していませんが)ちょっとだけ不満でした。
(あんな秘密を共有しているというのにっ!)
憲太は美帆さんの態度に少し困っていました。
二人並んで歩いているはずなのに、美帆さんはどんどん近寄ってきます。
「相合傘…ね?」
ふと憲太が見上げると美帆さんはにこりと微笑むとそう言いました。
傍から見たら二人はきっと親子にでも見えてしまうのでしょう。
背の高さはまだ美帆さんの方が勝っていますし、いかにも落ちついた雰囲気ですからね。
憲太の母親である憲子は少し派手目な事もあって(憲子いわく息子と姉弟に見られる事が目標だそうですよ)、親子というより友達感覚で付き合う事もあるのです。
それに比べて美帆さんは憲子よりも少し年下なのに、より母親らしく落ち着いていて品の良い雰囲気があるのです。
憲太はあまりに近寄ってこられるので、自分の心臓がバクバクと破裂しそうなほど高まってることが気付かれてしまうのではないか心配でした。
でも冷たい雨でもお互いの体温が感じられるほど、寄り添っていると何とも言えない安心感に包まれます。
それは母親である憲子でも感じられないほどの。
何でこの人にはこんなに安らぎを感じるんだろう?
そしてなぜこの人を見ていると胸がどきどきするのだろう?
おそらく相手が美帆さんでなければ、憲太も自分が恋をしたと自覚するのかもしれません。
でも美帆さんと自分の年齢差を考えたら、それはないことだと思います。
美帆さんは大人で、自分は子供です。
誰もがそうだと思いますが、子供は自分がいつか大人になるという事が具体的にイメージする事は出来ないのです。
イメージ出来ない以上あまり考えても仕方ないので憲太はそこで自分で自分の思考を終わらせてしまいました。
でも…それは美帆さんも同じだったのですよ。
「世界はこんなにも summer vacation」
日本に生まれ育った少年少女にとって一番憂鬱な時期。
それは8月20日を過ぎてから10日間をおいて他ならないでしょう。
どんな楽しいことだっていつまでも続かないものですよね。
7月には永遠に続くかと思われた長い夏休みもいつかは必ず終わりが訪れます。
どんな夢見がちな子供でも世の儚さをこうして知るわけですね。
だいたい8月20日くらいを境に楽園が崩壊するカウントダウンが始まるのでしょうか。
カウントダウンが終わればもちろん一か月も休んだ代償を支払わなくてはいけません。
言うまでもなく、夏休みの宿題たちです。
きちんと毎日少しずつやってさえいればたいした事もないのですけどね。
毎日1ページ程度やっていけば終わるくらいの夏休みのワークブック。
おそらく子供達にとって一番最初に原稿用紙と出会うきっかけとなる読書感想文。
そして夏休みの宿題のメインとも言える自由研究。
膨大なようでいて、挙げてみればこれくらいなのですよ。
ちょっと遅い子供は8月20日になるまでろくにやってない子もいるでしょうし、さらにものぐさな子供は25日を過ぎるまで始めない子供もいます。
中には何もやらないまま9月1日の朝に登校する大物もいるようですね。
いえいえ、もちろん憲太は良い子ですので遅くとも8月20日までには全て終わらせているのが毎年の常なのです。
しっかりやっておかないと母親の憲子が許してくれないので遊びにも行けないし、9月の誕生日にはプレゼントがもらえなくなってしまいますからね。
しかしたとえ宿題をしっかり終えていても長い夏休みが終わる、ということはやっぱり一抹の寂しさは感じます。
毎年なんとなく寂しげに聞こえるひぐらしの鳴く頃にはどうしようもないほどの喪失感を覚えますからね。
とはいえ、今年の憲太にとって夏休みは例年よりも特別なものでありました。
それは彼にとって一生忘れられないとある事が起きたからなんです。
8月15日。
幼い憲太も遠い昔に何が起こったのかくらいは知っています。
この日はテレビでは朝から戦争の記憶を特集したドキュメントが溢れますよね。
テレビの映画さえも「火垂るの墓」など戦争をモチーフにした作品が流れますから。
8月15日は年中喧しい日本も一年間でもっとも静かな一日を迎える日です。
憲太はもちろん憲太の母である憲子もまだ生まれていなかった遠い昔、日本が戦争に敗けた日です。
憲子は両親が広島の生まれでしたので、自然とその影響を強く受けて育ちました。
そしてそれは憲子の息子である憲太にも同じことです。
そうして考え方というのは世代を超えて受け継がれていくのですね。
憲太の家は毎年お盆の時期は帰省していました。
両親とともに憲太と憲太の弟である憲人の四人家族全員で広島の憲子の実家に帰省することが毎年恒例です。
憲太の一家が暮らす新興住宅地では引越してくる家族が多いから珍しくない事ですけどね。
広島で暮らす憲子の両親はまだまだ元気です。
そして彼らも成長した孫の顔を見られるお盆を毎年心待ちにしているんですよ。
神奈川県に生まれ育った憲太にとっても広島で過ごす日々はとても新鮮で、また祖父母の話す言葉もまるで外国語のようにも思えたものです。
小さな頃から毎年行ってるのに未だに祖父母や地元の人が向こうの言葉で話していると、何を話しているのか憲太にはまるで分からないんですけどね。
「それじゃあ…お母さん達は先に行ってるからね」
「明日は朝いつまでも寝ていないこと」
「ラジオ体操には行くこと」
「庭の花には水をあげておくこと」
「お菓子の買い食いしないこと」
「夜更かししないこと」
「外出する時は家の鍵は必ずかけること…」
細々とした憲子の言葉にちょっとうんざりしながらも、まだ反抗期が始まっていない憲太は頷きます。
こうも母親から細かい事をくどくど言われたら数年後には頷きもしなくなるかもしれませんけれど、ね。
そうです。
今年はお盆の前の二晩だけ憲太は初めて一人で留守番をすることになったのでした。
というのは今年の8月15日に憲太は県の市民会館で開かれる終戦記念日の式典で作文を披露することになっていたからです。
しかし今年は17日には憲太の父の仕事が始まるため、お盆の日から出掛けてはたった二日間しか滞在できないのです。
やはり憲子の両親も年に一度の事ですから、娘の家族が二日間しか滞在できないのでは寂しがらせてしまいますものね。
そうした訳で今年に限って憲太は一人だけ遅れて出かけることになったのです。
それは今年の6月の事でした。
授業の一環で戦争をテーマに作文を書く事になったのです。
その中で憲太の書いた作文が先生の推薦を受け、コンクールに応募すると県の最優秀作品に選ばれたのです。
学校であまり目立つ機会のない憲太だっただけに、大変面映ゆい気持ちになったものです。
そして終戦記念日に県の式典で憲太が最優秀作文の作者として朗読する、という運びになったのでした。
おとなしく、目立たない子供のようでも本が好きな憲太にとって作文は決して嫌いではありませんでした。
とはいえ、良いことでも目立つのが嫌いな現代っ子らしくそうした場で朗読するのは気が重いのも事実でしたけどね。
良きにつけ悪きにつけ、出る杭は打たれるのが常ですから目立つことは現代の子供社会の中では死活問題なのです。
大人の目から見て実に窮屈で仕方ないと思いますけど…これも時の流れでしょうか。
だからこそ当日の会場はクラスメイトや後輩達もいないのが憲太にとっては救いなくらいでした。
一方憲子にとって息子がそういう賞を受賞した事が大変自慢でした。
今までこうした表彰などを受けた事がなかったからかもしれません。
もっともそんな賞なんてなくても、自分の息子である憲太のことを憲子は深く深く愛していますよ。
別に人より優れていなくても心優しく元気に育ってくれたら良い、と憲子も心から思っていましたからね。
それはどんな親だって思う事で、子供は元気で健やかに成長する事が何よりなんですよね。
とはいえ、やはり息子が人に認められる事は母親として大いに鼻が高い事なのです。
世の母親というのはたいていそうしたものでしょうね。
ですから大切な長男に二晩だけ自宅で留守番をさせることになってしまっても、そうした晴れの舞台に立って欲しいと思ったのでした。
憲太もまた母親が自分の受賞を喜んでくれているのを心の中ではとても嬉しく思っていました。
そのためあまり気が進まない式典で朗読をすることに決めたのです。
その後、式典が終わってから午後には駅から新幹線で家族の後を追うことになったのです。
8月13日の朝。
両親と弟が先に広島に出発するのを憲太は玄関で見送りました。
母親の憲子が別れ際に寂しげで心配そうな顔をしていたので、憲太も少しだけ心細くなります。
いくらわかっていたとはいえ、自分の家で一人きりになるのはなかなかないことです。
バタンとドアが閉まると、急に静まり返った家がやけに寂しく、そして怖くも感じました。
父の運転する車の音が聞こえなくなると憲太は自分の部屋に戻りました。
まるで一人暮らしのようですが、何の物音もしない家で留守番というのは置き去りにされたような気持ちにもなってしまいます。
なんとなくつまらない気持ちになった憲太はベッドに横たわると、携帯電話を取り出しました(憲太も今どきの小学生ですからね。携帯電話くらいは持たせてもらっているんです)。
それは少し時間が遡って7月の話です。
梅雨で降り続いた雨が引きよせた事なのかもしれません。
ある日の下校途中に憲太は近所に住む母の友人の美帆さんと二人で帰る事になりました。
いえいえ、それどころかふとしたことから美帆さんと相合傘で寄り添うように歩いたのですよ。
美帆さんは母憲子よりも少し若いとはいえ、それでも30をいくつか回っています。
そんな二人が一つの傘に入って歩くというのはなんとなく不思議なことのように思えるかもしれません。
しかし、それから時折下校の時に二人は一緒になることがありました。
ううん、違いますね。
憲太は美帆さんとなるべく一緒に帰れるように、美帆さんはなるべく憲太と一緒に帰れるように無意識でお互いの姿を探すようになりましたから。
もっとも無意識ですからその事を二人は自覚さえしていませんでしたけどね。
そして一学期の終業式の前日のことです。
その日も憲太は美帆さんと二人で帰る途中でした。
雨は降っていませんでしたが、美帆さんは日傘をさしていたためまた相合傘のように寄り添って歩きました。
二人で帰るのも少しずつ慣れてきていたため、初めての時と違って一方的に美帆さんが聞いて憲太が話すという事もなくなっていました。
美帆さんも少しずついろんな話を憲太にする様になっています。
あまり自分の事を話さない大人しい女性だと憲太は思っていましたので、ちょっとだけ意外に思いました。
けれど憲太からみたら美帆さんの別の一面を知って、憲太は自分だけの秘密が出来たようで少しだけ密かな優越感を覚えます。
美帆さんは山梨の出身だったため子供の頃山で遊んだ話や初恋の人の話もしてくれました。
もっとも美帆さんの初恋の人の話を聞いている時、憲太はなんとなく嫌な気持ちになりましたけれど…。
もっともその何とも言えないもやもやした気持ちの正体は憲太にはまだ分かりませんでした。
自分が今誰かに妬いているなんてそんな自覚は小学生には難しいでしょうし、美帆さんもそんな憲太の嫉妬には気付くことはありませんでしたけどね。
それでも一緒にいる時間が増えることで二人から少しずつ固さは消えていったのです。
一緒にいる間憲太も少しは美帆さんを見つめる事が出来るようになりました。
そしてすぐ隣にいる美帆さんにを感じるたびに胸が高鳴るのを何度も自覚するようになっていきました。
美帆さんもまだ幼さの残る憲太の表情と、時折見せる大人びた優しい瞳や気遣いを感じるとついつい目尻が下がってしまいます。
その日もごく自然に美帆さんの仕事の話やテレビの話、天気の話もしていました。
終業式を翌日に控えた通学路というのは実に気楽なもので、自然と足取りも軽く口も滑らかになります。
それでも憲太にとってはあまり嬉しいことばかりではありませんでした。
しばらく学校もお休みになるという事は美帆さんともしばらく逢えなくなるという事です。
それがなんとなく悲しいような気がして、ふと会話が途切れた時に憲太は黙り込んでしまいました。
その時美帆さんが急に思いついたようにバッグから携帯電話を取り出しました。
「…憲ちゃんのメールアドレス教えてくれる?夏休みの間なかなか会えなくなっちゃうから、そうしたらおばさん寂しいじゃない」
美帆さんはにっこりと微笑んでいました。
照れている、という感じではなくそれは本当に大人の女性の余裕の笑みという感じです。
メールアドレスを聞かれたこと自体は嬉しい事でした。
でも自分の事なんてちっとも異性として意識されてないな、とも憲太は思いました。
その事で憲太の胸はチクリと痛みました。
品があって落ちついた印象の美帆さんですが、その時は向日葵のように明るく輝いた笑顔なんです。
その陰りのない明るい笑顔がなんだか少し悲しく感じて、憲太は早く大人になりたいと願ったのでした。
いえいえ、本当は憲太が気付けなかっただけで本当は美帆さんの笑顔は強張っていたのかもしれません。
バッグから携帯を取り出す時手が震える思いだったこと。
メールアドレスを聞くときに勇気を出して声を絞り出したこと。
それら一連の動作を必死で抑えて何気ない様子を装ったことなんて、きっと鈍い憲太は一生気付かないでしょうね。
往々にして女性の努力に男性は鈍感なものですけれど、二人くらい年の差があったらなおさらなんでしょう。
そして夏休みに入ってから二人は毎日ちょっとずつメールを交換するようになりました。
もっとも今どき携帯なんて高学年ともなればもってない子の方が少ないのです。
既に憲太の同級生(特に女の子ですけどね)は携帯がないと不安で仕方ない、なんて子もいます。
中には授業中でも構わずに何度も携帯を取り出してはメール交換を誰かとしているような携帯依存の女の子もいます。
それに比べると憲太は高学年になってから買ってもらったため携帯こそ持っていましたが、ほとんど誰かとメールする事なんてありません。
一番多くメールを送りあう相手は母親の憲子で、それも大抵帰りが遅くなりそうとか1行だけの素っ気ないものでした。
美帆さんは家に帰ってから自分の携帯を開くと、さっき教えてもらった憲太のメールアドレスがたしかにそこに残っていました。
美帆さんは自分のしたことなのに自分で驚いています。
男の子にメールアドレスを聞いた事なんて生まれて初めてでした。
玄関の戸を閉めると抑えていた動悸がますます高まり、なんとか息を落ちつけようと深い息を吐きます。
kenken―@×××.com
それが憲太のメールアドレスです。
そうです。
間違いなく美帆さんからメールアドレスを聞いたからそこに残っているのです。
それ以来二人はメールを毎日交わすようになりました。
一週間、二週間が経った頃でしょうか。
最初は一日に一通だったものが少しずつ増えていったのですよ。
起きてすぐ、そして昼前、午後、夕方、夜、寝る前…それがほとんど毎日です。
美帆さんは何も仕事がない日はちょっと時間があるとすぐに携帯を取り出すようになっていました。
職場での昼休憩のときも学生みたいによく携帯電話をいじっているから、彼氏でも出来たのかとからかわれることもあります。
もっとも美帆さんもいい大人ですから、苦笑いして否定するだけでしたけれどね。
ちょっとまずい。
いえ…絶対にまずいのではないでしょうか。
憲太とのメールに夢中になりながら美帆さんはそう思い始めています。
これがただのメール交換ならちっとも問題ではないのでしょう。
実際二人の交わすメールの内容は極めて健全そのものです。
それでもあんな年若い男の子とこんなにも頻繁にメール交換をしていると、何かいけないことをしているような気がして仕方ありませんでした。
同じ頃、夏休みに入ってからやたら携帯を取り出すようになった憲太に母憲子は若干の違和感を感じ取るようになっていました。
それは母親としての勘であるとともに、女の勘でもありました。
もしかしたら変なサイトでも見てはいないかと思うと、母親としてやはり気が気でありません。
まだまだ子供の息子が道を踏み外すなんてとんでもないことです。
絶対にそんな真似はさせないと憲子は静かに、固く心に決めています。
しかし、一方で息子の事は信じてあげたいとも思っています。
親は木の上に立って見守るのが本来の姿だと、憲子は心に決めているからです。
ですから、夫の携帯は見ても息子の携帯は見てはいけないという不思議な自制心が憲子に働いていたために二人の関係は密やかに育まれていったのでした。
メールは顔を合わせていない分、誤解を招きやすいともいいます。
正確な感情を込めにくく、正しく自分の考えを伝えられないためにトラブルにもなってしまいます。
同じ言葉だって面と向かって言われるのとただ文字で伝えられるのとでは温度差が生じてしまいますから。
みなさんもそうした経験がありませんか?
笑いながら馬鹿じゃない?と言われるのとメールで馬鹿じゃない?と書かれるのはやっぱり違いますよね。
しかし、メールでのやりとりはこの二人にとても良く作用したのかもしれませんね。
憲太は文才もあり小学生にしては落ちついているためメールを書かせると本当に大人のように難しい言葉や表現を使ってきます。
実経験が不足していてちょっと頭でっかちなのは否めませんが、それも憲太の年齢を思えば美帆さんにとっては微笑ましいことでした。
美帆さんにとって気にいっている男の子が自分のためにちょっと背伸びをしてくれていることがなんだかたとえようもないくらいに嬉しかったのです。
さて話は憲太が一人になった8月13日のこと。
家族を見送ってベッドに寝転んだ憲太は携帯を取り出すと、美帆さんにメールを送りました。
その内容は大した内容ではなかったのでしょう。
今どこで何をしている、と何気なく憲太は美帆さんにメールを送ったのです。
「今、家族を見送って家に一人でいること」を。
本当に何気ない現在の報告です。
美帆さんだって危ない道を歩もうとは思ってもいません。
真っ当に誰かを愛する事が出来たなら、それはそれできっと素晴らしいことなのでしょう。
だからといって亡くなった旦那さんをないがしろに出来るものでもありません。
一人で生きていく覚悟も、それなりには出来ているつもりでした。
だけれども。
今、自分は一人で退屈しています。
そして連絡をとったもう一人も暇しています。
そしてそのもう一人は自分が最近気になって仕方ない相手なのです。
そうしたら?
美帆さんはなるべく平静を装って、極めて何気なく、自然にメールを送りました。
「今夜花火があるんだって。一緒に見に行かない?」
「世界はこんなにも 花火」
約束は守らなければいけません。
誰もが子供の頃から言いきかされてきた事です。
まして大の大人が自分から口にしてしまった以上、もう覚悟を決めて出かけるしかありません。
呼吸を整えて、美帆さんは精一杯今日を生きようと決意しています(…ずいぶん肩に力が入っていますけどね)。
メールを打ち終えてからすぐに(憲太の返事さえ待たずにですよ)美帆さんはずいぶん久しぶりに力を入れて化粧を始めました。
何年かぶりに若い頃のように下着を少し明るい色に着替えて、しまってある浴衣を押入れから出しました。
憲太と…自分よりもずっと年若い男の子とちょっと花火を見に行くだけなのに。
夏休みに入ってからメールは頻繁にしていても、二人が実際に会うのはこれが初めてです。
いえ、もっと言えば二人で約束してから会うのも初めてなのです。
約束して、二人で会って、出かける。
これってやっぱり…。
準備をしながらも美帆さんはそれ以上の思考をしないようにしています。
取り出した昔の浴衣に少しまごつきながら着付け、髪をかき上げると赤いリボンで結びました(昨日の内にもう美容院まで済ませていますよ)。
そこまでやってしまうと姿見に自分の姿を映して、くるっと回って念入りに確認します。
落ちついた藍色の浴衣に流れる桃色の幾重ものラインがちょっと若い子向けのようにも見えます(もっとも美帆さんがずっと今の憲太よりちょっと年上くらいの頃に買ってもらったものですからね。若い子向けなのも当然なのですよ)。
美帆さんも自分のしていることながらちょっと滑稽だと思うくらいです。
(いい年して私何してるんだろう?)
一人身が長くなったために、美帆さんは自分が本当におかしくなってしまったかもしれないと思いました。
時刻は午後5時半になります。
都筑インター近くの神社での待ち合わせです。
まだ畑も残っているような田園地帯は都心部から一時間もあればらくらく来られるとは思えないくらいです。
五時半という時刻は憲太くらいの年頃が出歩き始めるにはちょっと遅いのですけどね。
もしもPTAの人なんかが聞いたら良い顔はきっとされないでしょう。
ヒステリックなおばさんなら夜遊びは不良の始まりだと怒り始めてしまうかもしれませんね。
とはいえ今日はお祭りですし何より大人も一緒なんですから、誰のおとがめもないでしょう。
5時ちょっと過ぎと約束の時間よりやや早めに来た憲太は本当に美帆さんが来てくれるのかちょっと信じられない思いでした。
あんな大人の女性と二人で出掛けたりなんて、からかわれているのではないかと思ってもいたんです。
大人の女性である美帆さんと二人で花火を見に行くだけで嘘みたいな出来事なんです。
それだけでも充分ドキドキする事なのに。
「こんばんは…お待たせ」
約束の5分前に現れた美帆さんは既に化粧を仕上げており、浴衣を身につけていました。
それはまさに30歳を過ぎた大人の女性の完成された美しさと品が感じられました。
とてもメールしてから大急ぎで準備を整えたとは思えないくらいです。
やっと慣れたはずなのに、久しぶりに逢ったこともあるからでしょうか。
憲太はうまく美帆さんの事を見る事が出来なくなってしまいました。
それから並んで歩きだしたら分かったのですが、ほのかに香水の香りさえ漂わせていました。
憲太が思っていたよりもずっと美帆さんが準備してきた事は幼いなりに少しは分かります。
だからこそ戸惑い、そして逆に自分があまりに子供に見えるのではないかと気になってしまったのでした。
夏の夕暮れ時はまだまだ充分に明るく、街並みを紅く照らしています。
隣を歩く美帆さんは横顔も髪までも紅く染め上げられ、まるで夢の中の出来事のようです。
あまりに綺麗な美帆さんを途中で何度も見上げました。
まだ美帆さんの方が背が高いため、どうしても見上げるような形になってしまうのです。
美帆さんに気付かれないようにちらちらと覗き見るようにしていたのに、なぜか美帆さんは途中で憲太の視線に気づいてにっこりと微笑んでくるのでした。
そうすると憲太は慌てて視線を逸らしてしまいます。
そんな憲太の少年らしい反応に少し微笑みながら、美帆さんはしっかり準備してきたんだから見ていいのに…という不満をちょっとだけ感じてしまいます。
時刻は間もなく、七時を迎える頃。
二人は町から少し離れた山のとある公園に来ていました。
憲太も低学年の頃は遠足で来た展望台のある公園です。
美帆さんに誘われるまま人気のない公園を通り抜けると、柵があって展望台の休憩所から町を見下ろせるベンチがありました。
展望台から望む景色はそんなに長い時間歩いていないはずなのにけっこうな絶景です。
それなりに歩いたためか美帆さんは少し汗ばんだ額を持ってきたタオルでそっと拭いました。
その仕草が色っぽく(という言葉を憲太は思いつきませんでしたけれどね。でもドキッとはしたのですよ)、また憲太は目を奪われてしまいます。
一息つくと少しずつ太陽が傾きだし、辺りは少しずつ暗くなってきました。
小さなベンチに二人並んでぴったりと寄り添うように座ります。
(そんなにくっつくの?)
