思い込みも強かったようで、一度布団を頭まですっぽり被ると掛布団のすぐ上に恐ろしい何かが覗き込んでいるような錯覚に陥り、出られなくなって大汗をかいて汗疹まみれになり通院するハメになった事もありました。
「鏡台と鍵」
母の葬儀が終わってから少しして実家で遺品整理してた時の事だ。
最後の何年間はずっと病院だったため、ほとんどは母の生前に整理していたけれど、母の部屋だけは手つかずのままで残っていた。
最初に部屋に入った時には気付かなかったけれど、母が使っていた昔の赤い三面鏡の台の前に小さな光る金属片が目に付いた。
変わった形をしていて何気なく手に取ると、それは小さな鍵だった。
家や車のような大きな鍵でなく、昔の時代劇で見た十手を小さくしたような独特の形状をしている。
見覚えがあるような気がして少し考えていると、学生時代に乗っていた自転車の鍵に似ている事に気づいた。
ただそれは30年以上も前の自転車の事で、とっくの昔に処分をしている。
それでも鍵のサイズ感や感触がよく手に馴染み、触るほどいつかの自転車の鍵じゃないかと確信を深めた。
母は自転車には乗らなかったし、僕も実家にいる間はもう自転車を買い替えなかったので、まずあの自転車の鍵で間違いないと思う。
なぜ今頃こんなところにあるんだろう。
偶然、生前の母が家の中か庭で拾ってこの鏡台に置いておいた後に入院し、それっきりになってしまったんだろうか。
それしかないよな、と思う。
でも、それもちょっと違和感のある話だ。
だいたいこの鍵はいつ拾ったんだろう。
あの自転車の鍵だとしても、30年近くも時を経て偶然見つかるなんてあるんだろうか。
それに昔の自転車の鍵だとしたらやけに綺麗なままだ。
本当に母が拾ってそこに置いていたとしても、最後に病院に入院する前だとしたらもう何年も前の事だ。
納得がいかない話だったが、それ以上の理屈は思い浮かばなかった。
ズボンの尻ポケットに鍵を放り込むと、台所の妻のところに向かった。
「色のない光景」
子供の頃の話だ。
まだ小学1年生か2年生の時だったと思うけれど、学校帰りに友達と二人で歩いていた。
友達は幼馴染で互いの家によく行き来する仲だったけど、その時は家の近所にある自販機だけが置いてある小さな店に立ち寄った。
テントみたいな粗末な屋根の下でジュースとアイスの自販機とゴミ箱が並ぶ本当に狭いスペースだ。
日が高くて暑かったから水筒のお茶を飲みながら、自宅の方を見た。
そうしたら青かった空が何だか白っぽくなってくるのが見えた。
えっと思う間もなく、空の色に反してその手前にある家の屋根が黒くなってくのが見えた。
周りの景色がモノクロになっていく光景はカメラのフラッシュがまともに目に入ってチカチカしてる感覚に近かった。
周りが急に暗くなったから友達に何だ、何だと大きな声を出すと彼には何の事か分からないようだ。
それで、そのおかしな体験は自分だけに起きているらしいと分かった。
何年かしてからその幼馴染にお前あの時騒いでたけど何だったの?と一度冷静に聞かれたから実際に僕が体験した事なのは間違いない
それから似たような事はそれから一度も起きてないんだけれど。
「覚えのない記憶」
子供の頃、母の実家に初めて連れられて行った。
生まれて初めて来た所なのに母が育った家なんだと聞かされていたからか、何故だか懐かしく思えたのを覚えてる。
小さな平家の木造住宅だった。
玄関を右手に敷地内を時計回りに回ると小さな納屋があった。
色褪せたトタン板で覆われた粗末な小屋の外観を見た時、僕は知っていると思った。
怖がりなのに物怖じせず扉に手を掛けて開けてみると、ほんの1畳くらいのスペースにいくつか農機具が置かれていて、何故だかそこに何がどんな配置で置かれているのか見なくても分かる既視感があった。
実際は納屋の中の農機具は母の両親のもので、しばらく使ってなかったんだという。
亡くなった祖父が使っていた以来らしく、後ろに来ていた母が懐かしそうに納屋の中のモノを手に取っていた。
