「朝の空気」
倒れこむように二人はベッドに横たわっていた。
一時的な情熱で、二人の関係がいつまでも続いたりするような事はあるはずがない。
そんな事は内心分かってはいながら口先だけで何度も「愛してる」と言い合いながら口づけを繰り返した。
空虚な誓いと思いで必死に蠢いた唇が今となってはもどかしい。
そんな事を二人は思っていた。
母親は自分の唇を指でなぞりながら、何度も何度もさっきまでの熱い吐息を思い起こしていた。
自ら衣服を脱いで息子のいるベッドに入っていったことを。
不安や孤独や不満で開いた傷の痛みを癒すように、息子は母を優しく抱いて体を重ねた。
優しくて気遣いあう関係だった二人によく似合う行為だった。
冷え切った部屋の空気は乾いている。
二人の体から上がる蒸気はさほど残るようなものじゃない。
そんな当たり前のことが寂しく思う。
ベッドを出ようとした母はその前にもう一度だけ体をひねって自ら息子の唇を塞いだ。
寝息を立てる息子を置いて母親はそろそろとベッドを抜け出した。
もうこんな事はしないつもりだった。
昨日も同じことを、そして明日も同じことを考えるのかもしれないと頭をよぎったが、吹っ切るように部屋を出て行った。
完
「幸せな結末」
「馬鹿じゃないの」
心底呆れたように母はため息をついて目の前の息子を眺めていた。
若くして未婚の母となった。
その時は若さゆえに一人で子供を育てる勇気が無かったために手近な男と結婚してバツイチになった。
それから覚悟を決めて女手一つで息子を育ててきた彼女にとって息子は言葉では言い表せないくらい大切な存在だった。
学もない彼女にとっては時にキワドイ事もしながらのシングルマザーとして育ててきたこともある。
やがて息子がある程度の年齢になると二人は思いがけずに肉体関係を持つようになっていた。
彼女自身も離婚したときに実家と縁が切れ、天涯孤独の身になっていたことも関係しているかもしれない。
ただそんな風に頑張って息子を育ててきた彼女にとって近親相姦は愛憎半ばする思いだった。
最初の馬鹿じゃないの、という言葉は息子に対してというより自分自身に向けての言葉でもあった。
馬鹿じゃないの、と言われた息子は顔を真っ赤にして反論を始めた。
戸籍上、二人は親子ではない。
女が未婚の母となる時に世間体を気にした実家の両親によって息子は既に亡くなった遠縁の子ということになっている。
彼女は縁あって引き取りその子の保護者となっただけで、法律上二人はただの遠い親戚でしかない。
とはいえ、その事情は母親はもちろん息子にも思春期の頃に事情を話して以来わかっていることだった。
戸籍が違っても、二人は正真正銘の実の親子、というのは二人が分かっていれば済む話だと思っていた。
今となっては実家と縁が切れた親子にとってこの事実を知るものは誰もいなくていい、と。
そんな状態に一石を、というかよりこじらせるような事を言い出したのは息子だった。
昔は戸籍上親子じゃないのが悲しかったけれど、今は違う。
戸籍が違うのなら、結婚しよう、と。
「馬鹿言ってんじゃないよ。なに考えてるの?」
無下に断られ、母親にさらに追い打ちをかけるように言い攻められても息子は必死に訴え続けていた。
顔を真っ赤にして話し続ける息子を見ながら母は数えきれないため息と変な高揚感が入れ違いで沸いてくるのを感じていた。
その高揚感は母と子で結婚することのあまりの異常さと息子がそれを望んでいるという現実によるものだった。
肉体関係を持つだけで彼の人生を台無しにしてしまったのではないかと無学な母親なりに悩んでいただけに、息子との結婚など心中にも似た彼岸の境地の話だ。
親子婚は日本では「おやこたわけ」とも読む。
親子で結婚することの愚かさと親子間の性行為への嫌悪感にもかかっているといわれる。
母は初めて息子のモノを体内に受け入れた時の異様な感覚を思い起こしていた。
苦し気な吐息と熱い男性自身を押し付けてくる息子の表情。
両足を広げて受け入れようとしている自分の中の戸惑い。
そして入り口に息子自身が触れて押し当てられた時のあの感覚。
まるで息子を殺してその人肉を口にする時のような禁忌感。
肉欲が殺人願望と時としてほぼ同一のモノになるということを母は初めて知った。
息子が傍らから取り出してテーブルの上に一枚の紙切れを広げる。
遠い昔に見たことのある紙切れ、婚姻届け。
ご丁寧なことに既に夫の欄には息子の名前が書かれていて、妻になる箇所は空欄のままだ。
それを目にしたとき、母はやはり呆れる感情とどうしようもない高揚も感じていた。
息子のために絶対に断るという思いと、自分自身のために受けたいという思い。
ただの禁忌感への渇望から肉体関係を持ったあの時とは違う。
肉欲からのセックスではない、本当の暗黒。
実の息子と結婚するという現実でなく、その暗黒は母の心の中に存在している。
もう冗談でもお遊びでも、ほんの一時の気の迷いでも済まない甘い地獄。
三津子は今年40歳になる。
ふっくらし始めた腹回りもあってウェディングドレスよりも白無垢のが似合うのかもしれない。
結局二人は遠い町の教会で結婚式を挙げた。
年の離れた夫婦の誕生に年老いた牧師やシスターはささやかな祝福を上げた。
照れたように苦笑する二人の表情はとてもよく似ている。
近親相姦を経て「馬鹿じゃないの」の一言で始まった結婚騒動はこうしてたった一つのハッピーエンドにたどり着いた。
完
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