そう憲太は思ったけど、聞かない事にしました。
憲太の体には美帆さんの体が密着し、嫌でも互いの体温も心音も聞こえてきます。
とはいえ憲太はまだ美帆さんの心音を気にするような余裕はまったくありません。
(美帆さん柔らかい…そして暖かい)
初めて触れる女性の身体から感じる感触から憲太は改めて美帆の体温の温かさ、体の柔らかさを知って驚きます。
いくら美帆さんが痩せて見えていても触れるとやはり女性的な丸みと肉付きがあるのでした。
もしもう少し憲太が大きければそんな美帆さんの肉体に直接的な欲望を抱いたかもしれません。
とはいえ、まだまだ子供の憲太には綺麗な美帆さんと密着してその身体を服越しに感じるだけでいっぱいいっぱいでしたけれどね。
そうして隣り合って座っていると、美帆さんもメール交換していた相手の幼さを改めて実感してしまいます。
実物の憲太は美帆さんよりもまだ身体も小さく、線も実に細いのですね。
その儚げなほどの容姿からは大人びたメールの文面からは想像できないほどです。
そしてそんな相手と毎日夢中でメール交換をしていたこと。
その事にときめきを覚えていた自分自身に美帆さんはちょっとだけ呆れてしまいました。
憲太に失望しているわけでは決してありません。
ただ相手の幼さも考えずにはしゃいでしまっていた自分がちょっと嫌になったのでした。
ふと至近距離で憲太の瞳を見つめました。
元々中性的な印象のある憲太です。
見つめると視線に気づいた憲太は実に可愛らしく小首をかしげています。
同年代の男のよりおそらく華奢で小柄な少年です。
あまり目を合わせていると少し照れてきたのか大きな瞳で長い睫毛が覆うように伏せられました。
時折憲太の優しげな黒目がちの瞳と目が合うと美帆さんも憲太の中に吸い込まれそうになります。
その時、暗さを増して展望台を空に打ち上げられた光が照らしだしました。
(ドオンッ!)
徐々に辺りを夜の闇を帯び始めた頃のこと、夕焼けよりももっと鮮烈です。
いつか見たかき氷のイチゴのようにわざとらしいほどの赤でした。
(ドオンッ!ドドドッ!)
続けて緑色の光が連続して打ち上がります。
こちらもかき氷のメロンを思わせるような鮮やかな、明るい色の緑光です。
点滅するように夜空に無数の光の瞬きが連続で起きました。
そしてその後の一瞬の暗闇。
花火の光のコントラストは鮮やかで光が消えるとまるで自分まで消えてしまいそうな錯覚を覚えます。
徐々に深まっていく暗闇に飲み込まれまいとするように花火は何発も空を照らし続けます。
その間にも少しずつ明るかった夏の夜空は闇の色が濃くなっていきます。
花火の時だけに訪れるあの心寂しい思いは自然と二人の心を駆け巡り、それはまたお互いの心にも伝わっていきました。
美帆さんは19歳の時に結婚しました。
お相手の男性は美帆さんより19歳も年上の男の人です。
当時美帆さんは大学生で、相手は大学の非常勤講師をしていました。
彼は冴えない感じの40近い男でしたが、朴訥で優しげな雰囲気を漂わせていた男性でした。
そんな彼に不思議と惹かれるものを感じた美帆さんはそれから1年も経たずに結婚していたのです。
美帆さんが人生で一番幸福を感じていたのはこの頃だったでしょう。
その7年後に美帆さんは26歳で旦那さんを亡くしてしまいました。
それから2,3年間の間はずっと泣いて過ごしました。
少しずつ立ち直ってきてさらに数年経ったのです。
旦那さんが亡くなってもう何年も経っていましたが今も美帆さんは心の中に出来た空洞を持て余していました。
これからの長い残りの一生をどうして生きていったらいいのでしょう。
時間が流れたところで旦那さんを失った悲しみの傷だって決して痛まなくなった訳ではありません。
もちろんまだ若く美しい美帆さんに言いよってくる男はいます。
美帆さんが未亡人だと知ってもなお、食い込もうとしてくる男だって少なくありません。
けれど若くして大恋愛の末に結婚した美帆さんでしたから、大切なのはそういう事ではありません。
美帆さんにとって重要なのはどれだけ人に愛されるかよりどれだけ人を愛せるかなのです。
もちろん愛されるから愛することだってあるでしょう。
美帆さんもそういう考え方を理解出来ない訳ではありません。
それでも美帆さんは誰かを愛したいのです。
そして愛しているから、愛されたいのです。
人が死ぬ時はたいてい誰もが一人です。
旦那さんを亡くしてから美帆さんにとって、死は身近なものになってしまいました。
おかげで自分が死ぬ事をなんとなく想像する事もあるのです。
でも…美帆さんもその時には誰かを愛し、そして愛された思い出に包まれながら死を迎えたいと思うようになりました。
美帆さんが一人で住むようになった家で暮らしを続けるうちにいつしか思うようになったのはそういう事です。
憲太は黙り込んでしまった美帆さんの横顔を見て何を考えているのだろうと思いました。
やっぱり自分のような子供と二人で花火を見ても楽しくないのかな?
そんな自分の想像に憲太はズキンとひどく胸が痛みました。
その内考え込んでいる間に美帆さんはすぐ隣に座っている少年が自分を見つめている事に気付きました。
なんだか不安げな表情で見上げています。
(いけないわ。…退屈させたのかと不安にさせちゃったみたいね)
「綺麗ね。本当に…」
そう言って安心させるように美帆さんはにっこりと微笑みました。
憲太はその夢とも現実ともつかない世界で美帆の笑顔に吸い込まれていくようでした。
光と闇のわずかな隙間、いつしか二人は互いを見つめあっていました。
「美帆さん…」
(ドオオオオンッ…!)
ひと際大きく広がった光の花。
どちらからともなく、手と手が繋がり合っています。
温かな手が、小さな手のひらを包みこみます。
(ドオオオオンッ…!ドオオオオオオオオンッ!)
大輪の花火が空いっぱいに広がるとその衝撃波のような音まで空気を震わせて伝わってきます。
憲太の前髪がピリピリと痙攣するようでした。
あまりにも音の大きさに光の眩しさに、二人の間の距離がよく見えなくなります。
(相手がどこにも行かないように)二人はもっともっと近づきます。
一瞬連続する光が二人を幾度も照らしだします。
夕闇に浮かぶ二人のシルエットはさらに密着し、やがて影は一つに重なりました。
(ドオオオンッ!………パッ!パパパ…!パパパパパパ!)
その激しい白い閃光が続く間、まるで時間が止まったようでした。
美帆さんの赤い唇と、憲太の小さな唇と引き寄せ合うように近づくと、ぶつかる様に重なり合っていました。
憲太の両腕は美帆さんの首に、そして美帆さんの両腕もまた憲太の首に巻かれて引き寄せ合いました。
(ドンッ!ドンッ!…ドンドンドンッ!)
漆黒の鍋底から火が吹きあげるように光の柱が立ち上っていました。
そのまま暗闇になっても構わずに二人は熱く熱く燃えていました。
「ん…ん…ん…ぅ…」
鼻からわずかに漏れた声も花火に掻き消されてしまいます。
もう花火も目に入らないほどに、お互いの小さな世界の中で二人はその唇で吸い付きあいました。
紅く彩られた美帆さんの唇が色の薄い憲太の唇に移り、溶け合うように同色化していきます。
二人の頭の中では花火の炸裂音がただのノイズのように鳴り響いています。
唾液の濡れたような音が耳の音で響いて、唇の隙間から零れて美帆さんの浴衣の胸元に膝に、そして憲太のTシャツの首筋にまで垂れ落ちました。
長い口づけの後、唇が名残惜しそうに離れると憲太は息が切れたように美帆さんの首筋にもたれるようによりかかりました。
美帆さんはそんな憲太の頭にそっと手のひらを置き、首筋に小さな吐息を感じながらたとえようもない幸せを感じていました。
花火が終わってから家まで美帆さんに送ってもらうことになりました。
玄関を開けた憲太がふと携帯を見ると、憲子からメールが四回も来ている事に気付きました。
どうも夢中になっている間にこんなにも着信を溜めてしまっていたようです。
時刻はもう10時半近くになっています。
憲太は夜遅くまで出歩くようなことはしなかったため、門限は決められていませんでした。しかし、10時というのは小学生の少年が出歩くにはもう立派に夜遊びの部類に入ります。
夏休みに入る前に学校で渡された夏休みの模範的な生活を示した紙には遅くとも6時には家に帰る様に書かれていたのですからね。
憲子としては息子がちゃんと晩ごはんを食べたのか、風呂に入ったのか、戸締りをしっかりしたのか気になったのでしょう。
憲太はおそるおそる来ていたメールの中で最後のものを確認してみました。
すると意外な事に既に憲太が美帆さんに連れられて花火を見に行った事を憲子は知っていました。
おそらくあらかじめ美帆さんから憲子にメールを入れておいたのでしょう。
母を心配させなかった事と怒らせなかった事を知り、ようやく憲太は胸をなで下ろしたのでした。
翌日の朝、学校に行くと担任の中富先生の運転する車で県の文化会館まで行きました。
車で中富先生の旦那さんのちょっと昔のクラウンで、クーラーがあんまり効きません。
生まれて初めて行った式典会場は県の中心部にある数千人も入りそうな立派なホールです。
普段なら会場を見ただけで今からたくさんの人の前で話さなくてはいけない事を思ってきっと憲太は緊張したことでしょう。
しかし昨夜の出来事で憲太はずっと頭がぼうっとしていたからか、緊張したのかしなかったのかも分からないままでした。
憲太が自分の作文を読み終えると会場内には聞いた事のないほどの大きな拍手が満ち、そこでやっと我に返ったくらいです。
ふわふわとしっかり歩けなくなりそうになりながらなんとか舞台の袖に戻ると、式典はまだ続くようでしたが、そのまま中富先生に駅まで送ってもらいました。
その途中中富先生は憲太の話振りを褒めてくれましたけれど、憲太は自分がどう話したのかまるで記憶が抜け落ちているように何も思い出せません。
いえ、美帆さんと唇を重ねたあの時からずっと夢心地のようだったのでしょう。
駅に着くと中富先生が教えてくれたように真っ直ぐ進むと新幹線の改札口が見えてきました。
初めて一人で乗る新幹線でも憲太はただただ窓の外をぼんやりと眺めていただけでした。
そして9時過ぎに着いた広島駅のホームには母親が迎えに来てくれていました。
さすがに憲太も2日ぶりに母親の顔を見てほっとする思いでした。
いくら二日前の別れ際にあれこれ言われてうっとうしいと思ったとしても、やっぱり少年にとっては母親の顔が何よりもほっとするんですね。
しかし憲子の顔を見たら、憲太の心の中で美帆さんとの思い出が思い起こされました。
母親に内緒でちょっとだけ悪い事をしたように後ろめたい思いも心の隅で感じたのです。
これもまあ、たいてい誰もが通る道ですよね。
それから憲太の夏休みが終わるまで美帆さんと会う事はありませんでした。
けれど、憲太の心の中にはあの日の花火と美帆さんの唇の感触が重なって一枚のフィルムみたいに焼きついたままでした。
「世界はこんなにも 一人ぼっちの二人」
恋する乙女に悩みは尽きません。
それは今年3…歳になる美帆さんだって例外ではありません。
ダイニングのテーブルに頬杖をついたまま、もう一時間以上経っています。
それどころか食べ終えたパスタやサラダの食器も片づけていないままです。
そのままの姿勢で彼女は再び今日もう何十回目かも分からないほどの深いため息をはきだしました。
美帆さんの頭の中では一日中様々な事が駆け巡っています。
学生時代は成績も良い方で、大学だって国公立に照準を絞って受験したくらいの美帆さんです。
今の憲太と同じ年頃には通知表にたくさん花が咲いていたくらいの優等生だったんです。
頭の回転だって同世代の平均よりはおそらく上の方ではないでしょうか。
けれど、そんな事はちっとも役に立たない事が世の中にはたくさんあります。
美帆さんにも苦手な事はたくさんありました。
たとえば体育で長い距離を走る事は苦手でしたし、図工ではゲージュツとしか呼びようのないものを作ってしまうこともしばしばでした。
そしてまた、美帆さんはこうした感情の扱い方もあまり得意ではありませんでした。
(なんで私がこんなに…あの子はまだ子供なのに…)
そうです。
彼女をこんなに悩ませているものの正体は一人の子供なんです。
ちょっと茶色がかった色素の薄い髪と、黒い瞳。
その瞳はいつも真っ直ぐで、キラキラと輝くように美帆さんを見つめてくれます。
熱っぽいというにはあまりに純粋な眩しいその眼差しに、美帆さんはすっかり参ってしまっていたのでした。
時計の針は既に夜8時を回っています。
美帆さん一人しか住んでいないこの家のダイニングは実に静かです。
10月も終わり際に差し掛かったとはいえ、まだ冷え込むほどではありません。
テーブルの上の携帯電話を手に取ります。
メール画面を開くと、そこには同じアドレスからの着信メールが無数に残っていました。
今まで美帆さんが憲太からもらったメールの数々を読む内に、体の芯から温まってくるようです。
思い起こすのは二人であの花火を見に行った日の事です。
夜空に大輪の花火が花開いていたあの日、美帆さんは憲太と初めて唇を重ねました。
柔らかくて小さな憲太の唇の温かさを感じながら、腕を首に回して息も出来ないほど密着したあの時のこと。
考えているとそれだけで美帆さんは心も体もポカポカと温まってくるようでした。
成り行きとはいえ美帆さんは憲太のペニスを手で射精に導いた事があります。
憲太が初めて美帆さんの家に上がったあの日、午後のお茶を楽しんだ春の日のことです。
しかし、その思い出とお互いが望んで唇を重ねる事はまったく別なのです。
美帆さんはそうすることを望み、憲太もまた同じようにそうすることを望んだのです。
それは決して誰のせいでも何のはずみでもなく、二人が互いに望んでそうしたのです。
そのことを思うと美帆さんはいよいよ頭の芯が熱くなり、思わず両掌で頬を押さえてしまうほどドキドキしてきます。
考えるほど息苦しくなり、息苦しくなるほど呼吸が乱れ、美帆さんは胸を手でそっと押さえて息を整えました。
さっきまで頭を駆け巡っていた悩みは吹き飛び、心の中は憲太の事ばかりです。
憲太のメールが来て欲しい。
憲太に電話したい。
憲太の声が聞きたい。
少しだけでも。
はぁ…。
ここにもまた秋の夜のため息は飽和していました。
まだ与えられて半年ほどの一人部屋で憲太はベッドの中で悶々としています。
それはまだあの日の事がどうしても脳裏から離れないからです。
あの時の花火、蒸し暑いほどの熱帯夜、そして美帆さんの唇、洗い髪の香り、柔らかな体、押し付けられた豊かな乳房…。
どれもあまりに濃密で鮮烈な思い出の数々です。
いつか夏の日の感傷にしてしまうにはあまりにもまだ時間が経過していませんからね。
もちろん花火の日からも美帆さんとは毎日メールを欠かしていません。
でもあの日の事に二人がメールで触れる事は決してありませんでした。
それどころか、二人の間で親密さが増したようにもまだあまり思えません。
どうしても美帆さんにまだ一人の男としてとして見てもらえていないような気がします。
どうすれば「そういう対象」として見てもらえるんだろう?
大人の美帆さんは「愛してる」って言われないとそういう気持ちを憲太が持っているとは伝わらないんでしょうか?
いつしか憲太の思考はそのことばかりに囚われていました。
大人の美帆さんが子供の憲太を好きになってはいけないんでしょうか?
子供の憲太が大人の美帆さんを好きになってはいけないんでしょうか?
どちらかといえば子供に恋する大人の女性の方が辛いものだと大人の人なら分かるかもしれません。
好きになってしまった自分自身に対する戸惑いや嫌悪感、不信感。
自身の年齢への不安や年の差、世間体や相手の親のこと。
あるいは相手がいつか自分を見捨ててしまうのではないかということ。
そしてこの恋がいつまで続くかっていうこと。
美帆さんに悩みと不安の種は尽きません。
いつかこの恋は愛に変わるのでしょうか?
それともこんな想いなんて所詮錯覚だったと、いつか夢から覚めてしまうのでしょうか?
憲太にはまだ愛なんて難しいものはわかりません。
いくら年齢よりはちょっと小難しいことを考える事が出来たって、子供の心の中は実に単純なものなんです。
子供のそのほとんど全ては二元論で成立しているからです。
好きなものと嫌いなもの。
やりたい事とやりたくない事。
楽しい事と楽しくない事。
良いものと悪いもの。
そして大好きなものと大嫌いなもの。
全ては極端に振れており、それらがゆらゆらと振り子のようにゆらぎながら、渦巻いているだけです。
ただし幼いながらにも憲太には自分が恋をしていることは分かっていました。
美帆さんのことを考えると胸が痛みます。
すごくすごく痛んできます。
メールが来るとすごく嬉しくなります。
すごくすごく嬉しくなってしまうのです。
いつしか憲太は一日中美帆さんに逢いたくなっていました。
学校にいても早く授業が終わらないか時計の針ばかり気にするようになっています。
学校からの帰り道はもうはっきりと美帆さんの姿を探すようになりました。
逢えない日は本当にがっくりくるし、逢えた日は本当に天にも昇る気持ちです。
そんな時は1分でも長く一緒にいたいと心から願っています。
でも。
二人で一緒に歩いていると逆に思い知らされることもあります。
すぐ隣を歩いていても、美帆さんと自分ではどうにもならないのです。
手を繋いで歩くには憲太は少し大きくなりすぎています。
腕を組むには憲太はまだあまりに小さすぎます。
そして、憲太の美帆さんを思う気持ちさえ美帆さんにはまだ本当に深くは伝わっていないのです…。
憲太は布団の中で自分のペニスに触れてみました。
まだ未成熟な形ながら、既に固く熱く先端は滴るほど濡れています。
憲太もやっぱり一人の年頃の男の子ですからね。
好きな女性の事を思い浮かべたら生理的にそうなってしまうのです。
ゆるやかに手でペニスを擦りながら、美帆さんのことを思い浮かべます。
落ちついた品のある物腰。
優しげで穏やかな瞳。
温かみのある笑みを浮かべた口元。
綺麗な長い腕や脚。
そしてあの柔らかく温かな白い手。
今年の春、美帆さんのその手で憲太は生まれて初めて射精に導かれました。
もっともそれは本当にその時の成り行きについ、といったアクシデントのようなものです。
だから憲太にとってその思い出は快感を別とすれば美帆さんに見られてしまったという恥ずかしい思いの方が強く残っていました。
「美帆さん…」
憲太は小さく口に出して呟きます。
小さな声なのに決して家族の誰にも聞こえないように掛け布団を口に押し当てています。
美帆さんの名前を口にするだけで、憲太の胸がいっぱいになります。
頭痛がするほど、頭の中を想いが駆け巡ります。
そして心の中がざわめいてくるのです。
憲太のペニスはなお硬さを増し、美帆さんが触ってくれた時の記憶を辿ろうと直接触り始めました。
「美帆さん…美帆さん」
近所の美帆さんに届いて欲しいと願いながら、憲太は声に出しました。
そしてあのキスした時のように、唇は切なく美帆さんの紅い唇を求めます。
「ぁ…はぁ…ぁ…ん…」
憲太の右手はペニスを既に強く握り締めていて、少しずつ扱き始めています。
先端から溢れる滴は既に手の甲を伝って、太股の隙間に垂れ落ちています。
憲太の心の中の美帆さんは微笑んでいます。
そのままゆっくりと清潔感のある白いシャツを脱ぎだすと、美帆さんは下着姿になります。
いくら普段は痩せて見えても、30歳を過ぎてから少しだけですけど美帆さんはスタイルもふっくらしてきました。
そんな自分の加齢による体型の変化を少し気にしてか、美帆さんは照れたように微笑んでいます。
さらに切羽詰まったような思いに駆られた憲太の求めに応じて美帆さんはそのままブラジャーのホックを外してくれました。
しかし、憲太が見たいその柔らかそうな白い乳房はまだ両腕で覆っていました。
その腕の隙間からは美帆さんの綺麗なピンク色の突端が覗き見えて憲太の興奮は最高潮に達します。
顔を近づけると、憲太の荒くなった鼻息にくすぐったそうに美帆さんは身をよじります。
しかし、そのまま美帆さんは覆っていた手を外すと憲太の眼前にその美しい胸を見せてくれました。
本能的になおも顔を近づけた憲太はその胸の先端に舌を這わせます。
美帆さんはくすぐったそうにも、悩ましげにも感じられる声を漏らし、顔を伏せてしまいました…。
憲太のペニスを擦る手の早さはこれ以上なく早まっていて、やがて腰が痛むような切ない感覚に支配されます。
「ぁ…ぁ…美帆…さ…ぁ…ぅ…ぁ…はぁ…あぁ…」
自分の射精が近い事を悟った憲太は掛け布団を剥ぎとりました。
憲太のペニスを握っているその手は憲太の手でありながら、憲太のイメージの中では美帆さんの手の平になっています。
あの温かく汗ばんだあの美帆さんの手を思い浮かべると、彼女の熱さえ感じられるほどです。
限界まで達した射精感に支配された体は美帆の身体を想起しながら、腰を跳ね上げるように身体をよじらせます。
「………ぅ…っ!!…!」
そのまま限界に達した憲太のペニスからまだ白くはなっていない精液が宙に二度、三度と勢いよく跳びあがり、そのまま憲太の薄い胸板の上に飛び散らせました。
胸に落ちてきた生温かな感触が憲太の幼い性の感覚を刺激します。
そのまま射精による気だるさを覚えた憲太は脇のティッシュを二枚ほど取ると、胸に飛び散った精液を拭き取り始めました。
全部ふき取ると急に眠気を感じて、憲太はそのままベッドに横たわると片腕で両目を覆うように押し当てました。
その時憲太は自分でも知らない間に涙がにじんできてしまっていたことに気付きました。
(またやってしまった…)
絶頂を迎えると、また嫌悪感に抱かれてしまいました。
自慰はいつも自己嫌悪の裏返しでもありますからね。
好きな人を思ってする自慰でも、なんとなく気まずいような気になってしまいます。
自分の想いは性欲が先行しているのではないか、という恐れも抱いてしまいますからね。
自分のこの気持ちが純粋な恋でないなんて、なんだか嫌で仕方ないのです。
性欲が混じっては想いの純度が失われてしまうような気がしますから。
でも、もちろんそれも恋の形なんですけどね。
好きな相手だから体ごと欲しくなるのはごく自然な感情なのです。
でもまだそれが分かるには恋の経験がちょっと不足しているのかもしれません。
小さくため息をまた一つつくと、美帆さんはテーブルの上に置かれたボックスティッシュを手に取りました。
2,3枚まとめて取り出すと自らの指と股間、それに座っていた椅子と床に飛び散った自らの愛液を拭きました。
その愛液はさらりとした透明なものではなく、ねっとりと少し白っぽい粘液でそれが美帆さんの熱っぽさの現れのようでもありました。
数百m離れたところで、二人は同じタイミングでまた深くため息をつきました。
これからまたしばし悶々とするも、ウトウトと眠りこむのも夜の自由です。
秋の夜は誰にでも長いものですけれど、恋する者にはなおさら長いのですね。
「世界はこんなにも power of love」
憲太と美帆さんの住む町にも冬がやってきました。
例年あんまり雪なんて降らないのですが、この年ばかりは異常気象の影響でしょうか?