母の実家に行ったのはそれが初めてだったのに何故か見覚えのあるモノや光景が多かった。
庭の隅の枯れ木や床の間の掛け軸までどれも前に見たことがあると何度も思った。
それが不思議でもしかしたら母の昔の記憶が僕に遺伝してて、それが出たんじゃないかと思ったりもした。
何年かしてからそんな話を母にすると、その前に私の昔のアルバムを見せたことがあるでしょ、と言われた。
何でアルバムを見せられた事を忘れていたのかと思ったが、だから色々知っていたんだなと思い、その時はすごく納得出来た。
それからだいぶ経って母が亡くなってから遺品を整理している時に、古いアルバムを見つけた。
そこには生家で暮らす幼い頃の母が写っている写真がたくさん見つかり、いつか見た記憶を辿りながらパラパラとめくってみた。
あの納屋が写った写真は一枚も見当たらなかった。
「灯篭」
子供の頃、家の庭に石造りの灯篭があった。
母が庭の物干し台に洗濯物を掛けていく間、そばにいた時に暇だからよくその灯篭を覗き込んだり中にお供えをするように大きめの石を入れたりして遊んだ記憶がある。
子供の僕より少し灯篭は背が高くて、上には登れなかった。
でも何度かその灯篭でちょっとした時間つぶしで遊んでいたんだ。
庭から石灯篭が無くなっているって気づいたのはいつだったろう。
多分、学生時代の頃だったと思う。
さすがにある程度大きくなれば母親が洗濯物を物干しに掛けている時にすぐ脇で遊んでいる訳ないから、庭から灯篭が無くなっていた事にしばらく気づいてなかった。
あれ、灯篭が無いなと思った時に、最後に見たのは何年前だっけとも思った。
それくらい意識から無くなってたんだ。
あんなでかいの、いつ捨てたの?と母に聞こうと思っていたけれど、聞こうと思っている間に年月が過ぎてしまい、母には最期まで聞けずじまいだった。
「彗星」
もう随分昔だけれど、母親に連れられて近くの公民館の駐車場でハレー彗星を見るイベントに行った。
1986年の事だ。
直接関係はないんだけれど、同じような時期に宮沢賢治の作品でアニメ映画化された「銀河鉄道の夜」も母に連れられて映画館で見た事があって、夜空と宇宙という共通項から何となく合わせて覚えている。
幻想的だけど理解しがたくて薄気味悪い雰囲気の映画で、覚めない悪夢の中をいつまでもさ迷い歩くようなそんな場面が多かった。
子供の頃に家のすぐ近くでモノクロームの世界に取り残された感覚になった事がある。
もしかしたらあれはあの映画で似たような場面を幾つも目にした影響だったんじゃないかって思う。
ハレー彗星自体の記憶は全くない。
どちらかといえば夜の暗い空がやけに不気味で怖く思えて、もうそんな年でもなかったのに母の手をぎゅっと握ったのを覚えている。
母の手は汗でひどく濡れていた。
「電球」
我が家には屋根裏部屋があった。
腰をかがめないと歩けないくらい天井が低くて家の物置として使っていた。
そこには昔の教科書や古めかしい火鉢や使われてない色々なモノが置かれていた。
子供の時はそこでちょっとした探検ごっこ気分で埃っぽい屋根裏部屋に友達を招いては遊んだ事も何度かある。
その屋根裏部屋の明かりは蛍光灯でなくて、大きな電球が取り付けられているだけだった。
スイッチ式になっていて、パチッと付けると赤くて薄暗い光がぼんやり照らすちょっとした別世界になる。
たまにラジオを持ち込んでそこで聞くことがあった。
普段は聞きなれた番組もそこで聞くとなぜだか全く違って聞こえ、内容がやけに空々しく響いた。
屋根裏の光景があまりに日常と違うからかもしれない。
いつか見た「銀河鉄道の夜」の中の1シーンのようにどこか現実離れしていたんだ。
銀河鉄道の正体は死後の世界に向かう死者の乗る列車だった。
それを知った時、僕はひどく恐ろしく感じたのを思い出した。
「常夜」
屋根裏部屋には入り口が二つあった。
普段使う入り口は押入れのすぐ脇に、そしてもう一つは母の居室の壁にあった。
何故あんな狭い空間に二つも入り口があったのかは分からない。