12月から何度も道路にうっすらと積もるくらいに降っています。
今夜もそんな一夜になりそうでした。
その日美帆さんは珍しく勤め先で残業する事になりました。
エアコンの送り込む乾いた空気のオフィスのことです。
空調が効いているため、寒くはありませんが油断をするとすぐに喉を痛めてしまいそうです。
美帆さんはふとキーボードを叩く指を止めると、ビルの向こうの暗い空を見上げました。
今日は朝からパソコンに向かっていますから、少し肩や首に疲れを感じてはいます。
けれど、美帆さんの頭に浮かんでくるのはそれとまた別のあることでした。
いえ、このところずっとそうなのです。
ずっと美帆さんの頭の中を支配しているもの。
仕事の手を休めたまま、そのままふと考え込んでしまったのでしょうか。
美帆さんはぼんやりとキーボードの横に肘をついて、頬を両掌で押さえていました。
モニターの中ではさっきまで打ちかけていた意味をなさない文章が点滅しています。
「あすいがおあとtrmghぁr…憲太…たけrがおそえあご…憲太…」
美帆さんは自分が打ったその文字列を見るともなしにモニターを見つめています。
その口は半開きで、目もどこかうつろで美帆さんらしくないちょっとだらしのない表情なんです。
美帆さんの様子を心配したのでしょうか。
隣で仕事をしていた同僚が美帆さんに声をかけます。
しかし、そんな同僚の呼びかけも右から左に通り過ぎるようで何も頭には残りませんでした。
思い浮かべるのは近所に住む一人の少年の事。
そう、憲太の事でした。
どうしても憲太の事を考え始めると、何も手に付かなくなってしまいます。
ここのところ、ずっとそうでした。
二人でお出かけ出来ないものの、想いは一向に冷める気配がありません。
こんな想い、自分の年と相手の年を考えたら成り立つわけないのに。
そう自分で冷や水をかけても、何度も何度も火種は甦ってくるのです。
そして火種が甦るたびに自分の想いを再確認させられ、少しずつもっと強くて大きな炎になっていくのでした。
「ねぇ、少し休みません?…だいぶ疲れてきてないですか?」
少し大きめに声をかけてきた隣に座る同僚の言葉で美帆さんは急に我に返りました。
そこで初めて美帆さんははっとした様子で同僚を見ると、ずいぶん心配そうに見つめていました。
美帆さんよりもちょっと年上のキャリアウーマンの奥村さんです。
数分間ぼんやりしていたため、美帆さんは一瞬後ろめたい思いを感じましたが、奥村さんはそれには気付かない様子でした。
慌てて美帆さんも取り繕うように言葉を返します。
「えっ?…え、えぇ。そうですね。ちょっと疲れているのかも…」
時計は既に九時を回っています。
契約社員とはいえ、依頼があればある程度まで残業はやります。
昨日に美帆さんの勤め先でトラブルがあったとのことでしたので、今日はずっと朝から根を詰めて作業を続けています。
基本的に元気な美帆さんでしたけれどさすがに頭がボウッとしてくるほどでした。
「ごめんなさいね。こんな日もあるって思っていても、あなたまで手伝ってもらっちゃって」
奥村さんは本当に申し訳なさそうに声をかけてきます。
男女に関係なくそうした気遣いが出来るかどうかで、管理職の器が知れてくるものですよね。
「ううん、いいんですよ。たまにはこんなこともありますよね」
たしかに日中は他の契約社員の人もいました。
でも、主婦の人はやっぱり家庭があります。
ですから、契約社員で独身かつ(これは他の契約社員の方には内緒ですが…)もっとも有能な美帆さんに夜までの残業が依頼されたのでした。
「あ、このあとみんなで打ち上げに飲みに行くんだけど…たまにはご一緒にどうですか?」
「飲みに…ですか?」
ふと考えます。
いつもなら契約社員である自分はそうした輪の中に加わるようなことはありません。
見えない薄い膜のような壁があるためで、下手に交わって契約社員の仲間の中でどう見られるか気にしていたからです。
でも今日は朝からずっと頑張ってきました。
それにたまには家に帰って一人で食事するよりはずうっと良さそうな気もします。
「えぇ。こんな遅くまで頑張ってもらっているし、こんな日こそみんなで…と思って」
そういって奥村さんは微笑みました。
仕事には厳しい方ですが、こうした気遣いも出来るため美帆さんにとっても尊敬出来る女性なのです。
やがて終わりも少しずつ見え始めてきた頃、最後の休憩を取ろうといって連れだって給湯室に向かった時の事です。
その時美帆さんの携帯が鳴りました。
確認するまでもなく、憲太からのメールです。
美帆さんの携帯は仕事用に持っているようなものですから、普段携帯にくる着信といえば迷惑メールか憲太からだけなのです。
一瞬笑みがこぼれそうになるのを堪えながら、美帆さんは携帯を取り出しました。
(まだ仕事終わらないの?)
憲太には珍しく、一行だけのショートメールでした。
短いメールなだけに寂しい思いをさせてしまったかと思い、ちょっとだけ心が痛みます。
もちろん短くてもやっと憲太からメールが来たという嬉しい気持ちも一緒に生まれた事も確かでしたけれどね。
(ごめんね。仕事はもうすぐ終わるけれど今日は仕事の仲間達と飲みに行って帰りはだいぶ遅くなりそうだから、先に寝てね)
それだけ送信すると、一緒に休憩しに来た奥村さんの顔を見て言いました。
「それじゃあ…たまにはご馳走になりますね」
会社を出ると時間はもう10時半を回っていました。
雪がうっすらと積もっているくらいですから、頬もヒリヒリと痛むほど冷えてきます。
美帆さんはバッグから携帯を取り出すと、着信を確かめました。
着信はさきほど憲太から来たのが最後です。
つまり、給湯室で確認してから来ていないということです。
追伸がなかったことにちょっとだけ美帆さんはがっかりしましたが、先に寝たのならそれはそれで心配をかけずに済むので、安心です。
とはいえ。
それでも、憲太の事がどうしても気になってしまいました。
憲太は今頃どうしているのでしょうか?
布団の中で美帆さんの夢でも見てくれているのでしょうか?
(え?)
美帆さんは一瞬見間違いかと思いました。
時刻は既に11時近くになっていますからね。
辺りにはこれからまた飲みに行こうとするスーツの集団や既にいい気分になっている人達も見受けられます。
ビジネス街から歓楽街までの間なら見慣れた風景ですよね。
しかし、ちょっとだけ見えた人影。
それはそんな街ではあまりに場違いなほど、小柄な子供のそれです。
遠目でしたけれど、その小さな影はキョロキョロと辺りを見回して不安げにも見えましたし、誰かを探しているようにも見えました。
小さな影はそのまま遠くの角を曲がって入っていきます。
ちょっとだけ立ち止まったまま、思考する美帆さん。
少し見えただけでしたが、たしかに見覚えがあるような人影でした。
それもとても大切な人の。
けれど…今こんな時間にこんなところにいるはずがありません。
冷静に考えればそう思います。
でも…もしも。
もしもそうだったら。
急に立ち止まってどこか遠くを見つめたままの美帆さんを会社の同僚達はちょっと不審に思って遠巻きに見ていました。
それから急に振り返った美帆さんに同僚達はビクッと反応します。
「ごめんなさい。今日は急用が出来てしまって…これで失礼しますね」
突然の美帆さんの言葉に奥村さんはただならぬ迫力を感じてちょっと引いてしまいます。
「えっ?どうしたの?急用って今から…?」
その奥村さんの言葉を聞き終わる前に美帆さんは駆けだしていました。
7cmあるヒールがちょっと高い仕事用のブーツがカツカツと気忙しく音をたてます。
そのまま脇目も降らずに真っ直ぐ、小さな人影が曲がって行った角へ向かいました。
曲がった先はこの歓楽街地区のメインストリートでした。
当然週末の夜ですから通りには無数の人混みが溢れています。
通りの奥に向かっていくにぎやかな学生達。
こちらに向かってくる赤ら顔のサラリーマン達。
ガードレースに腰掛けて話し込んでいる若者達。
街路樹にもたれかかって携帯をいじっているお姉さん。
ティッシュを配っているサンタ姿のお兄さん。
看板を持って呼び込みをしているおじさん。
誰かと携帯を使って大声で話しながら歩いている若い女の子。
しかし。
(いない…)
もう美帆さんの頭から見間違いや、人間違いの可能性はすっかり消えています。
あれは間違いなく憲太なのです。
一瞬の違和感はすぐに疑念となり、今や確信となって美帆さんを突き動かします。
美帆さんは辺りを見渡しながら人波をかき分けるように走っていきます。
こんなに必死に走ったのはもう何年ぶりの事でしょう?
どこまでも走って行ってもそれらしい姿は見えません。
焦りは焦りを呼んで、携帯を使うという考えさえ浮かびません。
空からはちらちらと雪が舞っていますが、頭に血が上った美帆さんの頭を冷やすにはちょっと量が足りないところですね。
(憲太…憲太…!…憲太…っ!)
まだまだ子供だと思っていたはずでした。
おとなしくて素直で今時らしくない礼儀正しい子で、すごく優しい憲太。
照れたような表情、ふと遠くを見つめる表情、まっすぐ自分を見つめてくれる表情。
彼の瞳には年には似合わないほどの慈愛を感じられます。
口先だけでない本当に心優しい性根が伝わってくる憲太のつぶらな瞳。
ですから憲太に見つめられると、美帆さんはどうしようもないほど心が舞い上がってしまいます。
その瞳に見つめられるだけで美帆さんは遠い不幸な過去からも、心の傷からも、救い出されるのです。
それが美帆さんの大好きな憲太なのです。
そうなのでした。
いつしか美帆さんにとって憲太は大好きな存在になっていたのです…!
懸命に走り続けましたが、目当ての人影を見つける前に通りの終わりにまで来てしまいました。
メインストリートを抜けるといつしか周囲は薄暗く、怪しげなネオンがけばけばしい雰囲気を漂わせています。
(馬鹿馬鹿馬鹿っ…こんな時間にどこをほっつき歩いているの?)
そこまでずっと走ってきて息を切らした美帆さんはやがて呼吸を整えるためにゆっくりと歩き出しました。
胸を押さえて息を整えながらも通り過ぎる路地をのぞき込み、息が整ったらすぐにでもまた走りだそうと早歩きを続けます。
周囲にはさきほどのような華やいだ街並ではなく、うらぶれた雰囲気さえ漂っています。
もしこんなところにいるのならすぐにでも連れて帰らないと…。
「ねぇねぇ」
背中に若い男の声に声かけられました。
探し求めている少年を思い浮かべて反射的に美帆さんは振り替えります。
しかし、一瞬の期待はすぐに裏切られました。
そこにいたのは憲太ではありませんでした。
まだ少年といっても過言ではないくらい若い痩せた男の子でしたが、その瞳にあんまり年相応の健全さがありません。
頬がこけていてそれなりに顔立ちも整っていて格好良いと言えなくもないのですが、なんとなくカラスのようなひねたように笑う口元がネオンに照らされて不気味です。
おまけにどことなく不健康そうで、顔色もちょっと良く見えません。
「お姉さん何してんの?良かったら遊ばない?」
…沈黙。
面倒に関わりたくなかった美帆さんはこういう時のセオリーくらいは身に付いています。
こういうときは一切言葉で応じてはいけないのです。
言葉は会話を呼び、会話は付け入るすきを与えてしまいます。
黙ったまま立ち去ろうとすると、男は思ったより素早く目の前に回りこんできました。
「…なに無視してんだよ」
さっきちょっと怪しい雰囲気を漂わせていた彼はもう正体を現そうとしています。
美帆さんは胸の奥が重ったるくなるような不吉な予感がします。
なおも黙ったままその脇を歩き続けようとするとついに腕を掴まれてしまいました。
「無視すんなって…。むかつくな、おい」
一瞬身を堅くする美帆さん。
いくら気丈に振舞っているつもりでも、さすがに男性と力比べは出来ません。
不安と恐れが急激に膨らんでくるのを感じながら、それでも弱気を見せずに震えないように大きな声を出そうとした時です。
ふいに近づいてきた小さな足音に美帆さんと男が振り返ります。
大人ではない事がその人影の大きさから窺えますが、向こうの車のヘッドライトが逆光になって正体は分かりません。
小さな人影は走りながらイチローばりにステップを踏みながら思い切り振りかぶりました。次の瞬間男の鼻頭には硬くて熱い物が顔にめり込むくらいに直撃します。
それは地面に落ちるとカンッと高い音を立てて、転がっていきます。
至近距離からの中身入りコーヒー缶のレーザービームでした。
(本来なら憲太は横浜ベイスターズファンであるべきでしょう。けれど今どきの少年の憲太にとって日本のプロ野球より日本人メジャーリーガーの方がずっと馴染みがありますからね)
男はあまりの激痛に低く唸ってうずくまります。
立ちあがるにはあまりに強烈すぎる痛みと衝撃でした。
そのままうずくまる男の脇を小さな影が駆け抜けて近寄ってきました。
(憲太!)
美帆さんはその影の正体にすぐに気付きます。
二人はお互いの正体を見極めると言葉を発する前に手を取り合って駆けだしました。
相変わらず男はあまりの痛みに後を追う力も出なかったのか鼻を押さえてうずくまったままです。
そのまま振り返らずに二人は夜の街を走り続け駅まで辿りつくと、タクシーで住んでいる町まで帰りつきました。
車中で聞いた話では憲太は両親に内緒(当然と言えば当然ですけどね)で窓から出てきたといいます。
ですから町に帰ってから二人で一緒に憲太の家の様子を窺いましたが、ひっそりと静まり返っていました。
どうやら憲太が外出した事に両親は気付かなかったようです。
それを確認してほっとした二人はとりあえずそのまま美帆さんの家に向かいました。
美帆さんの家は誰もいないから、いつも以上にひっそりと静まり返って見えました。
近づいてきた足音がよく知っている二人であることを見抜いていた番犬のコージ(寝込んでいた春から間もなく元気になったのです)が激しくしっぽを振りながら鼻を鳴らして喜んでくれました。
しかし、時間も時間だったので美帆さんはコージにシーっと静かにする様に言い聞かせました。
もっと喜びたかったのですが御主人に窘められては仕方がないので、コージは首をすくめます。
その様子がちょっと可哀想だったので憲太は通り過ぎる時そっとコージの頭を撫でてやりました。
ずいぶん遅くまで一匹で留守を守ったにしてはちょっと寂しい褒められ方でした。
本当なら抱きついて鼻を擦りつけたりして、情熱的に留守番の務めを労って欲しいところです。
しかし彼なりに自分の務めを果たしたつもりのコージはご主人の帰宅にようやく安心すると犬小屋に入り、毛布に潜り込んで安らかな眠りについたのでした。
もう夜も遅いため、あまり音をたてないように二人はシャワーを浴びました(別々にですよ!)。
それから美帆さんはパジャマに着替えて長い髪を乾かしながらリビングに行くと、憲太はまだホットミルクのカップを手にぼんやりしていました。
やはり子供にはあまりに刺激的すぎる体験だったのでしょう。
「どうしてあんなところにいたの?」
美帆さんは向かい合うようにソファに座ると、出来る限り優しく声をかけました。
家に帰ってからずっと憲太は目を伏せて、一言も発してくれません。
「…大丈夫だから。お母さんには言わないから…ね?」
そして美帆さんは両手で憲太の手を包み込むようにしました。
憲太は手から伝わってくる美帆さんの手の温かさから、彼女の優しさまで伝わってくるようだと思いました。
「…今日だいぶ遅くなりそうって言ったから。」
「…え?」
「珍しく今日はだいぶ遅くなりそうって言ったから…飲みに行って帰りが女性一人じゃ危ないし…って……」
そこで初めて美帆さんは愕然としてしまいました。
あいた口が塞がらないとはこの事でしょうか。
それは憲太に呆れているのではありません。
自分の迂闊さにです。
今日はたしかに急なトラブルのために、予定を変更して残業して会社で仕事をすることになりました。
でもそれはあくまで子供の憲太には関係のないことです。
残業すればたしかに夕方一緒に二人で帰れるチャンスは無くなりますけど、それは言っても仕方のない事であって…。
でも。
好きな女性の帰りが遅くなると言うなら、やっぱり心配するのが普通の男です。
しかも飲みに行くなんて言われたら、その仲間に男がいるんじゃないかといらない事まで考えてしまうでしょう。
出来る事なら好きな女性には自分がいないところにお酒を飲みに行って欲しくはないのが本音です。
ですからたとえ少年でも、つい家を出て彼女の仕事が終わりそうな時間に会社の近くまで迎えに行ったのです。
それはたとえ美帆さんが大人で、憲太が子供であっても関係のないことなのですよ。
ただ憲太は美帆さんが勤めている会社の場所をはっきりとは知らなかったから、迷ってしまっただけで…。
「…私を心配して迎えに来てくれたの?」
美帆さんの問い掛けに憲太は答えませんでした。
けれどそれはきっと迎えに行ってしまった照れと道に迷ってしまったことへの恥ずかしさからでしょう。
何も言わない憲太の様子を見て、その真意を悟った美帆さんは自分でも気付かない内に涙が溢れてきました。
その感情を説明する事はきっと誰にも出来ない事でしょう。
こんな美帆さんの気持ちは間違っていると他の人は言うかもしれません。
大の大人が本気で自分の子供みたいな年の異性に恋をするなんて、と。
そんな事は本当に馬鹿げた思い込みだと言って笑われてしまうかもしれません。
多くの人は憲太くらいの年頃の子供には恋愛経験なんてないのだから、美帆さんがただ子供をたぶらかしただけだとも言うでしょう。
あるいは美帆さんは夫を亡くしてしまって心を病んでいるとか、小児愛好者だとか、ひょっとしたら犯罪者と呼ばれてしまうかもしれません。
残酷なことかもしれませんけれど、それが現実というものだということは美帆さんも分かっています。
でもね。
でもですよ。
ひょっとしたら、ですけどね。
やっぱり…二人の方が正しいかもしれないでしょう?
もしかしたら世界が間違っていて、二人の方が正しいかもしれないじゃないですか。
そう思いませんか?
美帆さんは自分が不思議でした。
憲太の言葉を聞いて、驚くと同時にどうしようもないほどの熱い思いが湧きおこってきたのです。
そんな気持ちになったのはひょっとしたら生まれて初めてかもしれません。
いつしか、美帆さんは憲太を強く抱きしめていました。
いえ、抱きしめたいしそれと同じくらい抱きしめられたいと願っていたのです。
それは憲太もまったく同じ気持ちでした。
ですから二人はすぐにどちらが抱きしめているのかわからないほど、強く抱きしめあっていました。
憲太の腕が肩に背中に食い込むほど締め付けられると、美帆さんは自分の心の奥の最も硬い部分が粉々に音を立てて砕かれるような、静かに溶けていくような感覚を覚えました。
それは本当にごくごく当たり前の感情です。
好きあう二人がお互いの気持ちを確かめあったのです。
言葉は何も紡がれません。
あの花火の日以来のずいぶん久しぶりに唇を重ねました。
唇が触れあうと、美帆さんの心に溢れそうなほど張りつめていた何かが堰を切ったようでした。
美帆さんは自然と溢れだした涙を憲太に見せまいと彼の小さな肩に顔を埋めて隠しました。
そのまま何度もキスを繰り返しながら、美帆さんは自然と自らパジャマのボタンを外しだし、やがてブラジャーとともに肩口からゆっくりと脱ぎ去りました。
その乳房は美しく、豊かでその重さゆえに先端が少し下を向いていましたけれど、たぷたぷとした柔らかそうなその胸には大人の女性らしい魅力を湛えていました。
憲太は夢にまで見た美帆さんの胸を目にした事で興奮がすっかり高まってしまいましたけれど、不思議と心の奥底では落ちついているようでもあります。
美帆さんは自ら憲太の手を引いて、豊かな胸に触れさせました。
その乳房の先端の乳首は既に痛いほど硬く尖っており、早く触れられるのをまっているようでした。
自然に憲太の手の平は揉みしだくように乳房に指をめり込ませると、美帆さんは想像をはるかに超える感覚の敏感さに背筋が震えるほどでした。
本能によるものなのか、あるいは精一杯の虚勢なのか、憲太はこれから起ころうとする事を怖がってはいけないんだ、と思いました。
怖気づくな、しっかりしろ。
滑稽なほど、憲太は自分を心の中で励ましていました。
美帆さんの寝室に行くと憲太に背を向けて美帆さんは残っているズボンとショーツを脱ぎだしました。
憲太はその様子を見て、覚悟を決めると一気に脱ぎ捨ててしまいました。
ふと美帆さんが脱いでいる途中で振り返ると先に脱ぎだしたはずの自分よりも憲太が先に生まれたままの姿になっています。
少年に先に脱がれたことに美帆さんはちょっとだけ変な頼もしさのようなものを感じてつい微笑んでしまいます。
ヒーターのスイッチを入れると、二人はベッドに腰掛けました。
部屋が暖まるまでの間、二人は生まれたままの姿になってベッドに腰掛けていました。
肩も腰もぴっちりと触れあい、昂った興奮もあって少しも寒さを感じません。
その体格の差だけをとってみればまるで不釣り合いな成熟の差がありましたが、二人にはもう何の関係もない事でした。
憲太は自然に美帆さんの豊かな乳房に、そして控えめな繁みに目がいってしまいました。
しかし美帆さんもまた憲太のペニスに自然と目がいってしまいます。
それは既に限界までも大きくなっていました。
生き物のようにびくびくと脈打つように震えています。
そのまま美帆さんはそっとペニスに手を重ねました。
先端は既に濡れ始め、美帆さんの指を濡らしてしまいます。
いつか見た時とは違い、もうそれを自らの胎内に受け入れる事を意識しない訳にはいきません。
それはまた憲太も同じです。
憲太にとっては生まれて初めての、美帆さんにしても夫を亡くしてからもう数年来のことです。
憲太の幼いペニスでも、少しずつ美帆さんは身体が火照り始めていくことを感じます。
好きな男性を自らの胎内で受け入れたい。
それは女性なら誰もが持っている本能的な願いと言ってもよいかもしれません。
恋焦がれてきた男の子と初めての時を迎えるにあたって、美帆さんの熱は増すばかりでした。
その夜は本当に綺麗な満月でした。
昔から月の光には人の心を惑わす作用があると言われてきましたが、この二人にもその影響を及ぼしたのかは定かではありません。
きっと二人ならきっと月が出ていなくても、導かれるようにそうなっていったでしょう。
ベッドに横たわった美帆さんの表情はもう覚悟を決め、彼岸に渡っています。
憲太ももう恐れはなくなり、今はただ目の前の美帆さんだけに集中していました。
二人の瞳にはお互いだけが映り、世界はもう二人のものでした。
窓の外には雪が優しく降り続いていました。
二人の秘め事が誰にも覗かれないように聞かれないように。
世界から二人を守る様に優しく包み込むように。
雪の降る音ってわかりますか。
既に雪が降り積もってから屋根がきしむのとはまた別物です。
真っ白な雪の結晶がシンシンと降り注いでくる時にだけ聞こえてくるあの静かな音。
二人の身体は溶け合うように一部分から一つになりました。
身体を重ね律動を早めるごとに心まで重なり始めると、ためらいがちだった美帆さんも少しずつ声が上げ始めました。
少しずつ首を浮かせるように背中を反らせた美帆さんを見ている内に、憲太もまた生まれて初めての快楽にうめくように声を漏らし始めます。
それから二人の声もベッドのきしむ音も徐々に激しさを増していきましたが、全ては雪の降る音に消えていきました。
翌朝まだ明るくなる前に憲太を起こすと美帆さんは家まで送って行くことにしました。
冬の朝の静かな町並みはよく冷えていますが、二人の頬はいまだ熱が冷めやる様子はありません。
時折美帆さんは手を繋いでいる小さな恋人を見つめます。
小さな瞳もまた自分を熱っぽく潤んだ瞳で見つめ返してくれています。
すると冷えた冬の朝だというのにさらに体温があがってくるようでした。
やがて辿りついた憲太の家の門をそっと開けると憲太は足音を忍ばせて庭を進んで行き、自分の部屋の窓をそっと開けると部屋に入り込みました。
そこまで見届けると美帆さんは少し名残惜しそうに再び一人で家路につきました。
ちょっとした罪悪感とそれよりもずっと大きな幸福感に包まれ、憲太と一緒にいたさっきまで必死に堪えていた笑みがついつい浮かんでしまいます。
寝室のゴミ箱に残っている昨夜の痕跡も美帆さんにとっては幸せな思い出を甦らせてくれますからね。
窓の外を見ると遠くの山の稜線が明るみ始めていました。
遅いと言われる冬の夜明けももうすぐなんですね。
「世界はこんなにも 最終話 ポケットが虹でいっぱい」
季節は巡り、また春が来ました。
桜も少しずつ散り始めてはいますが、まだまだ色鮮やかな時期です。
どんなに時が流れても毎年この季節は初々しい制服姿の少年少女が、美帆さんの家の前の道を通っていきます。
美帆さんが朝食の支度をしているとリビングから垣根越しに自転車通学の白いヘルメットが見えます。
憲太もそんな子供たちの一人でした。
中学進学に合わせて買ってもらった自転車は小柄な憲太にはまだ少しだけ大きいようです。
美帆さんも憲太に見せてもらった時も止まる時に足がしっかり地面に届かなくて、ちょっとふらふらしていました。
そんな様子でしたから、新しい自転車に憲太が慣れるまでは美帆さんは見ていて危なっかしくてちょっと心配でした。
とはいえそれを口に出すと憲太をスネさせてしまうために言いませんでしたけれどね。
四月の第二週の最初の日曜日。
美帆さんはいつも以上に早起きすると、早めに昼食を済ませていつかの花火の日と同じように近くの神社で待ち合わせに向かいました。
春らしい白いブラウスとベージュのジャケット、そして薄いピンク色の花が刺繍されているジーンズ姿が美帆さんらしい清潔感を感じさせてくれます。
ハラハラと散りだした桜の花びらがとても素敵な春の朝でした。
「おはよー!」
美帆さんは近づいてくる自転車を運転する小さな恋人に少し大きな声で手を振りながらあいさつをしました。
大好きな女性にそう声をかけられ、憲太もついはにかむ様に暖かな気持ちになります。
とはいえシャイな憲太は美帆さんが近くに来るまで声を出しません。
まだ肌寒い4月の朝はまだほとんど人気もないので、人目を憚る必要もありませんけれどね。
素っ気ない幼い恋人の態度でしたけれど、それでも美帆さんはちっとも不満ではありませんでした。
自転車を運転しながらも美帆さんの姿を確認していた憲太はずっと美帆さんに近づくまでの間ずっとキラキラと微笑みながら見つめてくれましたからね。
「それじゃあ行こうか?」
「えぇ。…でも、本当に大丈夫?けっこう遠いみたいだけれど…」
「大丈夫だよ。自転車にももう慣れたし。ほら、後ろ乗って」
美帆さんの気遣いにも、まるで自分の力を疑われたような気になった憲太はちょっとぶっきらぼうな言い方をしてしまいます。
憲太がそういう無愛想な話し方をする時は大抵子供扱いされたような思いを抱いた時です。純真な少年のプライドを傷つけてしまったと美帆さんも反省します。
(いけない。ちょっと傷つけちゃったかも)
美帆さんは憲太の機嫌を直そうと、気を取り直して努めて明るくして自転車の後ろに跨って腰掛けました。
「じゃあ…よろしくお願いね」
そこには事前に憲太が用意してくれたクッション代わりの座布団が巻きつけてあります。
当面は大丈夫かもしれませんけれど、長い時間乗っていては多分お尻が痛くなってしまうでしょう。
それは美帆さんも想像できましたが、もう約束した事ですからね。
美帆さんが座るのを待ってから憲太もサドルに腰掛けると、美帆さんは声をかけました。
「道は大丈夫?」
「一応ネットで地図をプリントアウトしておいたけど、国道に出たら後は真っ直ぐだよ」
話しながら足でペダルをまさぐるように確かめる憲太。
慣れた口ぶりとは違ってまだ自転車が自分の脚になるほどには慣れていないようです。
美帆さんはそう思いましたけれど、口には出さない事にしました。
「それじゃあそろそろ出発するね?」
そう言うと憲太は立ちあがって漕ぎだします。
一瞬自転車が左右にゆらめくように揺れました。
ちょっと慌てて美帆さんは両手で憲太の腰のベルトを引っ張らないように掴みました。
小さな弟を後ろに乗せてあちこちに出かけてきた憲太にとっては後ろから掴まれるのも慣れたものです。
いくら小柄でもお兄ちゃんですからね。
自転車は揺らぎながらも前に進もうとする推進力ゆえに倒れずにそのまま加速を始めます。
とはいえ、やっぱり美帆さんはちょっと憲太よりも大きくて、体重も(身長の関係上仕方ないのですが…)運転手の憲太よりも重いためあんまり思うような加速は出来ません。
それでも憲太は懸命に漕ぎ続けます。
美帆さんはあんまり立ちあがられると掴みにくいため、このままだとちょっと大変かなぁ、と思っているとようやくスピードが乗ってきたのか憲太はようやくサドルに座ってくれました。
ちょっとほっとした美帆さんはそこで憲太の小さな背中にもたれるように密着しました。
まだミルクのような石鹸の匂いのする小さな背中です。
肌寒い春の風を頬に受けても、憲太の暖かさをもらうようで冷え症の美帆さんはまるで寒さを感じませんでした。
そのまま寄り添うように憲太の背中にぴったりとくっついてしまいます。
憲太も背中に美帆さんの身体の柔らかさと暖かさを感じながら、小さな自尊心と幼いながらも立派な責任感を小さな胸いっぱいに感じていました。
うららかな春の風を受けながら、ふと美帆さんはあの雪の日の事を思い出しました。
夫を亡くしてから初めて違う男を受け入れたあの日。
幼い憲太に躰を許して、一つに溶け合ったあの夜の事です。
二人はあれから何度も…ほとんど毎週日曜日の午前中に、同じように睦みあっています。
何度抱かれても、幼い憲太と抱き合う事は美帆さんに幸せと充実感を感じさせてくれます。
少しずつ慣れてきたのか、憲太も少しくらいは余裕が出来てきたのか、その細腕で腕枕さえしてくれるようになっていました。
間もなく、美帆さんを意識的に絶頂させることも出来るようになるかもしれません。
今はまだ、終始美帆さんがリードしていますけれどね。
どちらにしても美帆さんにとって、目下の人生で最大の楽しみは憲太と過ごす休日の一時です。
それは、たとえいくつになっても、女性なら変わらない事なのでしょう。
自転車はゆるゆるとした速度のまま小春日和の町を走り抜けます。
普段ならこんなにゆっくりした速度で自転車を走らせる事はありません。
しかし(当然ですけれど…)大人の女性である美帆さんと憲太の小さな弟とではワケが違います。
当然ペダルを漕ぐ重さもいつもとはずいぶん違います。(それはもちろん美帆さんには決して言えない事でしたけれど…)。
本格的に疲れが来る前にペースを掴んでゆっくりでも確実にばてないように進むしかありません。
走り出してすぐに愛しの恋人の重さを悟った憲太は静かにそう決心していたのでした。
太陽が昇り始めると国道を走り続ける自転車のすぐ右側には眩しい光が溢れていました。
真っ白にも見えるくらいに薄らとした青の海が広がっています。
「わぁ…綺麗ね」
眼前に広がる海に美帆さんは声を上げました。
とはいえもう1時間以上も自転車を漕ぎ続けている憲太にはそんな言葉もちょっと遠くで聞こえる思いだったでしょうけれどね。
憲太の着ているTシャツの背中がうっすらと汗ばんでいることからも、もちろん美帆さんだって彼の疲れは分かっています。
それでもこの海の美しさから受けた思いを二人で共有したかったから、思わず声を上げたのでした。
「ん~…潮の匂いがするわね」
「うん、もうすぐそこだから」
「海に入れるかしら?ちょっと足だけでも…」
「まだ寒いから…足を浸けるだけでも、多分まだ早いと思うよ」
「そう…なら浜辺でデートだけね」
あえてデートという言葉を使ってみた美帆さんでしたけれど、憲太はまだそんな単語についドキッとしてしまうほど初心です。
それでも美帆さんが満足そうに悪戯っぽく微笑むと憲太の疲れも緩やかに癒されるようでした。
風はますます潮の匂いを濃くしていきます。
運転手の憲太はかなり疲れてきてしまっているようですので、もしかしたら帰りはバスに自転車を積んで帰ってきた方が良いのかもしれません。
そう美帆さんは思いましたけれど、もしそれを言ったら憲太はきっと意地でも美帆さんを後ろに乗せて自転車を漕いで帰り道を行こうとするだろうと思いました。
憲太は美帆さんと結ばれてからというものの、憲太は元来の素直さとは別にそうした子供っぽい意地のような芯の強さを見せるようになってきていましたからね。
そうした芯の強さを憲太が見せ始めた事は美帆さんにとっては微笑ましく、時に少しだけ寂しく、それでいてちょっとだけ頼もしくも感じます。
だからこそ憲太は10キロも離れた海まで美帆さんを自転車に乗せて連れて行くなんてデートを口にしたのでしょうし、美帆さんもOKしたのでしょう。
美帆さんにとってはそうした憲太の思いが重荷にならないかとも思いますけれど、どうしようもないほど嬉しさもこみ上げてくる事も確かなのです。
ですから憲太が疲れてしまっている事は分かっているけれど、運転を替わろうかとかバスに乗ろうよなんて憲太が怪我でもしない限り言わないようにしようと美帆さんは決めていました。
時間はたくさんあるのです。
疲れたら休んで、またゆっくり走りだせばいいんです。
少しずつ波音がより近づくごとに大きくなるよう聞こえてきます。
その音に勇気づけられるように憲太はペダルを漕ぐ力に強さが戻りました。
小柄で内気な少年には似合わない力強さを見せだした憲太に美帆さんはちょっと意外に思いましたけれど、やがて自らの身体を小さな背中に預けました。
海の匂いを帯びた爽やかな春風が美帆さんの長い髪をさらさらとそよがせると、二人は一つに溶け合ったように身を寄せ合います。
目的地に近付いた自転車は滑る様に走って行きます。
近づいてきた海はキラキラと午前中の太陽の光を波間に反射して光っていました。
砂浜に人影は見当たりませんでしたけれど、ずっと遠くにゆっくりと小さな船が動いています。
目の前に映る世界は確かに動いているのに、一瞬一瞬がまるで映画のフィルムのようにあるいは絵画のように見えるほど美しく切り取られた風景です。
何もかも煌めくように見えるけれど、二人はちっともそれが不思議に思ったりはしません。
恋をしていると世界はこんなにも美しいのです。
その事を美帆さんはそのことをずいぶん久しぶりに思い出しましたし、憲太は生まれて初めて知りました。
年の差は二人の経験の差を如実に表しますが、今の二人にそれはあんまり関係のないことです。
今、二人は同じ風景を見ながら、同じように潮風を頬に受け、同じ事を感じていましたからね。
美帆さんは鼻をこすりつけるように小柄な少年に押し付けると全身で憲太の背中の暖かさと力強さを胸一杯に感じます。
少し勢いを取り戻した自転車を風に舞う桜の花びらが祝福するように包み込みました。
完
スポンサーサイト


それはある五月のよく晴れた日の事でした。
いつものように憲太が家を出て学校に向かう途中のことです。
毎朝通学路の途中にあるその家の前の通るとよく吠えてくる犬がいました。
その犬は人間みたいな名前ですけど、コージという名前です。
飼い犬ですし、吠えるだけで噛まないのでよっぽど大丈夫です。
とはいえ興奮した様子のその犬は子供にはちょっと怖く感じますし、低学年の子は怖がってしまい、集団下校の時は憲太が付き添って回り道をするくらいでした。
しかしその日に限ってはまったく何の物音もしなかったのです。
不思議に思い、憲太が生垣の隙間からそっと覗きこんでみるとそこにはおばさんがしゃがみこんでいました。
そのおばさんは憲太も知っている人で、憲太の母憲子とは一緒にたまに喫茶店にも行く仲なのです。
名字は知らないけど、憲太の母は美帆さんと呼んでいます。
美帆さんは若くして旦那さんを亡くしている事もあってか、たまに家に来る事もあったので、憲太も会えば挨拶くらいはしています。
美帆さんの飼っている犬のコージという名前もその亡くなった旦那さんが関係しているということをちらっと聞いたことがありました。
「あ、おばさん」
「あら、憲ちゃん」
そう言っておばさんは立ち上がりました。
「どうしたの?」
「ううん、犬が鳴かないからいないのかなって…」
よくよく見るとおばさんは犬小屋を覗きこんでいるのでした。
その奥は薄暗くて良く見えないのですが、たしかにいつもよく吠えてくるあの大きな柴犬でした。
「あぁ、この子は今朝からちょっと具合が悪いのよ。普段はこんなじゃないんだけどねぇ…ご飯も食べなくて」
「そっかぁ…」
普段は通るだけでうるさく吠えてくる存在だったけど、いなければいないで寂しいものなんです。
不思議ですね。
「憲ちゃんは学校に行かなくていいの?」
「あぁ…うん。行ってきます」
そう言って憲太はいつものように学校に向かいました。
最上級の憲太にとって、朝は低学年のチビ達を引率する役目があるのです。
いくら犬が心配だからといって、遅くなってはみんなに迷惑をかけてしまいます。
そんな憲太の役割を分かっている美帆さんはその背中をニコニコと微笑んで見送るのでした。
時は流れて夕暮れ時です。
よく晴れた日で、5月だと言うのにちょっと歩くと少しだけ汗をかいてしまいそうな日です。
パートの仕事を終えて午後4時頃に美帆さんが帰ってくると庭に小さな訪問者が来ていることに気付きました。
見覚えのある小さな背中。
「あら…来てたの?」
「あ…うん。食べるかなって。パン…」
見てみるとそれは小さく千切った食パンでした。
給食で出たのでしょうか。
それとも一度帰って家から持ってきてくれたのでしょうか。
美帆さんはそういうものをコージは食べないとわかっていました。
よく吠えるコージは粗野なようで、美帆さんが作ったもの以外はなかなか食べてくれないのです。
しかし憲太の優しい気持ちが嬉しかったのでそれは言わない事にしました。
憲太は今どきの子供らしくちょっと物静かでしたが、素直で美帆さんは良い印象を持っていました。
美帆さんの亡くなった旦那さんと少しだけ似ている優しい眼差しを憲太に感じ取っていたのかもしれません。
その優しい眼差しが錯覚ではなかったとコージを心配してくれている憲太の様子を見ていると再確認できて何だか嬉しくなってきました。
「多分お腹を壊しているんじゃないかな?…ご飯食べられないんだし…」
「そうかしらね。特に変なものは食べていないと思うのだけど…」
心配そうにコージを見つめている憲太を見て美帆さんはふと思いつきを口にしました。
「あ、そうだ。せっかく来たんだからお菓子でも食べていく?」
「えっ…でも…」
「お母さんには私からメールしておくから。ね?」
「う、うん…」
美帆さんの家に初めて憲太は上がりこみました。
「おじゃまします」
一応靴を脱ぐときにそう言いましたが、この家には美帆さんしかいないと気付くと憲太は何だか自分がひどく子供っぽく思えました。
案内されたのは良く片づけられた洋風の部屋です。
綺麗なソファにガラステーブル。
ソファはふかふかですし、美帆さんが出してくれたジュースのグラスもなんだかワインを入れるようなオシャレな形をしています。
どうも憲太の家のような雑多な感じが全然ありません。
(憲太の母である憲子さんの名誉のためにいっておきますが、憲子は憲太や憲太の弟など子供がいるからこうした壊されそうな豪奢な家具は使わなくなったのですよ。)
ストローの通されたジュースを飲んでいる憲太を美帆さんはニコニコして見つめています。
この小さな訪問者と二人きりで午後のお茶をしている事がなんだか可笑しくて仕方ないのでしょうか。
風はやさしく、あくまでも穏やかです。
一方憲太は大人の女性と二人きりになることが何だか気恥ずかしくて仕方ありませんでした。
憲太の母憲子も同級生の中ではなかなかの美人だと言われてますが、美帆さんはちょっと雰囲気が違います。
独身で子供がいない、という事もあってかおばさんと呼んでいながらも、どうもおばさんっぽさがないのです。
ふと憲太は美帆さんを見ました。
憲子よりも細身ですが、それでいて出るとこは出ていて、また引っ込むところは引っ込んでいます。
(これも憲太の母である憲子さんの名誉のためにいっておきますが、憲太を含めて2人の出産を経た彼女にとっては自身の体型維持よりも育児に力を注がねばいけないのですよ)
(あっ…)
憲太は一瞬どきっとしてしまいました。
美帆さんの穿いているスカートの隙間から白いものがちらっと覗いてしまったのです。
幼い憲太はチラリズムの美学などというものにはまったく縁がないでしょうから、動揺ははっきりと出てしまいました。
「どうしたの?慌てなくていいのよ?」
優しく包み込むような美帆さんの声。
慌てて憲太は目線を反らしましたが、動揺は収まりませんでした。
鼓動が早くなり、その鼓動に誘われるようについまた見たくなる衝動に駆られるのです。
憲太は母憲子が愛情をたくさん注いで育てた優しい良い子ですが、かといって男の子である事に代わりはありません。
憲太だって衝動には襲われるし、時にその衝動に負けてしまうのです。
再びちらりと視線を送ってしまうと、やはり美帆さんのスカートの隙間から白い三角地帯が覗けていました。
まあ、憲太も高学年にもなりますからそんな衝動は健全極まりないものですね。
(もしかして…)
ふと思い当った美帆さんは足を組みかえると、それに合わせたように憲太も目線を逸らしたり、そっと送ってきたりします。
(やっぱり…もうっ!)