小さい頃に聞いた時にはたまに両方開けて風を通すんだと言われたような気もするけれど、本当に聞いた話なのか、夢の中でそんな話をしたのか定かじゃない。
初めて母の居室から屋根裏部屋に入った日の記憶は途切れ途切れにしか覚えていない。
死んだ父親の何回忌かの数日後だった記憶はある。
母の後ろについてもう一つの入り口から屋根裏部屋に入った時、不思議と普段よりちょっと広く見える気がした。
その日は屋根裏の電球は付けなかった。
最初から最後まで真っ暗だった。
「逢魔時」
高校生になった。
入学して3か月が経ち、帰宅した日の事だ。
高校までは自転車で通っていて、毎日30分くらいかけて通学路をひた走っていた。
満員電車が嫌だったからそうしてたんだけれど、自転車は特に朝や雨の日は辛かった。
だから帰り道に家が見えてくるといつもほっとしていたけれど、その日に限ってはどこか家の上空がどんより曇って見えた。
7月に入って日が長くなってきたというのに、その日は空の色も薄暗くなりかかってきている。
今日は随分と早くに暗くなってきたなと思いながら太陽を振り返ると、目に見えて分かる速度で沈んでいくように見えた。
いつものように無くさないように自転車の鍵を学生服の尻ポケットに入れ玄関を潜ると、家の中は人の気配を感じなかった。
台所には途中まで準備していたらしい夕飯の支度がそのままになっている。
その日は庭の灯篭が無くなっている事に気づいた時期とかなり近かったんじゃないか。
今となっては思い出せないけれど、もしかしたら気づいたその日だったかもしれない。
そこにいるような気がしたから、母の部屋のドアを開けた。
記憶が少し飛ぶ。
次の瞬間には僕は母の後を付いて屋根裏部屋に入ろうとしている。
思い出せるのは腰をかがめた母の後ろ姿と背中にかかる少し白いものが混じり始めたひっつめ髪の先端だ。
屋根裏部屋は真っ暗だった。
いつもなら少しは隙間から光が入って光線が薄っすらと見えるはずなのに。
さっき降下していた太陽はもう沈んでしまったんだろうか。
暑くて、熱い。
そんな感じだった。
母親の体はひどく汗で濡れていた。
いつか彗星を見に行った日と同じだ。
そして思い出した。
あの日、僕は母の汗でひどく濡れている手にとても興奮して勃起した事を。
音が鳴る。
母と僕が繋がっている個所から、泡のような。
匂ってくる。
腐臭のような饐えた香りが母の肉体から溢れ出す。
母の肉体の膣道はかつて僕が通ってきた箇所であり、死への黄泉平坂のようにも感じる。
死んでもいい、と半ば本気でそう思った。
それくらいに母親とのセックスは深く満たされる感覚がもたらされた。
やがてドクッと聞こえてきそうな程に激しい勢いで母の胎内に射精をした。
総身に鳥肌が立ち魂まで引き抜かれるような感覚だった。
大きな母の唇に口を塞がれた。
生き物のように母の舌が絡みついてきたので、僕も夢中で吸い続けた。
その生々しさにやっと母も自分も生きている事を強く実感した。
知らずと涙が溢れてきていた。
生母と交わる事が出来た感動に昂ぶりを覚えていた。
生まれてきてよかったとさえ思った。
「残照」
そうか。
あの日に自転車の鍵を落としたのかもしれない。
どこを探しても鍵が見つからず、諦めてスペアを使用した日の記憶はあった。
あれはあの翌日の事だったんじゃないか。
そんな事を考えながらハンドルを握っていた。
助手席には窓の外を眺めている妻がいる。
夕暮れ時の陽光を受けたその横顔には幾つかの皺が見られ、もみあげには白いものが混じり始めているのが分かる。
あの日の母と同じ年代になってきたと思う。
もうさほど若くない。
自宅の前まで行った時に妻だけ下ろすと、再び車を走らせた。
会社に仕事を残しているから行ってくる、と言って。
一人玄関から家に入っていく妻の背中を見て、いつかの母の背中を思い出した。
家で待つ息子はあの夏の日の僕よりも背が高い。
多分、僕はもう必要ない。
完
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