「ふふっ…憲ちゃんももうそんな年頃なのね」
ちょっと残酷な仕打ちをしてみる美帆さん。
自分の下着を覗いていることに気付いた美帆さんは少年を泳がせる事もなく、すぐにすくいあげてしまいました。
覗いてる事を指摘されると驚いたような表情で顔を伏せる憲太。
「もう…エッチね。お母さんに言いつけちゃおうかしら」
追い打ちをかけるように言葉を続ける美帆さん。
今頃は憲太の小さな胸の中いっぱいに、きっと少年特有の自己嫌悪に襲われているのでしょう。
ちょっと可哀想ですが、美帆さんだって子供だと思っていた憲太に下着を覗かれている事に気付かれた時は驚いたし恥ずかしい!と思ったのです。
これも憲太が大人になるにあたって通らなくてはいけない道でしょうね、きっと。
とはいえ美帆さんはそんな健全極まりない衝動にそうですか、と言ってくれるほど少年の性衝動に寛容ではないのです。
「ごめんなさいね。意地悪しちゃったわね」
数分間の無言の圧力にさすがにやりすぎたかと美帆さんも反省しました。
憲太は涙目になってしまっています。
少年の柔らかい心にはこの数分間の痛みは大変なものだったのでしょう。
この辺は子供を育てた事のない美帆さんには分かりにくいさじ加減だったのです。
「私も憲ちゃんが下着見てるなんて思わなかったから、驚いちゃったの。ね、いいのよ」
そう言っても憲太はまだ顔を伏せたまま美帆さんに向こうとはしませんでした。
「女の人に興味がある年頃だもんね。だからいいのよ?ほら…顔を上げて…」
ゆっくり美帆さんを見上げる憲太。
目は少し赤く腫れていて、ちょっとだけ可哀想になってしまいます。
「あぁ…泣かないで…ほら、…ごめんねぇ」
謝られれば謝られるほど、憲太は何だか申し訳なくなり、この場からいなくなってしまいたい気持ちになります。
謝られるのは少年にとって自尊心を傷つけられることなのです。
結局泣きだしてしまった憲太を泣きやませるために気付けば美帆さんに抱きしめられていました。
どちらかといえば小柄な憲太にとってどちらかといえば背の高い美帆さんは頭二つ分は高いため、それこそ卵を抱きしめるように美帆さんの腕の中で包みこまれるようでした。
美帆さんにとっては泣きやませるためだけのちょっとした行動だったのですが、憲太には刺激の強すぎる行為だったのでしょう。
「あっ……………」
憲太と美帆さんの二人の呟きは重なるようでした。
憲太が美帆さんの匂いと柔らかさ、温かさを感じる内にごく自然にペニスは硬く膨らみ始めました。
未成熟なペニスは熱く震えるほどに昂り、半ズボンの前を突き破るほど勃起するとすぐに美帆さんの太股の辺りにぶつかり弾力を持ってその存在をアピールしだしました。
高学年にもなればもちろん珍しい事ではありません。
憲太も他の同級生と同じように自慰を覚えたての頃ですから、なおさらでしょう。
しかし憲太は美帆さんの前でそうなってしまった事がショックでした。
綺麗な優しい美帆さんに嫌われてしまうのではないか…そうよぎると憲太にはどうすることも出来ませんでした。
「私びっくりしちゃった…憲ちゃんがこんななるなんて…まだ小さいと思ってたのにね」
美帆さんの声も知らずに上ずっていましたが、そんなことは憲太には分かるはずもなかったでしょうね。
そのまま抱きしめるほど、ビクンビクンと熱く脈打ち美帆の太股を火照らせます。
いかに幼いといえど、美帆さんは自分の太股にぶつかってくる熱くて堅いモノが何なのか想起しないわけにはいきませんし、想起してしまえばなかなか冷静でいる事は難しいものなのです。
「ね…憲ちゃんの見せてくれない…?」
秘密めいた言い方をする美帆さんに憲太は少しだけ怖いような印象を持ちました。
しかし返事を待たずに美帆さんは短パンのホックを緩めると白いブリーフごと下ろしてしまいました。
「わぁ…」
それはごくごく自然に出た美帆さんの感嘆の声です。
(熱い…それに硬い…)
少しだけ手に触れていた感触が美帆さんの頭の隅から離れなくなってしまいます。
美帆さんは自分で自分が怖くなるようでした。
戸惑ったような怯えたような表情で美帆さんを見つめる憲太。
それでも自分が止められなくなってしまっているのです。
「ねぇ…憲ちゃん触っていい?触らせて…ね…?いい…?」
熱っぽい美帆さんに当てられてしまったのでしょうか。
憲太が小さく頷くのを見るとすぐに美帆さんはそのペニスに手を伸ばし包むように硬さを確かめたり熱さを手のひらから感じ取ったりしました。
そして美帆さんにとってペニスと同じくらいに興味を持っている憲太の幼い精子を作りだすところにまで指を伸ばしました。
小さく縮こまっているのは委縮しているからでしょうか。
それでも美帆さんはその中でたしかに雄の証が存在している事を感じずにはいられませんでした。
子供を作れない体質だった旦那さんだったからなおさらのことでしょうか。
憲太は生まれて初めて他人から与えられる性的な快楽に震えていました。
「あっ…」
憲太が自分のそこから生まれて初めて射精した事に自分で驚きの声をあげました。
自慰をしても絶頂するだけで射精する事は今までなかったのですから。
それは本当に少年を射精に導いてしまった、という美帆さんの感嘆にも重なってました。
もっともそのことに憲太が気付くことはありませんでしたけどね。
何しろ精通により、精子で美帆さんの手の平からを汚してしまったというショックでいっぱいでしたから。
「ぅ…ごめんなさい…」
「ううん、いいの。拭けばいいんだから…大丈夫だからね」
小声で謝る憲太に、なぜか罪悪感を覚えてしまった美帆さんは急に慌てたようにティッシュで拭きとりました。
「ほら…これで大丈夫。ね?」
ズボンを上げて、乱れた憲太の髪を直してあげるとようやく憲太の瞳の涙が止まったように見えました。
そこでようやく美帆さんもほっとしました。
別に美帆さんだって決して悪い人ではないのです。
それにもし憲太とこんなことをしたのがバレたら間違いなく彼女の方がまずいわけですからね。
「お母さんには言っちゃだめよ?」
別れ際の美帆さんの秘密めいた言葉は憲太の頭の中を一週間もぐるぐると回り続けたのでした。
「世界はこんなにも 相合傘」
雨が降り止まない7月のことです。
美帆さんはいつものように仕事を終えてから買い物を済ませると、いつものように飼い犬のコージに夕飯をあげるために早めの家路に着きました。
途中ではまだ小さな黄色い傘の集団が目につきました。
美帆さんと近所の小学校の帰宅時間は似通っていますので、しばしば通学路を通る児童達が目につきます。
子供たちは水溜りを飛び越えたり、時にバシャバシャと音を立てて走ったりしています。
大人にとっては憂鬱なだけの雨でも子供たちにとってはこれも遊び場になるのですね。
美帆さんはそんな無邪気な様子に目を細めていました。
今は亡き旦那さんとの間に子供は残せませんでしたが、子供は好きでした。
それにかつては美帆さんも子供たちのように水溜りを見るとバシャバシャと男の子に交じって遊ぶような女の子だったのですからね。
(あ…)
一瞬お互いの目線が合いました。
言うまでもなく、児童の中の一人。
美帆さんだということに気付くと憲太は軽く会釈をしました。
ちょっと大人びた反応がよく躾けられてきた良い子なのを感じ取り美帆さんはにっこりと微笑みます。
美帆さんとしては何の気もなしの反応だったのですが、憲太にとっては美帆の笑顔は直視するにはあまりに照れてしまうほど綺麗なのです。
少し慌てたように憲太が目を逸らすと、美帆さんはその反応にも少年らしさを感じて嬉しくなります。
その少年は美帆さんの友人である憲子の一人息子である憲太でした。
まだ子供だと思っていた憲太も集団下校の輪の中に入ると最上級だけあって、背も高くて落ちついているように見えます。
お兄さんとして弟や妹のような低学年の子供たちが事故に合わないように目を光らせていないといけないのですからね。
ついこないだの様子を思うと、ずいぶんしっかりしているものだと感心しました。
他の子たちと別れ、憲太が一人になるのを待ってから話しかけます。
「偉いのね。小さな子達をしっかり引率して」
「…ううん。別に…そうでも」
どこか素っ気ない憲太の反応。
5月に二人で秘密の時間を過ごしてからいつも憲太はそうなのでした。
美帆さんも常識ある大人ですからあれから自分のしたことを反省し、思い出すと子供相手にあんな事をと赤くなるような思いをしたのですよ。
そして大人らしくなかったことのように接しようとしているのに…とはいえ憲太はまだまだ子供だから切り替えられなくて仕方ないことですけどね。
学校の事、勉強の事、部活の事…美帆さんが聞いて憲太が答える会話です。
雨は降り続き、二人の声はよほど近くにいない限り聞こえないくらいでしょう。
憲太のどこか素っ気ない態度が美帆さんは(美帆さんも自覚していませんが)ちょっとだけ不満でした。
(あんな秘密を共有しているというのにっ!)
憲太は美帆さんの態度に少し困っていました。
二人並んで歩いているはずなのに、美帆さんはどんどん近寄ってきます。
「相合傘…ね?」
ふと憲太が見上げると美帆さんはにこりと微笑むとそう言いました。
傍から見たら二人はきっと親子にでも見えてしまうのでしょう。
背の高さはまだ美帆さんの方が勝っていますし、いかにも落ちついた雰囲気ですからね。
憲太の母親である憲子は少し派手目な事もあって(憲子いわく息子と姉弟に見られる事が目標だそうですよ)、親子というより友達感覚で付き合う事もあるのです。
それに比べて美帆さんは憲子よりも少し年下なのに、より母親らしく落ち着いていて品の良い雰囲気があるのです。
憲太はあまりに近寄ってこられるので、自分の心臓がバクバクと破裂しそうなほど高まってることが気付かれてしまうのではないか心配でした。
でも冷たい雨でもお互いの体温が感じられるほど、寄り添っていると何とも言えない安心感に包まれます。
それは母親である憲子でも感じられないほどの。
何でこの人にはこんなに安らぎを感じるんだろう?
そしてなぜこの人を見ていると胸がどきどきするのだろう?
おそらく相手が美帆さんでなければ、憲太も自分が恋をしたと自覚するのかもしれません。
でも美帆さんと自分の年齢差を考えたら、それはないことだと思います。
美帆さんは大人で、自分は子供です。
誰もがそうだと思いますが、子供は自分がいつか大人になるという事が具体的にイメージする事は出来ないのです。
イメージ出来ない以上あまり考えても仕方ないので憲太はそこで自分で自分の思考を終わらせてしまいました。
でも…それは美帆さんも同じだったのですよ。
「世界はこんなにも summer vacation」
日本に生まれ育った少年少女にとって一番憂鬱な時期。
それは8月20日を過ぎてから10日間をおいて他ならないでしょう。
どんな楽しいことだっていつまでも続かないものですよね。
7月には永遠に続くかと思われた長い夏休みもいつかは必ず終わりが訪れます。
どんな夢見がちな子供でも世の儚さをこうして知るわけですね。
だいたい8月20日くらいを境に楽園が崩壊するカウントダウンが始まるのでしょうか。
カウントダウンが終わればもちろん一か月も休んだ代償を支払わなくてはいけません。
言うまでもなく、夏休みの宿題たちです。
きちんと毎日少しずつやってさえいればたいした事もないのですけどね。
毎日1ページ程度やっていけば終わるくらいの夏休みのワークブック。
おそらく子供達にとって一番最初に原稿用紙と出会うきっかけとなる読書感想文。
そして夏休みの宿題のメインとも言える自由研究。
膨大なようでいて、挙げてみればこれくらいなのですよ。
ちょっと遅い子供は8月20日になるまでろくにやってない子もいるでしょうし、さらにものぐさな子供は25日を過ぎるまで始めない子供もいます。
中には何もやらないまま9月1日の朝に登校する大物もいるようですね。
いえいえ、もちろん憲太は良い子ですので遅くとも8月20日までには全て終わらせているのが毎年の常なのです。
しっかりやっておかないと母親の憲子が許してくれないので遊びにも行けないし、9月の誕生日にはプレゼントがもらえなくなってしまいますからね。
しかしたとえ宿題をしっかり終えていても長い夏休みが終わる、ということはやっぱり一抹の寂しさは感じます。
毎年なんとなく寂しげに聞こえるひぐらしの鳴く頃にはどうしようもないほどの喪失感を覚えますからね。
とはいえ、今年の憲太にとって夏休みは例年よりも特別なものでありました。
それは彼にとって一生忘れられないとある事が起きたからなんです。
8月15日。
幼い憲太も遠い昔に何が起こったのかくらいは知っています。
この日はテレビでは朝から戦争の記憶を特集したドキュメントが溢れますよね。
テレビの映画さえも「火垂るの墓」など戦争をモチーフにした作品が流れますから。
8月15日は年中喧しい日本も一年間でもっとも静かな一日を迎える日です。
憲太はもちろん憲太の母である憲子もまだ生まれていなかった遠い昔、日本が戦争に敗けた日です。
憲子は両親が広島の生まれでしたので、自然とその影響を強く受けて育ちました。
そしてそれは憲子の息子である憲太にも同じことです。
そうして考え方というのは世代を超えて受け継がれていくのですね。
憲太の家は毎年お盆の時期は帰省していました。
両親とともに憲太と憲太の弟である憲人の四人家族全員で広島の憲子の実家に帰省することが毎年恒例です。
憲太の一家が暮らす新興住宅地では引越してくる家族が多いから珍しくない事ですけどね。
広島で暮らす憲子の両親はまだまだ元気です。
そして彼らも成長した孫の顔を見られるお盆を毎年心待ちにしているんですよ。
神奈川県に生まれ育った憲太にとっても広島で過ごす日々はとても新鮮で、また祖父母の話す言葉もまるで外国語のようにも思えたものです。
小さな頃から毎年行ってるのに未だに祖父母や地元の人が向こうの言葉で話していると、何を話しているのか憲太にはまるで分からないんですけどね。
「それじゃあ…お母さん達は先に行ってるからね」
「明日は朝いつまでも寝ていないこと」
「ラジオ体操には行くこと」
「庭の花には水をあげておくこと」
「お菓子の買い食いしないこと」
「夜更かししないこと」
「外出する時は家の鍵は必ずかけること…」
細々とした憲子の言葉にちょっとうんざりしながらも、まだ反抗期が始まっていない憲太は頷きます。
こうも母親から細かい事をくどくど言われたら数年後には頷きもしなくなるかもしれませんけれど、ね。
そうです。
今年はお盆の前の二晩だけ憲太は初めて一人で留守番をすることになったのでした。
というのは今年の8月15日に憲太は県の市民会館で開かれる終戦記念日の式典で作文を披露することになっていたからです。
しかし今年は17日には憲太の父の仕事が始まるため、お盆の日から出掛けてはたった二日間しか滞在できないのです。
やはり憲子の両親も年に一度の事ですから、娘の家族が二日間しか滞在できないのでは寂しがらせてしまいますものね。
そうした訳で今年に限って憲太は一人だけ遅れて出かけることになったのです。
それは今年の6月の事でした。
授業の一環で戦争をテーマに作文を書く事になったのです。
その中で憲太の書いた作文が先生の推薦を受け、コンクールに応募すると県の最優秀作品に選ばれたのです。
学校であまり目立つ機会のない憲太だっただけに、大変面映ゆい気持ちになったものです。
そして終戦記念日に県の式典で憲太が最優秀作文の作者として朗読する、という運びになったのでした。
おとなしく、目立たない子供のようでも本が好きな憲太にとって作文は決して嫌いではありませんでした。
とはいえ、良いことでも目立つのが嫌いな現代っ子らしくそうした場で朗読するのは気が重いのも事実でしたけどね。
良きにつけ悪きにつけ、出る杭は打たれるのが常ですから目立つことは現代の子供社会の中では死活問題なのです。
大人の目から見て実に窮屈で仕方ないと思いますけど…これも時の流れでしょうか。
だからこそ当日の会場はクラスメイトや後輩達もいないのが憲太にとっては救いなくらいでした。
一方憲子にとって息子がそういう賞を受賞した事が大変自慢でした。
今までこうした表彰などを受けた事がなかったからかもしれません。
もっともそんな賞なんてなくても、自分の息子である憲太のことを憲子は深く深く愛していますよ。
別に人より優れていなくても心優しく元気に育ってくれたら良い、と憲子も心から思っていましたからね。
それはどんな親だって思う事で、子供は元気で健やかに成長する事が何よりなんですよね。
とはいえ、やはり息子が人に認められる事は母親として大いに鼻が高い事なのです。
世の母親というのはたいていそうしたものでしょうね。
ですから大切な長男に二晩だけ自宅で留守番をさせることになってしまっても、そうした晴れの舞台に立って欲しいと思ったのでした。
憲太もまた母親が自分の受賞を喜んでくれているのを心の中ではとても嬉しく思っていました。
そのためあまり気が進まない式典で朗読をすることに決めたのです。
その後、式典が終わってから午後には駅から新幹線で家族の後を追うことになったのです。
8月13日の朝。
両親と弟が先に広島に出発するのを憲太は玄関で見送りました。
母親の憲子が別れ際に寂しげで心配そうな顔をしていたので、憲太も少しだけ心細くなります。
いくらわかっていたとはいえ、自分の家で一人きりになるのはなかなかないことです。
バタンとドアが閉まると、急に静まり返った家がやけに寂しく、そして怖くも感じました。
父の運転する車の音が聞こえなくなると憲太は自分の部屋に戻りました。
まるで一人暮らしのようですが、何の物音もしない家で留守番というのは置き去りにされたような気持ちにもなってしまいます。
なんとなくつまらない気持ちになった憲太はベッドに横たわると、携帯電話を取り出しました(憲太も今どきの小学生ですからね。携帯電話くらいは持たせてもらっているんです)。
それは少し時間が遡って7月の話です。
梅雨で降り続いた雨が引きよせた事なのかもしれません。
ある日の下校途中に憲太は近所に住む母の友人の美帆さんと二人で帰る事になりました。
いえいえ、それどころかふとしたことから美帆さんと相合傘で寄り添うように歩いたのですよ。
美帆さんは母憲子よりも少し若いとはいえ、それでも30をいくつか回っています。
そんな二人が一つの傘に入って歩くというのはなんとなく不思議なことのように思えるかもしれません。
しかし、それから時折下校の時に二人は一緒になることがありました。
ううん、違いますね。
憲太は美帆さんとなるべく一緒に帰れるように、美帆さんはなるべく憲太と一緒に帰れるように無意識でお互いの姿を探すようになりましたから。
もっとも無意識ですからその事を二人は自覚さえしていませんでしたけどね。
そして一学期の終業式の前日のことです。
その日も憲太は美帆さんと二人で帰る途中でした。
雨は降っていませんでしたが、美帆さんは日傘をさしていたためまた相合傘のように寄り添って歩きました。
二人で帰るのも少しずつ慣れてきていたため、初めての時と違って一方的に美帆さんが聞いて憲太が話すという事もなくなっていました。
美帆さんも少しずついろんな話を憲太にする様になっています。
あまり自分の事を話さない大人しい女性だと憲太は思っていましたので、ちょっとだけ意外に思いました。
けれど憲太からみたら美帆さんの別の一面を知って、憲太は自分だけの秘密が出来たようで少しだけ密かな優越感を覚えます。
美帆さんは山梨の出身だったため子供の頃山で遊んだ話や初恋の人の話もしてくれました。
もっとも美帆さんの初恋の人の話を聞いている時、憲太はなんとなく嫌な気持ちになりましたけれど…。
もっともその何とも言えないもやもやした気持ちの正体は憲太にはまだ分かりませんでした。
自分が今誰かに妬いているなんてそんな自覚は小学生には難しいでしょうし、美帆さんもそんな憲太の嫉妬には気付くことはありませんでしたけどね。
それでも一緒にいる時間が増えることで二人から少しずつ固さは消えていったのです。
一緒にいる間憲太も少しは美帆さんを見つめる事が出来るようになりました。
そしてすぐ隣にいる美帆さんにを感じるたびに胸が高鳴るのを何度も自覚するようになっていきました。
美帆さんもまだ幼さの残る憲太の表情と、時折見せる大人びた優しい瞳や気遣いを感じるとついつい目尻が下がってしまいます。
その日もごく自然に美帆さんの仕事の話やテレビの話、天気の話もしていました。
終業式を翌日に控えた通学路というのは実に気楽なもので、自然と足取りも軽く口も滑らかになります。
それでも憲太にとってはあまり嬉しいことばかりではありませんでした。
しばらく学校もお休みになるという事は美帆さんともしばらく逢えなくなるという事です。
それがなんとなく悲しいような気がして、ふと会話が途切れた時に憲太は黙り込んでしまいました。
その時美帆さんが急に思いついたようにバッグから携帯電話を取り出しました。
「…憲ちゃんのメールアドレス教えてくれる?夏休みの間なかなか会えなくなっちゃうから、そうしたらおばさん寂しいじゃない」
美帆さんはにっこりと微笑んでいました。
照れている、という感じではなくそれは本当に大人の女性の余裕の笑みという感じです。
メールアドレスを聞かれたこと自体は嬉しい事でした。
でも自分の事なんてちっとも異性として意識されてないな、とも憲太は思いました。
その事で憲太の胸はチクリと痛みました。
品があって落ちついた印象の美帆さんですが、その時は向日葵のように明るく輝いた笑顔なんです。
その陰りのない明るい笑顔がなんだか少し悲しく感じて、憲太は早く大人になりたいと願ったのでした。
いえいえ、本当は憲太が気付けなかっただけで本当は美帆さんの笑顔は強張っていたのかもしれません。
バッグから携帯を取り出す時手が震える思いだったこと。
メールアドレスを聞くときに勇気を出して声を絞り出したこと。
それら一連の動作を必死で抑えて何気ない様子を装ったことなんて、きっと鈍い憲太は一生気付かないでしょうね。
往々にして女性の努力に男性は鈍感なものですけれど、二人くらい年の差があったらなおさらなんでしょう。
そして夏休みに入ってから二人は毎日ちょっとずつメールを交換するようになりました。
もっとも今どき携帯なんて高学年ともなればもってない子の方が少ないのです。
既に憲太の同級生(特に女の子ですけどね)は携帯がないと不安で仕方ない、なんて子もいます。
中には授業中でも構わずに何度も携帯を取り出してはメール交換を誰かとしているような携帯依存の女の子もいます。
それに比べると憲太は高学年になってから買ってもらったため携帯こそ持っていましたが、ほとんど誰かとメールする事なんてありません。
一番多くメールを送りあう相手は母親の憲子で、それも大抵帰りが遅くなりそうとか1行だけの素っ気ないものでした。
美帆さんは家に帰ってから自分の携帯を開くと、さっき教えてもらった憲太のメールアドレスがたしかにそこに残っていました。
美帆さんは自分のしたことなのに自分で驚いています。
男の子にメールアドレスを聞いた事なんて生まれて初めてでした。
玄関の戸を閉めると抑えていた動悸がますます高まり、なんとか息を落ちつけようと深い息を吐きます。
kenken―@×××.com
それが憲太のメールアドレスです。
そうです。
間違いなく美帆さんからメールアドレスを聞いたからそこに残っているのです。
それ以来二人はメールを毎日交わすようになりました。
一週間、二週間が経った頃でしょうか。
最初は一日に一通だったものが少しずつ増えていったのですよ。
起きてすぐ、そして昼前、午後、夕方、夜、寝る前…それがほとんど毎日です。
美帆さんは何も仕事がない日はちょっと時間があるとすぐに携帯を取り出すようになっていました。
職場での昼休憩のときも学生みたいによく携帯電話をいじっているから、彼氏でも出来たのかとからかわれることもあります。
もっとも美帆さんもいい大人ですから、苦笑いして否定するだけでしたけれどね。
ちょっとまずい。
いえ…絶対にまずいのではないでしょうか。
憲太とのメールに夢中になりながら美帆さんはそう思い始めています。
これがただのメール交換ならちっとも問題ではないのでしょう。
実際二人の交わすメールの内容は極めて健全そのものです。
それでもあんな年若い男の子とこんなにも頻繁にメール交換をしていると、何かいけないことをしているような気がして仕方ありませんでした。
同じ頃、夏休みに入ってからやたら携帯を取り出すようになった憲太に母憲子は若干の違和感を感じ取るようになっていました。
それは母親としての勘であるとともに、女の勘でもありました。
もしかしたら変なサイトでも見てはいないかと思うと、母親としてやはり気が気でありません。
まだまだ子供の息子が道を踏み外すなんてとんでもないことです。
絶対にそんな真似はさせないと憲子は静かに、固く心に決めています。
しかし、一方で息子の事は信じてあげたいとも思っています。
親は木の上に立って見守るのが本来の姿だと、憲子は心に決めているからです。
ですから、夫の携帯は見ても息子の携帯は見てはいけないという不思議な自制心が憲子に働いていたために二人の関係は密やかに育まれていったのでした。
メールは顔を合わせていない分、誤解を招きやすいともいいます。
正確な感情を込めにくく、正しく自分の考えを伝えられないためにトラブルにもなってしまいます。
同じ言葉だって面と向かって言われるのとただ文字で伝えられるのとでは温度差が生じてしまいますから。
みなさんもそうした経験がありませんか?
笑いながら馬鹿じゃない?と言われるのとメールで馬鹿じゃない?と書かれるのはやっぱり違いますよね。
しかし、メールでのやりとりはこの二人にとても良く作用したのかもしれませんね。
憲太は文才もあり小学生にしては落ちついているためメールを書かせると本当に大人のように難しい言葉や表現を使ってきます。
実経験が不足していてちょっと頭でっかちなのは否めませんが、それも憲太の年齢を思えば美帆さんにとっては微笑ましいことでした。
美帆さんにとって気にいっている男の子が自分のためにちょっと背伸びをしてくれていることがなんだかたとえようもないくらいに嬉しかったのです。
さて話は憲太が一人になった8月13日のこと。
家族を見送ってベッドに寝転んだ憲太は携帯を取り出すと、美帆さんにメールを送りました。
その内容は大した内容ではなかったのでしょう。
今どこで何をしている、と何気なく憲太は美帆さんにメールを送ったのです。
「今、家族を見送って家に一人でいること」を。
本当に何気ない現在の報告です。
美帆さんだって危ない道を歩もうとは思ってもいません。
真っ当に誰かを愛する事が出来たなら、それはそれできっと素晴らしいことなのでしょう。
だからといって亡くなった旦那さんをないがしろに出来るものでもありません。
一人で生きていく覚悟も、それなりには出来ているつもりでした。
だけれども。
今、自分は一人で退屈しています。
そして連絡をとったもう一人も暇しています。
そしてそのもう一人は自分が最近気になって仕方ない相手なのです。
そうしたら?
美帆さんはなるべく平静を装って、極めて何気なく、自然にメールを送りました。
「今夜花火があるんだって。一緒に見に行かない?」
「世界はこんなにも 花火」
約束は守らなければいけません。
誰もが子供の頃から言いきかされてきた事です。
まして大の大人が自分から口にしてしまった以上、もう覚悟を決めて出かけるしかありません。
呼吸を整えて、美帆さんは精一杯今日を生きようと決意しています(…ずいぶん肩に力が入っていますけどね)。
メールを打ち終えてからすぐに(憲太の返事さえ待たずにですよ)美帆さんはずいぶん久しぶりに力を入れて化粧を始めました。
何年かぶりに若い頃のように下着を少し明るい色に着替えて、しまってある浴衣を押入れから出しました。
憲太と…自分よりもずっと年若い男の子とちょっと花火を見に行くだけなのに。
夏休みに入ってからメールは頻繁にしていても、二人が実際に会うのはこれが初めてです。
いえ、もっと言えば二人で約束してから会うのも初めてなのです。
約束して、二人で会って、出かける。
これってやっぱり…。
準備をしながらも美帆さんはそれ以上の思考をしないようにしています。
取り出した昔の浴衣に少しまごつきながら着付け、髪をかき上げると赤いリボンで結びました(昨日の内にもう美容院まで済ませていますよ)。
そこまでやってしまうと姿見に自分の姿を映して、くるっと回って念入りに確認します。
落ちついた藍色の浴衣に流れる桃色の幾重ものラインがちょっと若い子向けのようにも見えます(もっとも美帆さんがずっと今の憲太よりちょっと年上くらいの頃に買ってもらったものですからね。若い子向けなのも当然なのですよ)。
美帆さんも自分のしていることながらちょっと滑稽だと思うくらいです。
(いい年して私何してるんだろう?)
一人身が長くなったために、美帆さんは自分が本当におかしくなってしまったかもしれないと思いました。
時刻は午後5時半になります。
都筑インター近くの神社での待ち合わせです。
まだ畑も残っているような田園地帯は都心部から一時間もあればらくらく来られるとは思えないくらいです。
五時半という時刻は憲太くらいの年頃が出歩き始めるにはちょっと遅いのですけどね。
もしもPTAの人なんかが聞いたら良い顔はきっとされないでしょう。
ヒステリックなおばさんなら夜遊びは不良の始まりだと怒り始めてしまうかもしれませんね。
とはいえ今日はお祭りですし何より大人も一緒なんですから、誰のおとがめもないでしょう。
5時ちょっと過ぎと約束の時間よりやや早めに来た憲太は本当に美帆さんが来てくれるのかちょっと信じられない思いでした。
あんな大人の女性と二人で出掛けたりなんて、からかわれているのではないかと思ってもいたんです。
大人の女性である美帆さんと二人で花火を見に行くだけで嘘みたいな出来事なんです。
それだけでも充分ドキドキする事なのに。
「こんばんは…お待たせ」
約束の5分前に現れた美帆さんは既に化粧を仕上げており、浴衣を身につけていました。
それはまさに30歳を過ぎた大人の女性の完成された美しさと品が感じられました。
とてもメールしてから大急ぎで準備を整えたとは思えないくらいです。
やっと慣れたはずなのに、久しぶりに逢ったこともあるからでしょうか。
憲太はうまく美帆さんの事を見る事が出来なくなってしまいました。
それから並んで歩きだしたら分かったのですが、ほのかに香水の香りさえ漂わせていました。
憲太が思っていたよりもずっと美帆さんが準備してきた事は幼いなりに少しは分かります。
だからこそ戸惑い、そして逆に自分があまりに子供に見えるのではないかと気になってしまったのでした。
夏の夕暮れ時はまだまだ充分に明るく、街並みを紅く照らしています。
隣を歩く美帆さんは横顔も髪までも紅く染め上げられ、まるで夢の中の出来事のようです。
あまりに綺麗な美帆さんを途中で何度も見上げました。
まだ美帆さんの方が背が高いため、どうしても見上げるような形になってしまうのです。
美帆さんに気付かれないようにちらちらと覗き見るようにしていたのに、なぜか美帆さんは途中で憲太の視線に気づいてにっこりと微笑んでくるのでした。
そうすると憲太は慌てて視線を逸らしてしまいます。
そんな憲太の少年らしい反応に少し微笑みながら、美帆さんはしっかり準備してきたんだから見ていいのに…という不満をちょっとだけ感じてしまいます。
時刻は間もなく、七時を迎える頃。
二人は町から少し離れた山のとある公園に来ていました。
憲太も低学年の頃は遠足で来た展望台のある公園です。
美帆さんに誘われるまま人気のない公園を通り抜けると、柵があって展望台の休憩所から町を見下ろせるベンチがありました。
展望台から望む景色はそんなに長い時間歩いていないはずなのにけっこうな絶景です。
それなりに歩いたためか美帆さんは少し汗ばんだ額を持ってきたタオルでそっと拭いました。
その仕草が色っぽく(という言葉を憲太は思いつきませんでしたけれどね。でもドキッとはしたのですよ)、また憲太は目を奪われてしまいます。
一息つくと少しずつ太陽が傾きだし、辺りは少しずつ暗くなってきました。
小さなベンチに二人並んでぴったりと寄り添うように座ります。
(そんなにくっつくの?)
そう憲太は思ったけど、聞かない事にしました。
憲太の体には美帆さんの体が密着し、嫌でも互いの体温も心音も聞こえてきます。
とはいえ憲太はまだ美帆さんの心音を気にするような余裕はまったくありません。
(美帆さん柔らかい…そして暖かい)
初めて触れる女性の身体から感じる感触から憲太は改めて美帆の体温の温かさ、体の柔らかさを知って驚きます。
いくら美帆さんが痩せて見えていても触れるとやはり女性的な丸みと肉付きがあるのでした。
もしもう少し憲太が大きければそんな美帆さんの肉体に直接的な欲望を抱いたかもしれません。
とはいえ、まだまだ子供の憲太には綺麗な美帆さんと密着してその身体を服越しに感じるだけでいっぱいいっぱいでしたけれどね。
そうして隣り合って座っていると、美帆さんもメール交換していた相手の幼さを改めて実感してしまいます。
実物の憲太は美帆さんよりもまだ身体も小さく、線も実に細いのですね。
その儚げなほどの容姿からは大人びたメールの文面からは想像できないほどです。
そしてそんな相手と毎日夢中でメール交換をしていたこと。
その事にときめきを覚えていた自分自身に美帆さんはちょっとだけ呆れてしまいました。
憲太に失望しているわけでは決してありません。
ただ相手の幼さも考えずにはしゃいでしまっていた自分がちょっと嫌になったのでした。
ふと至近距離で憲太の瞳を見つめました。
元々中性的な印象のある憲太です。
見つめると視線に気づいた憲太は実に可愛らしく小首をかしげています。
同年代の男のよりおそらく華奢で小柄な少年です。
あまり目を合わせていると少し照れてきたのか大きな瞳で長い睫毛が覆うように伏せられました。
時折憲太の優しげな黒目がちの瞳と目が合うと美帆さんも憲太の中に吸い込まれそうになります。
その時、暗さを増して展望台を空に打ち上げられた光が照らしだしました。
(ドオンッ!)
徐々に辺りを夜の闇を帯び始めた頃のこと、夕焼けよりももっと鮮烈です。
いつか見たかき氷のイチゴのようにわざとらしいほどの赤でした。
(ドオンッ!ドドドッ!)
続けて緑色の光が連続して打ち上がります。
こちらもかき氷のメロンを思わせるような鮮やかな、明るい色の緑光です。
点滅するように夜空に無数の光の瞬きが連続で起きました。
そしてその後の一瞬の暗闇。
花火の光のコントラストは鮮やかで光が消えるとまるで自分まで消えてしまいそうな錯覚を覚えます。
徐々に深まっていく暗闇に飲み込まれまいとするように花火は何発も空を照らし続けます。
その間にも少しずつ明るかった夏の夜空は闇の色が濃くなっていきます。
花火の時だけに訪れるあの心寂しい思いは自然と二人の心を駆け巡り、それはまたお互いの心にも伝わっていきました。
美帆さんは19歳の時に結婚しました。
お相手の男性は美帆さんより19歳も年上の男の人です。
当時美帆さんは大学生で、相手は大学の非常勤講師をしていました。
彼は冴えない感じの40近い男でしたが、朴訥で優しげな雰囲気を漂わせていた男性でした。
そんな彼に不思議と惹かれるものを感じた美帆さんはそれから1年も経たずに結婚していたのです。
美帆さんが人生で一番幸福を感じていたのはこの頃だったでしょう。
その7年後に美帆さんは26歳で旦那さんを亡くしてしまいました。
それから2,3年間の間はずっと泣いて過ごしました。
少しずつ立ち直ってきてさらに数年経ったのです。
旦那さんが亡くなってもう何年も経っていましたが今も美帆さんは心の中に出来た空洞を持て余していました。
これからの長い残りの一生をどうして生きていったらいいのでしょう。
時間が流れたところで旦那さんを失った悲しみの傷だって決して痛まなくなった訳ではありません。
もちろんまだ若く美しい美帆さんに言いよってくる男はいます。
美帆さんが未亡人だと知ってもなお、食い込もうとしてくる男だって少なくありません。
けれど若くして大恋愛の末に結婚した美帆さんでしたから、大切なのはそういう事ではありません。
美帆さんにとって重要なのはどれだけ人に愛されるかよりどれだけ人を愛せるかなのです。
もちろん愛されるから愛することだってあるでしょう。
美帆さんもそういう考え方を理解出来ない訳ではありません。
それでも美帆さんは誰かを愛したいのです。
そして愛しているから、愛されたいのです。
人が死ぬ時はたいてい誰もが一人です。
旦那さんを亡くしてから美帆さんにとって、死は身近なものになってしまいました。
おかげで自分が死ぬ事をなんとなく想像する事もあるのです。
でも…美帆さんもその時には誰かを愛し、そして愛された思い出に包まれながら死を迎えたいと思うようになりました。
美帆さんが一人で住むようになった家で暮らしを続けるうちにいつしか思うようになったのはそういう事です。
憲太は黙り込んでしまった美帆さんの横顔を見て何を考えているのだろうと思いました。
やっぱり自分のような子供と二人で花火を見ても楽しくないのかな?
そんな自分の想像に憲太はズキンとひどく胸が痛みました。
その内考え込んでいる間に美帆さんはすぐ隣に座っている少年が自分を見つめている事に気付きました。
なんだか不安げな表情で見上げています。
(いけないわ。…退屈させたのかと不安にさせちゃったみたいね)
「綺麗ね。本当に…」
そう言って安心させるように美帆さんはにっこりと微笑みました。
憲太はその夢とも現実ともつかない世界で美帆の笑顔に吸い込まれていくようでした。
光と闇のわずかな隙間、いつしか二人は互いを見つめあっていました。
「美帆さん…」
(ドオオオオンッ…!)
ひと際大きく広がった光の花。
どちらからともなく、手と手が繋がり合っています。
温かな手が、小さな手のひらを包みこみます。
(ドオオオオンッ…!ドオオオオオオオオンッ!)
大輪の花火が空いっぱいに広がるとその衝撃波のような音まで空気を震わせて伝わってきます。
憲太の前髪がピリピリと痙攣するようでした。
あまりにも音の大きさに光の眩しさに、二人の間の距離がよく見えなくなります。
(相手がどこにも行かないように)二人はもっともっと近づきます。
一瞬連続する光が二人を幾度も照らしだします。
夕闇に浮かぶ二人のシルエットはさらに密着し、やがて影は一つに重なりました。
(ドオオオンッ!………パッ!パパパ…!パパパパパパ!)
その激しい白い閃光が続く間、まるで時間が止まったようでした。
美帆さんの赤い唇と、憲太の小さな唇と引き寄せ合うように近づくと、ぶつかる様に重なり合っていました。
憲太の両腕は美帆さんの首に、そして美帆さんの両腕もまた憲太の首に巻かれて引き寄せ合いました。
(ドンッ!ドンッ!…ドンドンドンッ!)
漆黒の鍋底から火が吹きあげるように光の柱が立ち上っていました。
そのまま暗闇になっても構わずに二人は熱く熱く燃えていました。
「ん…ん…ん…ぅ…」
鼻からわずかに漏れた声も花火に掻き消されてしまいます。
もう花火も目に入らないほどに、お互いの小さな世界の中で二人はその唇で吸い付きあいました。
紅く彩られた美帆さんの唇が色の薄い憲太の唇に移り、溶け合うように同色化していきます。
二人の頭の中では花火の炸裂音がただのノイズのように鳴り響いています。
唾液の濡れたような音が耳の音で響いて、唇の隙間から零れて美帆さんの浴衣の胸元に膝に、そして憲太のTシャツの首筋にまで垂れ落ちました。
長い口づけの後、唇が名残惜しそうに離れると憲太は息が切れたように美帆さんの首筋にもたれるようによりかかりました。
美帆さんはそんな憲太の頭にそっと手のひらを置き、首筋に小さな吐息を感じながらたとえようもない幸せを感じていました。
花火が終わってから家まで美帆さんに送ってもらうことになりました。
玄関を開けた憲太がふと携帯を見ると、憲子からメールが四回も来ている事に気付きました。
どうも夢中になっている間にこんなにも着信を溜めてしまっていたようです。
時刻はもう10時半近くになっています。
憲太は夜遅くまで出歩くようなことはしなかったため、門限は決められていませんでした。しかし、10時というのは小学生の少年が出歩くにはもう立派に夜遊びの部類に入ります。
夏休みに入る前に学校で渡された夏休みの模範的な生活を示した紙には遅くとも6時には家に帰る様に書かれていたのですからね。
憲子としては息子がちゃんと晩ごはんを食べたのか、風呂に入ったのか、戸締りをしっかりしたのか気になったのでしょう。
憲太はおそるおそる来ていたメールの中で最後のものを確認してみました。
すると意外な事に既に憲太が美帆さんに連れられて花火を見に行った事を憲子は知っていました。
おそらくあらかじめ美帆さんから憲子にメールを入れておいたのでしょう。
母を心配させなかった事と怒らせなかった事を知り、ようやく憲太は胸をなで下ろしたのでした。
翌日の朝、学校に行くと担任の中富先生の運転する車で県の文化会館まで行きました。
車で中富先生の旦那さんのちょっと昔のクラウンで、クーラーがあんまり効きません。
生まれて初めて行った式典会場は県の中心部にある数千人も入りそうな立派なホールです。
普段なら会場を見ただけで今からたくさんの人の前で話さなくてはいけない事を思ってきっと憲太は緊張したことでしょう。
しかし昨夜の出来事で憲太はずっと頭がぼうっとしていたからか、緊張したのかしなかったのかも分からないままでした。
憲太が自分の作文を読み終えると会場内には聞いた事のないほどの大きな拍手が満ち、そこでやっと我に返ったくらいです。
ふわふわとしっかり歩けなくなりそうになりながらなんとか舞台の袖に戻ると、式典はまだ続くようでしたが、そのまま中富先生に駅まで送ってもらいました。
その途中中富先生は憲太の話振りを褒めてくれましたけれど、憲太は自分がどう話したのかまるで記憶が抜け落ちているように何も思い出せません。
いえ、美帆さんと唇を重ねたあの時からずっと夢心地のようだったのでしょう。
駅に着くと中富先生が教えてくれたように真っ直ぐ進むと新幹線の改札口が見えてきました。
初めて一人で乗る新幹線でも憲太はただただ窓の外をぼんやりと眺めていただけでした。
そして9時過ぎに着いた広島駅のホームには母親が迎えに来てくれていました。
さすがに憲太も2日ぶりに母親の顔を見てほっとする思いでした。
いくら二日前の別れ際にあれこれ言われてうっとうしいと思ったとしても、やっぱり少年にとっては母親の顔が何よりもほっとするんですね。
しかし憲子の顔を見たら、憲太の心の中で美帆さんとの思い出が思い起こされました。
母親に内緒でちょっとだけ悪い事をしたように後ろめたい思いも心の隅で感じたのです。
これもまあ、たいてい誰もが通る道ですよね。
それから憲太の夏休みが終わるまで美帆さんと会う事はありませんでした。
けれど、憲太の心の中にはあの日の花火と美帆さんの唇の感触が重なって一枚のフィルムみたいに焼きついたままでした。
「世界はこんなにも 一人ぼっちの二人」
恋する乙女に悩みは尽きません。
それは今年3…歳になる美帆さんだって例外ではありません。
ダイニングのテーブルに頬杖をついたまま、もう一時間以上経っています。
それどころか食べ終えたパスタやサラダの食器も片づけていないままです。
そのままの姿勢で彼女は再び今日もう何十回目かも分からないほどの深いため息をはきだしました。
美帆さんの頭の中では一日中様々な事が駆け巡っています。
学生時代は成績も良い方で、大学だって国公立に照準を絞って受験したくらいの美帆さんです。
今の憲太と同じ年頃には通知表にたくさん花が咲いていたくらいの優等生だったんです。
頭の回転だって同世代の平均よりはおそらく上の方ではないでしょうか。
けれど、そんな事はちっとも役に立たない事が世の中にはたくさんあります。
美帆さんにも苦手な事はたくさんありました。
たとえば体育で長い距離を走る事は苦手でしたし、図工ではゲージュツとしか呼びようのないものを作ってしまうこともしばしばでした。
そしてまた、美帆さんはこうした感情の扱い方もあまり得意ではありませんでした。
(なんで私がこんなに…あの子はまだ子供なのに…)
そうです。
彼女をこんなに悩ませているものの正体は一人の子供なんです。
ちょっと茶色がかった色素の薄い髪と、黒い瞳。
その瞳はいつも真っ直ぐで、キラキラと輝くように美帆さんを見つめてくれます。
熱っぽいというにはあまりに純粋な眩しいその眼差しに、美帆さんはすっかり参ってしまっていたのでした。
時計の針は既に夜8時を回っています。
美帆さん一人しか住んでいないこの家のダイニングは実に静かです。
10月も終わり際に差し掛かったとはいえ、まだ冷え込むほどではありません。
テーブルの上の携帯電話を手に取ります。
メール画面を開くと、そこには同じアドレスからの着信メールが無数に残っていました。
今まで美帆さんが憲太からもらったメールの数々を読む内に、体の芯から温まってくるようです。
思い起こすのは二人であの花火を見に行った日の事です。
夜空に大輪の花火が花開いていたあの日、美帆さんは憲太と初めて唇を重ねました。
柔らかくて小さな憲太の唇の温かさを感じながら、腕を首に回して息も出来ないほど密着したあの時のこと。
考えているとそれだけで美帆さんは心も体もポカポカと温まってくるようでした。
成り行きとはいえ美帆さんは憲太のペニスを手で射精に導いた事があります。
憲太が初めて美帆さんの家に上がったあの日、午後のお茶を楽しんだ春の日のことです。
しかし、その思い出とお互いが望んで唇を重ねる事はまったく別なのです。
美帆さんはそうすることを望み、憲太もまた同じようにそうすることを望んだのです。
それは決して誰のせいでも何のはずみでもなく、二人が互いに望んでそうしたのです。
そのことを思うと美帆さんはいよいよ頭の芯が熱くなり、思わず両掌で頬を押さえてしまうほどドキドキしてきます。
考えるほど息苦しくなり、息苦しくなるほど呼吸が乱れ、美帆さんは胸を手でそっと押さえて息を整えました。
さっきまで頭を駆け巡っていた悩みは吹き飛び、心の中は憲太の事ばかりです。
憲太のメールが来て欲しい。
憲太に電話したい。
憲太の声が聞きたい。
少しだけでも。
はぁ…。
ここにもまた秋の夜のため息は飽和していました。
まだ与えられて半年ほどの一人部屋で憲太はベッドの中で悶々としています。
それはまだあの日の事がどうしても脳裏から離れないからです。
あの時の花火、蒸し暑いほどの熱帯夜、そして美帆さんの唇、洗い髪の香り、柔らかな体、押し付けられた豊かな乳房…。
どれもあまりに濃密で鮮烈な思い出の数々です。
いつか夏の日の感傷にしてしまうにはあまりにもまだ時間が経過していませんからね。
もちろん花火の日からも美帆さんとは毎日メールを欠かしていません。
でもあの日の事に二人がメールで触れる事は決してありませんでした。
それどころか、二人の間で親密さが増したようにもまだあまり思えません。
どうしても美帆さんにまだ一人の男としてとして見てもらえていないような気がします。
どうすれば「そういう対象」として見てもらえるんだろう?
大人の美帆さんは「愛してる」って言われないとそういう気持ちを憲太が持っているとは伝わらないんでしょうか?
いつしか憲太の思考はそのことばかりに囚われていました。
大人の美帆さんが子供の憲太を好きになってはいけないんでしょうか?
子供の憲太が大人の美帆さんを好きになってはいけないんでしょうか?
どちらかといえば子供に恋する大人の女性の方が辛いものだと大人の人なら分かるかもしれません。
好きになってしまった自分自身に対する戸惑いや嫌悪感、不信感。
自身の年齢への不安や年の差、世間体や相手の親のこと。
あるいは相手がいつか自分を見捨ててしまうのではないかということ。
そしてこの恋がいつまで続くかっていうこと。
美帆さんに悩みと不安の種は尽きません。
いつかこの恋は愛に変わるのでしょうか?
それともこんな想いなんて所詮錯覚だったと、いつか夢から覚めてしまうのでしょうか?
憲太にはまだ愛なんて難しいものはわかりません。
いくら年齢よりはちょっと小難しいことを考える事が出来たって、子供の心の中は実に単純なものなんです。
子供のそのほとんど全ては二元論で成立しているからです。
好きなものと嫌いなもの。
やりたい事とやりたくない事。
楽しい事と楽しくない事。
良いものと悪いもの。
そして大好きなものと大嫌いなもの。
全ては極端に振れており、それらがゆらゆらと振り子のようにゆらぎながら、渦巻いているだけです。
ただし幼いながらにも憲太には自分が恋をしていることは分かっていました。
美帆さんのことを考えると胸が痛みます。
すごくすごく痛んできます。
メールが来るとすごく嬉しくなります。
すごくすごく嬉しくなってしまうのです。
いつしか憲太は一日中美帆さんに逢いたくなっていました。
学校にいても早く授業が終わらないか時計の針ばかり気にするようになっています。
学校からの帰り道はもうはっきりと美帆さんの姿を探すようになりました。
逢えない日は本当にがっくりくるし、逢えた日は本当に天にも昇る気持ちです。
そんな時は1分でも長く一緒にいたいと心から願っています。
でも。
二人で一緒に歩いていると逆に思い知らされることもあります。
すぐ隣を歩いていても、美帆さんと自分ではどうにもならないのです。
手を繋いで歩くには憲太は少し大きくなりすぎています。
腕を組むには憲太はまだあまりに小さすぎます。
そして、憲太の美帆さんを思う気持ちさえ美帆さんにはまだ本当に深くは伝わっていないのです…。
憲太は布団の中で自分のペニスに触れてみました。
まだ未成熟な形ながら、既に固く熱く先端は滴るほど濡れています。
憲太もやっぱり一人の年頃の男の子ですからね。
好きな女性の事を思い浮かべたら生理的にそうなってしまうのです。
ゆるやかに手でペニスを擦りながら、美帆さんのことを思い浮かべます。
落ちついた品のある物腰。
優しげで穏やかな瞳。
温かみのある笑みを浮かべた口元。
綺麗な長い腕や脚。
そしてあの柔らかく温かな白い手。
今年の春、美帆さんのその手で憲太は生まれて初めて射精に導かれました。
もっともそれは本当にその時の成り行きについ、といったアクシデントのようなものです。
だから憲太にとってその思い出は快感を別とすれば美帆さんに見られてしまったという恥ずかしい思いの方が強く残っていました。
「美帆さん…」
憲太は小さく口に出して呟きます。
小さな声なのに決して家族の誰にも聞こえないように掛け布団を口に押し当てています。
美帆さんの名前を口にするだけで、憲太の胸がいっぱいになります。
頭痛がするほど、頭の中を想いが駆け巡ります。
そして心の中がざわめいてくるのです。
憲太のペニスはなお硬さを増し、美帆さんが触ってくれた時の記憶を辿ろうと直接触り始めました。
「美帆さん…美帆さん」
近所の美帆さんに届いて欲しいと願いながら、憲太は声に出しました。
そしてあのキスした時のように、唇は切なく美帆さんの紅い唇を求めます。
「ぁ…はぁ…ぁ…ん…」
憲太の右手はペニスを既に強く握り締めていて、少しずつ扱き始めています。
先端から溢れる滴は既に手の甲を伝って、太股の隙間に垂れ落ちています。
憲太の心の中の美帆さんは微笑んでいます。
そのままゆっくりと清潔感のある白いシャツを脱ぎだすと、美帆さんは下着姿になります。
いくら普段は痩せて見えても、30歳を過ぎてから少しだけですけど美帆さんはスタイルもふっくらしてきました。
そんな自分の加齢による体型の変化を少し気にしてか、美帆さんは照れたように微笑んでいます。
さらに切羽詰まったような思いに駆られた憲太の求めに応じて美帆さんはそのままブラジャーのホックを外してくれました。
しかし、憲太が見たいその柔らかそうな白い乳房はまだ両腕で覆っていました。
その腕の隙間からは美帆さんの綺麗なピンク色の突端が覗き見えて憲太の興奮は最高潮に達します。
顔を近づけると、憲太の荒くなった鼻息にくすぐったそうに美帆さんは身をよじります。
しかし、そのまま美帆さんは覆っていた手を外すと憲太の眼前にその美しい胸を見せてくれました。
本能的になおも顔を近づけた憲太はその胸の先端に舌を這わせます。
美帆さんはくすぐったそうにも、悩ましげにも感じられる声を漏らし、顔を伏せてしまいました…。
憲太のペニスを擦る手の早さはこれ以上なく早まっていて、やがて腰が痛むような切ない感覚に支配されます。
「ぁ…ぁ…美帆…さ…ぁ…ぅ…ぁ…はぁ…あぁ…」
自分の射精が近い事を悟った憲太は掛け布団を剥ぎとりました。
憲太のペニスを握っているその手は憲太の手でありながら、憲太のイメージの中では美帆さんの手の平になっています。
あの温かく汗ばんだあの美帆さんの手を思い浮かべると、彼女の熱さえ感じられるほどです。
限界まで達した射精感に支配された体は美帆の身体を想起しながら、腰を跳ね上げるように身体をよじらせます。
「………ぅ…っ!!…!」
そのまま限界に達した憲太のペニスからまだ白くはなっていない精液が宙に二度、三度と勢いよく跳びあがり、そのまま憲太の薄い胸板の上に飛び散らせました。
胸に落ちてきた生温かな感触が憲太の幼い性の感覚を刺激します。
そのまま射精による気だるさを覚えた憲太は脇のティッシュを二枚ほど取ると、胸に飛び散った精液を拭き取り始めました。
全部ふき取ると急に眠気を感じて、憲太はそのままベッドに横たわると片腕で両目を覆うように押し当てました。
その時憲太は自分でも知らない間に涙がにじんできてしまっていたことに気付きました。
(またやってしまった…)
絶頂を迎えると、また嫌悪感に抱かれてしまいました。
自慰はいつも自己嫌悪の裏返しでもありますからね。
好きな人を思ってする自慰でも、なんとなく気まずいような気になってしまいます。
自分の想いは性欲が先行しているのではないか、という恐れも抱いてしまいますからね。
自分のこの気持ちが純粋な恋でないなんて、なんだか嫌で仕方ないのです。
性欲が混じっては想いの純度が失われてしまうような気がしますから。
でも、もちろんそれも恋の形なんですけどね。
好きな相手だから体ごと欲しくなるのはごく自然な感情なのです。
でもまだそれが分かるには恋の経験がちょっと不足しているのかもしれません。
小さくため息をまた一つつくと、美帆さんはテーブルの上に置かれたボックスティッシュを手に取りました。
2,3枚まとめて取り出すと自らの指と股間、それに座っていた椅子と床に飛び散った自らの愛液を拭きました。
その愛液はさらりとした透明なものではなく、ねっとりと少し白っぽい粘液でそれが美帆さんの熱っぽさの現れのようでもありました。
数百m離れたところで、二人は同じタイミングでまた深くため息をつきました。
これからまたしばし悶々とするも、ウトウトと眠りこむのも夜の自由です。
秋の夜は誰にでも長いものですけれど、恋する者にはなおさら長いのですね。
「世界はこんなにも power of love」
憲太と美帆さんの住む町にも冬がやってきました。
例年あんまり雪なんて降らないのですが、この年ばかりは異常気象の影響でしょうか?
12月から何度も道路にうっすらと積もるくらいに降っています。
今夜もそんな一夜になりそうでした。
その日美帆さんは珍しく勤め先で残業する事になりました。
エアコンの送り込む乾いた空気のオフィスのことです。
空調が効いているため、寒くはありませんが油断をするとすぐに喉を痛めてしまいそうです。
美帆さんはふとキーボードを叩く指を止めると、ビルの向こうの暗い空を見上げました。
今日は朝からパソコンに向かっていますから、少し肩や首に疲れを感じてはいます。
けれど、美帆さんの頭に浮かんでくるのはそれとまた別のあることでした。
いえ、このところずっとそうなのです。
ずっと美帆さんの頭の中を支配しているもの。
仕事の手を休めたまま、そのままふと考え込んでしまったのでしょうか。
美帆さんはぼんやりとキーボードの横に肘をついて、頬を両掌で押さえていました。
モニターの中ではさっきまで打ちかけていた意味をなさない文章が点滅しています。
「あすいがおあとtrmghぁr…憲太…たけrがおそえあご…憲太…」
美帆さんは自分が打ったその文字列を見るともなしにモニターを見つめています。
その口は半開きで、目もどこかうつろで美帆さんらしくないちょっとだらしのない表情なんです。
美帆さんの様子を心配したのでしょうか。
隣で仕事をしていた同僚が美帆さんに声をかけます。
しかし、そんな同僚の呼びかけも右から左に通り過ぎるようで何も頭には残りませんでした。
思い浮かべるのは近所に住む一人の少年の事。
そう、憲太の事でした。
どうしても憲太の事を考え始めると、何も手に付かなくなってしまいます。
ここのところ、ずっとそうでした。
二人でお出かけ出来ないものの、想いは一向に冷める気配がありません。
こんな想い、自分の年と相手の年を考えたら成り立つわけないのに。
そう自分で冷や水をかけても、何度も何度も火種は甦ってくるのです。
そして火種が甦るたびに自分の想いを再確認させられ、少しずつもっと強くて大きな炎になっていくのでした。
「ねぇ、少し休みません?…だいぶ疲れてきてないですか?」
少し大きめに声をかけてきた隣に座る同僚の言葉で美帆さんは急に我に返りました。
そこで初めて美帆さんははっとした様子で同僚を見ると、ずいぶん心配そうに見つめていました。
美帆さんよりもちょっと年上のキャリアウーマンの奥村さんです。
数分間ぼんやりしていたため、美帆さんは一瞬後ろめたい思いを感じましたが、奥村さんはそれには気付かない様子でした。
慌てて美帆さんも取り繕うように言葉を返します。
「えっ?…え、えぇ。そうですね。ちょっと疲れているのかも…」
時計は既に九時を回っています。
契約社員とはいえ、依頼があればある程度まで残業はやります。
昨日に美帆さんの勤め先でトラブルがあったとのことでしたので、今日はずっと朝から根を詰めて作業を続けています。
基本的に元気な美帆さんでしたけれどさすがに頭がボウッとしてくるほどでした。
「ごめんなさいね。こんな日もあるって思っていても、あなたまで手伝ってもらっちゃって」
奥村さんは本当に申し訳なさそうに声をかけてきます。
男女に関係なくそうした気遣いが出来るかどうかで、管理職の器が知れてくるものですよね。
「ううん、いいんですよ。たまにはこんなこともありますよね」
たしかに日中は他の契約社員の人もいました。
でも、主婦の人はやっぱり家庭があります。
ですから、契約社員で独身かつ(これは他の契約社員の方には内緒ですが…)もっとも有能な美帆さんに夜までの残業が依頼されたのでした。
「あ、このあとみんなで打ち上げに飲みに行くんだけど…たまにはご一緒にどうですか?」
「飲みに…ですか?」
ふと考えます。
いつもなら契約社員である自分はそうした輪の中に加わるようなことはありません。
見えない薄い膜のような壁があるためで、下手に交わって契約社員の仲間の中でどう見られるか気にしていたからです。
でも今日は朝からずっと頑張ってきました。
それにたまには家に帰って一人で食事するよりはずうっと良さそうな気もします。
「えぇ。こんな遅くまで頑張ってもらっているし、こんな日こそみんなで…と思って」
そういって奥村さんは微笑みました。
仕事には厳しい方ですが、こうした気遣いも出来るため美帆さんにとっても尊敬出来る女性なのです。
やがて終わりも少しずつ見え始めてきた頃、最後の休憩を取ろうといって連れだって給湯室に向かった時の事です。
その時美帆さんの携帯が鳴りました。
確認するまでもなく、憲太からのメールです。
美帆さんの携帯は仕事用に持っているようなものですから、普段携帯にくる着信といえば迷惑メールか憲太からだけなのです。
一瞬笑みがこぼれそうになるのを堪えながら、美帆さんは携帯を取り出しました。
(まだ仕事終わらないの?)
憲太には珍しく、一行だけのショートメールでした。
短いメールなだけに寂しい思いをさせてしまったかと思い、ちょっとだけ心が痛みます。
もちろん短くてもやっと憲太からメールが来たという嬉しい気持ちも一緒に生まれた事も確かでしたけれどね。
(ごめんね。仕事はもうすぐ終わるけれど今日は仕事の仲間達と飲みに行って帰りはだいぶ遅くなりそうだから、先に寝てね)
それだけ送信すると、一緒に休憩しに来た奥村さんの顔を見て言いました。
「それじゃあ…たまにはご馳走になりますね」
会社を出ると時間はもう10時半を回っていました。
雪がうっすらと積もっているくらいですから、頬もヒリヒリと痛むほど冷えてきます。
美帆さんはバッグから携帯を取り出すと、着信を確かめました。
着信はさきほど憲太から来たのが最後です。
つまり、給湯室で確認してから来ていないということです。
追伸がなかったことにちょっとだけ美帆さんはがっかりしましたが、先に寝たのならそれはそれで心配をかけずに済むので、安心です。
とはいえ。
それでも、憲太の事がどうしても気になってしまいました。
憲太は今頃どうしているのでしょうか?
布団の中で美帆さんの夢でも見てくれているのでしょうか?
(え?)
美帆さんは一瞬見間違いかと思いました。
時刻は既に11時近くになっていますからね。
辺りにはこれからまた飲みに行こうとするスーツの集団や既にいい気分になっている人達も見受けられます。
ビジネス街から歓楽街までの間なら見慣れた風景ですよね。
しかし、ちょっとだけ見えた人影。
それはそんな街ではあまりに場違いなほど、小柄な子供のそれです。
遠目でしたけれど、その小さな影はキョロキョロと辺りを見回して不安げにも見えましたし、誰かを探しているようにも見えました。
小さな影はそのまま遠くの角を曲がって入っていきます。
ちょっとだけ立ち止まったまま、思考する美帆さん。
少し見えただけでしたが、たしかに見覚えがあるような人影でした。
それもとても大切な人の。
けれど…今こんな時間にこんなところにいるはずがありません。
冷静に考えればそう思います。
でも…もしも。
もしもそうだったら。
急に立ち止まってどこか遠くを見つめたままの美帆さんを会社の同僚達はちょっと不審に思って遠巻きに見ていました。
それから急に振り返った美帆さんに同僚達はビクッと反応します。
「ごめんなさい。今日は急用が出来てしまって…これで失礼しますね」
突然の美帆さんの言葉に奥村さんはただならぬ迫力を感じてちょっと引いてしまいます。
「えっ?どうしたの?急用って今から…?」
その奥村さんの言葉を聞き終わる前に美帆さんは駆けだしていました。
7cmあるヒールがちょっと高い仕事用のブーツがカツカツと気忙しく音をたてます。
そのまま脇目も降らずに真っ直ぐ、小さな人影が曲がって行った角へ向かいました。
曲がった先はこの歓楽街地区のメインストリートでした。
当然週末の夜ですから通りには無数の人混みが溢れています。
通りの奥に向かっていくにぎやかな学生達。
こちらに向かってくる赤ら顔のサラリーマン達。
ガードレースに腰掛けて話し込んでいる若者達。
街路樹にもたれかかって携帯をいじっているお姉さん。
ティッシュを配っているサンタ姿のお兄さん。
看板を持って呼び込みをしているおじさん。
誰かと携帯を使って大声で話しながら歩いている若い女の子。
しかし。
(いない…)
もう美帆さんの頭から見間違いや、人間違いの可能性はすっかり消えています。
あれは間違いなく憲太なのです。
一瞬の違和感はすぐに疑念となり、今や確信となって美帆さんを突き動かします。
美帆さんは辺りを見渡しながら人波をかき分けるように走っていきます。
こんなに必死に走ったのはもう何年ぶりの事でしょう?
どこまでも走って行ってもそれらしい姿は見えません。
焦りは焦りを呼んで、携帯を使うという考えさえ浮かびません。
空からはちらちらと雪が舞っていますが、頭に血が上った美帆さんの頭を冷やすにはちょっと量が足りないところですね。
(憲太…憲太…!…憲太…っ!)
まだまだ子供だと思っていたはずでした。
おとなしくて素直で今時らしくない礼儀正しい子で、すごく優しい憲太。
照れたような表情、ふと遠くを見つめる表情、まっすぐ自分を見つめてくれる表情。
彼の瞳には年には似合わないほどの慈愛を感じられます。
口先だけでない本当に心優しい性根が伝わってくる憲太のつぶらな瞳。
ですから憲太に見つめられると、美帆さんはどうしようもないほど心が舞い上がってしまいます。
その瞳に見つめられるだけで美帆さんは遠い不幸な過去からも、心の傷からも、救い出されるのです。
それが美帆さんの大好きな憲太なのです。
そうなのでした。
いつしか美帆さんにとって憲太は大好きな存在になっていたのです…!
懸命に走り続けましたが、目当ての人影を見つける前に通りの終わりにまで来てしまいました。
メインストリートを抜けるといつしか周囲は薄暗く、怪しげなネオンがけばけばしい雰囲気を漂わせています。
(馬鹿馬鹿馬鹿っ…こんな時間にどこをほっつき歩いているの?)
そこまでずっと走ってきて息を切らした美帆さんはやがて呼吸を整えるためにゆっくりと歩き出しました。
胸を押さえて息を整えながらも通り過ぎる路地をのぞき込み、息が整ったらすぐにでもまた走りだそうと早歩きを続けます。
周囲にはさきほどのような華やいだ街並ではなく、うらぶれた雰囲気さえ漂っています。
もしこんなところにいるのならすぐにでも連れて帰らないと…。
「ねぇねぇ」
背中に若い男の声に声かけられました。
探し求めている少年を思い浮かべて反射的に美帆さんは振り替えります。
しかし、一瞬の期待はすぐに裏切られました。
そこにいたのは憲太ではありませんでした。
まだ少年といっても過言ではないくらい若い痩せた男の子でしたが、その瞳にあんまり年相応の健全さがありません。
頬がこけていてそれなりに顔立ちも整っていて格好良いと言えなくもないのですが、なんとなくカラスのようなひねたように笑う口元がネオンに照らされて不気味です。
おまけにどことなく不健康そうで、顔色もちょっと良く見えません。
「お姉さん何してんの?良かったら遊ばない?」
…沈黙。
面倒に関わりたくなかった美帆さんはこういう時のセオリーくらいは身に付いています。
こういうときは一切言葉で応じてはいけないのです。
言葉は会話を呼び、会話は付け入るすきを与えてしまいます。
黙ったまま立ち去ろうとすると、男は思ったより素早く目の前に回りこんできました。
「…なに無視してんだよ」
さっきちょっと怪しい雰囲気を漂わせていた彼はもう正体を現そうとしています。
美帆さんは胸の奥が重ったるくなるような不吉な予感がします。
なおも黙ったままその脇を歩き続けようとするとついに腕を掴まれてしまいました。
「無視すんなって…。むかつくな、おい」
一瞬身を堅くする美帆さん。
いくら気丈に振舞っているつもりでも、さすがに男性と力比べは出来ません。
不安と恐れが急激に膨らんでくるのを感じながら、それでも弱気を見せずに震えないように大きな声を出そうとした時です。
ふいに近づいてきた小さな足音に美帆さんと男が振り返ります。
大人ではない事がその人影の大きさから窺えますが、向こうの車のヘッドライトが逆光になって正体は分かりません。
小さな人影は走りながらイチローばりにステップを踏みながら思い切り振りかぶりました。次の瞬間男の鼻頭には硬くて熱い物が顔にめり込むくらいに直撃します。
それは地面に落ちるとカンッと高い音を立てて、転がっていきます。
至近距離からの中身入りコーヒー缶のレーザービームでした。
(本来なら憲太は横浜ベイスターズファンであるべきでしょう。けれど今どきの少年の憲太にとって日本のプロ野球より日本人メジャーリーガーの方がずっと馴染みがありますからね)
男はあまりの激痛に低く唸ってうずくまります。
立ちあがるにはあまりに強烈すぎる痛みと衝撃でした。
そのままうずくまる男の脇を小さな影が駆け抜けて近寄ってきました。
(憲太!)
美帆さんはその影の正体にすぐに気付きます。
二人はお互いの正体を見極めると言葉を発する前に手を取り合って駆けだしました。
相変わらず男はあまりの痛みに後を追う力も出なかったのか鼻を押さえてうずくまったままです。
そのまま振り返らずに二人は夜の街を走り続け駅まで辿りつくと、タクシーで住んでいる町まで帰りつきました。
車中で聞いた話では憲太は両親に内緒(当然と言えば当然ですけどね)で窓から出てきたといいます。
ですから町に帰ってから二人で一緒に憲太の家の様子を窺いましたが、ひっそりと静まり返っていました。
どうやら憲太が外出した事に両親は気付かなかったようです。
それを確認してほっとした二人はとりあえずそのまま美帆さんの家に向かいました。
美帆さんの家は誰もいないから、いつも以上にひっそりと静まり返って見えました。
近づいてきた足音がよく知っている二人であることを見抜いていた番犬のコージ(寝込んでいた春から間もなく元気になったのです)が激しくしっぽを振りながら鼻を鳴らして喜んでくれました。
しかし、時間も時間だったので美帆さんはコージにシーっと静かにする様に言い聞かせました。
もっと喜びたかったのですが御主人に窘められては仕方がないので、コージは首をすくめます。
その様子がちょっと可哀想だったので憲太は通り過ぎる時そっとコージの頭を撫でてやりました。
ずいぶん遅くまで一匹で留守を守ったにしてはちょっと寂しい褒められ方でした。
本当なら抱きついて鼻を擦りつけたりして、情熱的に留守番の務めを労って欲しいところです。
しかし彼なりに自分の務めを果たしたつもりのコージはご主人の帰宅にようやく安心すると犬小屋に入り、毛布に潜り込んで安らかな眠りについたのでした。
もう夜も遅いため、あまり音をたてないように二人はシャワーを浴びました(別々にですよ!)。
それから美帆さんはパジャマに着替えて長い髪を乾かしながらリビングに行くと、憲太はまだホットミルクのカップを手にぼんやりしていました。
やはり子供にはあまりに刺激的すぎる体験だったのでしょう。
「どうしてあんなところにいたの?」
美帆さんは向かい合うようにソファに座ると、出来る限り優しく声をかけました。
家に帰ってからずっと憲太は目を伏せて、一言も発してくれません。
「…大丈夫だから。お母さんには言わないから…ね?」
そして美帆さんは両手で憲太の手を包み込むようにしました。
憲太は手から伝わってくる美帆さんの手の温かさから、彼女の優しさまで伝わってくるようだと思いました。
「…今日だいぶ遅くなりそうって言ったから。」
「…え?」
「珍しく今日はだいぶ遅くなりそうって言ったから…飲みに行って帰りが女性一人じゃ危ないし…って……」
そこで初めて美帆さんは愕然としてしまいました。
あいた口が塞がらないとはこの事でしょうか。
それは憲太に呆れているのではありません。
自分の迂闊さにです。
今日はたしかに急なトラブルのために、予定を変更して残業して会社で仕事をすることになりました。
でもそれはあくまで子供の憲太には関係のないことです。
残業すればたしかに夕方一緒に二人で帰れるチャンスは無くなりますけど、それは言っても仕方のない事であって…。
でも。
好きな女性の帰りが遅くなると言うなら、やっぱり心配するのが普通の男です。
しかも飲みに行くなんて言われたら、その仲間に男がいるんじゃないかといらない事まで考えてしまうでしょう。
出来る事なら好きな女性には自分がいないところにお酒を飲みに行って欲しくはないのが本音です。
ですからたとえ少年でも、つい家を出て彼女の仕事が終わりそうな時間に会社の近くまで迎えに行ったのです。
それはたとえ美帆さんが大人で、憲太が子供であっても関係のないことなのですよ。
ただ憲太は美帆さんが勤めている会社の場所をはっきりとは知らなかったから、迷ってしまっただけで…。
「…私を心配して迎えに来てくれたの?」
美帆さんの問い掛けに憲太は答えませんでした。
けれどそれはきっと迎えに行ってしまった照れと道に迷ってしまったことへの恥ずかしさからでしょう。
何も言わない憲太の様子を見て、その真意を悟った美帆さんは自分でも気付かない内に涙が溢れてきました。
その感情を説明する事はきっと誰にも出来ない事でしょう。
こんな美帆さんの気持ちは間違っていると他の人は言うかもしれません。
大の大人が本気で自分の子供みたいな年の異性に恋をするなんて、と。
そんな事は本当に馬鹿げた思い込みだと言って笑われてしまうかもしれません。
多くの人は憲太くらいの年頃の子供には恋愛経験なんてないのだから、美帆さんがただ子供をたぶらかしただけだとも言うでしょう。
あるいは美帆さんは夫を亡くしてしまって心を病んでいるとか、小児愛好者だとか、ひょっとしたら犯罪者と呼ばれてしまうかもしれません。
残酷なことかもしれませんけれど、それが現実というものだということは美帆さんも分かっています。
でもね。
でもですよ。
ひょっとしたら、ですけどね。
やっぱり…二人の方が正しいかもしれないでしょう?
もしかしたら世界が間違っていて、二人の方が正しいかもしれないじゃないですか。
そう思いませんか?
美帆さんは自分が不思議でした。
憲太の言葉を聞いて、驚くと同時にどうしようもないほどの熱い思いが湧きおこってきたのです。
そんな気持ちになったのはひょっとしたら生まれて初めてかもしれません。
いつしか、美帆さんは憲太を強く抱きしめていました。
いえ、抱きしめたいしそれと同じくらい抱きしめられたいと願っていたのです。
それは憲太もまったく同じ気持ちでした。
ですから二人はすぐにどちらが抱きしめているのかわからないほど、強く抱きしめあっていました。
憲太の腕が肩に背中に食い込むほど締め付けられると、美帆さんは自分の心の奥の最も硬い部分が粉々に音を立てて砕かれるような、静かに溶けていくような感覚を覚えました。
それは本当にごくごく当たり前の感情です。
好きあう二人がお互いの気持ちを確かめあったのです。
言葉は何も紡がれません。
あの花火の日以来のずいぶん久しぶりに唇を重ねました。
唇が触れあうと、美帆さんの心に溢れそうなほど張りつめていた何かが堰を切ったようでした。
美帆さんは自然と溢れだした涙を憲太に見せまいと彼の小さな肩に顔を埋めて隠しました。
そのまま何度もキスを繰り返しながら、美帆さんは自然と自らパジャマのボタンを外しだし、やがてブラジャーとともに肩口からゆっくりと脱ぎ去りました。
その乳房は美しく、豊かでその重さゆえに先端が少し下を向いていましたけれど、たぷたぷとした柔らかそうなその胸には大人の女性らしい魅力を湛えていました。
憲太は夢にまで見た美帆さんの胸を目にした事で興奮がすっかり高まってしまいましたけれど、不思議と心の奥底では落ちついているようでもあります。
美帆さんは自ら憲太の手を引いて、豊かな胸に触れさせました。
その乳房の先端の乳首は既に痛いほど硬く尖っており、早く触れられるのをまっているようでした。
自然に憲太の手の平は揉みしだくように乳房に指をめり込ませると、美帆さんは想像をはるかに超える感覚の敏感さに背筋が震えるほどでした。
本能によるものなのか、あるいは精一杯の虚勢なのか、憲太はこれから起ころうとする事を怖がってはいけないんだ、と思いました。
怖気づくな、しっかりしろ。
滑稽なほど、憲太は自分を心の中で励ましていました。
美帆さんの寝室に行くと憲太に背を向けて美帆さんは残っているズボンとショーツを脱ぎだしました。
憲太はその様子を見て、覚悟を決めると一気に脱ぎ捨ててしまいました。
ふと美帆さんが脱いでいる途中で振り返ると先に脱ぎだしたはずの自分よりも憲太が先に生まれたままの姿になっています。
少年に先に脱がれたことに美帆さんはちょっとだけ変な頼もしさのようなものを感じてつい微笑んでしまいます。
ヒーターのスイッチを入れると、二人はベッドに腰掛けました。
部屋が暖まるまでの間、二人は生まれたままの姿になってベッドに腰掛けていました。
肩も腰もぴっちりと触れあい、昂った興奮もあって少しも寒さを感じません。
その体格の差だけをとってみればまるで不釣り合いな成熟の差がありましたが、二人にはもう何の関係もない事でした。
憲太は自然に美帆さんの豊かな乳房に、そして控えめな繁みに目がいってしまいました。
しかし美帆さんもまた憲太のペニスに自然と目がいってしまいます。
それは既に限界までも大きくなっていました。
生き物のようにびくびくと脈打つように震えています。
そのまま美帆さんはそっとペニスに手を重ねました。
先端は既に濡れ始め、美帆さんの指を濡らしてしまいます。
いつか見た時とは違い、もうそれを自らの胎内に受け入れる事を意識しない訳にはいきません。
それはまた憲太も同じです。
憲太にとっては生まれて初めての、美帆さんにしても夫を亡くしてからもう数年来のことです。
憲太の幼いペニスでも、少しずつ美帆さんは身体が火照り始めていくことを感じます。
好きな男性を自らの胎内で受け入れたい。
それは女性なら誰もが持っている本能的な願いと言ってもよいかもしれません。
恋焦がれてきた男の子と初めての時を迎えるにあたって、美帆さんの熱は増すばかりでした。
その夜は本当に綺麗な満月でした。
昔から月の光には人の心を惑わす作用があると言われてきましたが、この二人にもその影響を及ぼしたのかは定かではありません。
きっと二人ならきっと月が出ていなくても、導かれるようにそうなっていったでしょう。
ベッドに横たわった美帆さんの表情はもう覚悟を決め、彼岸に渡っています。
憲太ももう恐れはなくなり、今はただ目の前の美帆さんだけに集中していました。
二人の瞳にはお互いだけが映り、世界はもう二人のものでした。
窓の外には雪が優しく降り続いていました。
二人の秘め事が誰にも覗かれないように聞かれないように。
世界から二人を守る様に優しく包み込むように。
雪の降る音ってわかりますか。
既に雪が降り積もってから屋根がきしむのとはまた別物です。
真っ白な雪の結晶がシンシンと降り注いでくる時にだけ聞こえてくるあの静かな音。
二人の身体は溶け合うように一部分から一つになりました。
身体を重ね律動を早めるごとに心まで重なり始めると、ためらいがちだった美帆さんも少しずつ声が上げ始めました。
少しずつ首を浮かせるように背中を反らせた美帆さんを見ている内に、憲太もまた生まれて初めての快楽にうめくように声を漏らし始めます。
それから二人の声もベッドのきしむ音も徐々に激しさを増していきましたが、全ては雪の降る音に消えていきました。
翌朝まだ明るくなる前に憲太を起こすと美帆さんは家まで送って行くことにしました。
冬の朝の静かな町並みはよく冷えていますが、二人の頬はいまだ熱が冷めやる様子はありません。
時折美帆さんは手を繋いでいる小さな恋人を見つめます。
小さな瞳もまた自分を熱っぽく潤んだ瞳で見つめ返してくれています。
すると冷えた冬の朝だというのにさらに体温があがってくるようでした。
やがて辿りついた憲太の家の門をそっと開けると憲太は足音を忍ばせて庭を進んで行き、自分の部屋の窓をそっと開けると部屋に入り込みました。
そこまで見届けると美帆さんは少し名残惜しそうに再び一人で家路につきました。
ちょっとした罪悪感とそれよりもずっと大きな幸福感に包まれ、憲太と一緒にいたさっきまで必死に堪えていた笑みがついつい浮かんでしまいます。
寝室のゴミ箱に残っている昨夜の痕跡も美帆さんにとっては幸せな思い出を甦らせてくれますからね。
窓の外を見ると遠くの山の稜線が明るみ始めていました。
遅いと言われる冬の夜明けももうすぐなんですね。
「世界はこんなにも 最終話 ポケットが虹でいっぱい」
季節は巡り、また春が来ました。
桜も少しずつ散り始めてはいますが、まだまだ色鮮やかな時期です。
どんなに時が流れても毎年この季節は初々しい制服姿の少年少女が、美帆さんの家の前の道を通っていきます。
美帆さんが朝食の支度をしているとリビングから垣根越しに自転車通学の白いヘルメットが見えます。
憲太もそんな子供たちの一人でした。
中学進学に合わせて買ってもらった自転車は小柄な憲太にはまだ少しだけ大きいようです。
美帆さんも憲太に見せてもらった時も止まる時に足がしっかり地面に届かなくて、ちょっとふらふらしていました。
そんな様子でしたから、新しい自転車に憲太が慣れるまでは美帆さんは見ていて危なっかしくてちょっと心配でした。
とはいえそれを口に出すと憲太をスネさせてしまうために言いませんでしたけれどね。
四月の第二週の最初の日曜日。
美帆さんはいつも以上に早起きすると、早めに昼食を済ませていつかの花火の日と同じように近くの神社で待ち合わせに向かいました。
春らしい白いブラウスとベージュのジャケット、そして薄いピンク色の花が刺繍されているジーンズ姿が美帆さんらしい清潔感を感じさせてくれます。
ハラハラと散りだした桜の花びらがとても素敵な春の朝でした。
「おはよー!」
美帆さんは近づいてくる自転車を運転する小さな恋人に少し大きな声で手を振りながらあいさつをしました。
大好きな女性にそう声をかけられ、憲太もついはにかむ様に暖かな気持ちになります。
とはいえシャイな憲太は美帆さんが近くに来るまで声を出しません。
まだ肌寒い4月の朝はまだほとんど人気もないので、人目を憚る必要もありませんけれどね。
素っ気ない幼い恋人の態度でしたけれど、それでも美帆さんはちっとも不満ではありませんでした。
自転車を運転しながらも美帆さんの姿を確認していた憲太はずっと美帆さんに近づくまでの間ずっとキラキラと微笑みながら見つめてくれましたからね。
「それじゃあ行こうか?」
「えぇ。…でも、本当に大丈夫?けっこう遠いみたいだけれど…」
「大丈夫だよ。自転車にももう慣れたし。ほら、後ろ乗って」
美帆さんの気遣いにも、まるで自分の力を疑われたような気になった憲太はちょっとぶっきらぼうな言い方をしてしまいます。
憲太がそういう無愛想な話し方をする時は大抵子供扱いされたような思いを抱いた時です。純真な少年のプライドを傷つけてしまったと美帆さんも反省します。
(いけない。ちょっと傷つけちゃったかも)
美帆さんは憲太の機嫌を直そうと、気を取り直して努めて明るくして自転車の後ろに跨って腰掛けました。
「じゃあ…よろしくお願いね」
そこには事前に憲太が用意してくれたクッション代わりの座布団が巻きつけてあります。
当面は大丈夫かもしれませんけれど、長い時間乗っていては多分お尻が痛くなってしまうでしょう。
それは美帆さんも想像できましたが、もう約束した事ですからね。
美帆さんが座るのを待ってから憲太もサドルに腰掛けると、美帆さんは声をかけました。
「道は大丈夫?」
「一応ネットで地図をプリントアウトしておいたけど、国道に出たら後は真っ直ぐだよ」
話しながら足でペダルをまさぐるように確かめる憲太。
慣れた口ぶりとは違ってまだ自転車が自分の脚になるほどには慣れていないようです。
美帆さんはそう思いましたけれど、口には出さない事にしました。
「それじゃあそろそろ出発するね?」
そう言うと憲太は立ちあがって漕ぎだします。
一瞬自転車が左右にゆらめくように揺れました。
ちょっと慌てて美帆さんは両手で憲太の腰のベルトを引っ張らないように掴みました。
小さな弟を後ろに乗せてあちこちに出かけてきた憲太にとっては後ろから掴まれるのも慣れたものです。
いくら小柄でもお兄ちゃんですからね。
自転車は揺らぎながらも前に進もうとする推進力ゆえに倒れずにそのまま加速を始めます。
とはいえ、やっぱり美帆さんはちょっと憲太よりも大きくて、体重も(身長の関係上仕方ないのですが…)運転手の憲太よりも重いためあんまり思うような加速は出来ません。
それでも憲太は懸命に漕ぎ続けます。
美帆さんはあんまり立ちあがられると掴みにくいため、このままだとちょっと大変かなぁ、と思っているとようやくスピードが乗ってきたのか憲太はようやくサドルに座ってくれました。
ちょっとほっとした美帆さんはそこで憲太の小さな背中にもたれるように密着しました。
まだミルクのような石鹸の匂いのする小さな背中です。
肌寒い春の風を頬に受けても、憲太の暖かさをもらうようで冷え症の美帆さんはまるで寒さを感じませんでした。
そのまま寄り添うように憲太の背中にぴったりとくっついてしまいます。
憲太も背中に美帆さんの身体の柔らかさと暖かさを感じながら、小さな自尊心と幼いながらも立派な責任感を小さな胸いっぱいに感じていました。
うららかな春の風を受けながら、ふと美帆さんはあの雪の日の事を思い出しました。
夫を亡くしてから初めて違う男を受け入れたあの日。
幼い憲太に躰を許して、一つに溶け合ったあの夜の事です。
二人はあれから何度も…ほとんど毎週日曜日の午前中に、同じように睦みあっています。
何度抱かれても、幼い憲太と抱き合う事は美帆さんに幸せと充実感を感じさせてくれます。
少しずつ慣れてきたのか、憲太も少しくらいは余裕が出来てきたのか、その細腕で腕枕さえしてくれるようになっていました。
間もなく、美帆さんを意識的に絶頂させることも出来るようになるかもしれません。
今はまだ、終始美帆さんがリードしていますけれどね。
どちらにしても美帆さんにとって、目下の人生で最大の楽しみは憲太と過ごす休日の一時です。
それは、たとえいくつになっても、女性なら変わらない事なのでしょう。
自転車はゆるゆるとした速度のまま小春日和の町を走り抜けます。
普段ならこんなにゆっくりした速度で自転車を走らせる事はありません。
しかし(当然ですけれど…)大人の女性である美帆さんと憲太の小さな弟とではワケが違います。
当然ペダルを漕ぐ重さもいつもとはずいぶん違います。(それはもちろん美帆さんには決して言えない事でしたけれど…)。
本格的に疲れが来る前にペースを掴んでゆっくりでも確実にばてないように進むしかありません。
走り出してすぐに愛しの恋人の重さを悟った憲太は静かにそう決心していたのでした。
太陽が昇り始めると国道を走り続ける自転車のすぐ右側には眩しい光が溢れていました。
真っ白にも見えるくらいに薄らとした青の海が広がっています。
「わぁ…綺麗ね」
眼前に広がる海に美帆さんは声を上げました。
とはいえもう1時間以上も自転車を漕ぎ続けている憲太にはそんな言葉もちょっと遠くで聞こえる思いだったでしょうけれどね。
憲太の着ているTシャツの背中がうっすらと汗ばんでいることからも、もちろん美帆さんだって彼の疲れは分かっています。
それでもこの海の美しさから受けた思いを二人で共有したかったから、思わず声を上げたのでした。
「ん~…潮の匂いがするわね」
「うん、もうすぐそこだから」
「海に入れるかしら?ちょっと足だけでも…」
「まだ寒いから…足を浸けるだけでも、多分まだ早いと思うよ」
「そう…なら浜辺でデートだけね」
あえてデートという言葉を使ってみた美帆さんでしたけれど、憲太はまだそんな単語についドキッとしてしまうほど初心です。
それでも美帆さんが満足そうに悪戯っぽく微笑むと憲太の疲れも緩やかに癒されるようでした。
風はますます潮の匂いを濃くしていきます。
運転手の憲太はかなり疲れてきてしまっているようですので、もしかしたら帰りはバスに自転車を積んで帰ってきた方が良いのかもしれません。
そう美帆さんは思いましたけれど、もしそれを言ったら憲太はきっと意地でも美帆さんを後ろに乗せて自転車を漕いで帰り道を行こうとするだろうと思いました。
憲太は美帆さんと結ばれてからというものの、憲太は元来の素直さとは別にそうした子供っぽい意地のような芯の強さを見せるようになってきていましたからね。
そうした芯の強さを憲太が見せ始めた事は美帆さんにとっては微笑ましく、時に少しだけ寂しく、それでいてちょっとだけ頼もしくも感じます。
だからこそ憲太は10キロも離れた海まで美帆さんを自転車に乗せて連れて行くなんてデートを口にしたのでしょうし、美帆さんもOKしたのでしょう。
美帆さんにとってはそうした憲太の思いが重荷にならないかとも思いますけれど、どうしようもないほど嬉しさもこみ上げてくる事も確かなのです。
ですから憲太が疲れてしまっている事は分かっているけれど、運転を替わろうかとかバスに乗ろうよなんて憲太が怪我でもしない限り言わないようにしようと美帆さんは決めていました。
時間はたくさんあるのです。
疲れたら休んで、またゆっくり走りだせばいいんです。
少しずつ波音がより近づくごとに大きくなるよう聞こえてきます。
その音に勇気づけられるように憲太はペダルを漕ぐ力に強さが戻りました。
小柄で内気な少年には似合わない力強さを見せだした憲太に美帆さんはちょっと意外に思いましたけれど、やがて自らの身体を小さな背中に預けました。
海の匂いを帯びた爽やかな春風が美帆さんの長い髪をさらさらとそよがせると、二人は一つに溶け合ったように身を寄せ合います。
目的地に近付いた自転車は滑る様に走って行きます。
近づいてきた海はキラキラと午前中の太陽の光を波間に反射して光っていました。
砂浜に人影は見当たりませんでしたけれど、ずっと遠くにゆっくりと小さな船が動いています。
目の前に映る世界は確かに動いているのに、一瞬一瞬がまるで映画のフィルムのようにあるいは絵画のように見えるほど美しく切り取られた風景です。
何もかも煌めくように見えるけれど、二人はちっともそれが不思議に思ったりはしません。
恋をしていると世界はこんなにも美しいのです。
その事を美帆さんはそのことをずいぶん久しぶりに思い出しましたし、憲太は生まれて初めて知りました。
年の差は二人の経験の差を如実に表しますが、今の二人にそれはあんまり関係のないことです。
今、二人は同じ風景を見ながら、同じように潮風を頬に受け、同じ事を感じていましたからね。
美帆さんは鼻をこすりつけるように小柄な少年に押し付けると全身で憲太の背中の暖かさと力強さを胸一杯に感じます。
少し勢いを取り戻した自転車を風に舞う桜の花びらが祝福するように包み込みました。
完
- 関連記事
-
- 長編「私の生徒、僕の先生」
- 小説 「世界はこんなにも」

[PR]
