「ママがおばけになっちゃった」について
- 2017/08/16
- 23:13
親愛なる読者のみなさん、こんばんは。
禁母夢です。
みなさんはこういうブログを見て頂ける方ですから、母関連の事に対してある程度の知識はあると思うのですが…ここ2年ほどちょっとしたベストセラーになっている母親関連の本を知っていますか?
「ママがおばけになっちゃった!」です。
えぇ、絵本です。これ。

いや、これが馬鹿に出来ないんですよ。
この本の評価には賛否あるのも事実ですが、私の目からすれば率直に言って良い。
率直に言ってこれを読んでいる方みんなに買っていただきたい。
そして、その上で母子相姦の業や意味を再び考えて欲しいし、感じて欲しい。
そう願ってます。
ちなみにご存知ない方も見えるかもしれないので、ちょっとご紹介したいと思います。
「ママがおばけになっちゃった」はのぶみという方が描いておられます。
今度の9月に第三巻が出る絵本の分野ではヒットシリーズです。
あらすじはといえば4歳の息子かんたろうを残し、交通事故でママは亡くなってしまいます。
それから夜中の12時になるとかんたろうが心配になったママのおばけが現れて、様々な話をしてくれます…。
この本への批判はおおむね実母の死を軽々しく、かつ本を売るための安易な「泣かせのギミック」のように用いているという点です。
ちょっとネット上でレビューを見ると本当に肉親を亡くした方はこういう絵本が出ている事にさえ憤慨しているようで、子供に与える影響や死生観を何だと思っているんだという話になっているようです。
(かなり激怒しているようで、ちょっと怖いくらいでした)
私の考えではこの絵本の本当の目的はもちろん違います。
実際に読む子供は元気なご両親がいるんだけれど、もし親がいなくなってしまったら、そういう仮定の話を通じて子供に親の有難さや親が子供に伝えたいと思っている「ほんとうにだいじなこと」を汲んでもらうための思考を助ける話だと思うんです。
この絵本は対象年齢として3歳児以上の子に向けたものです。
もしお母さんが死んだら、と3歳の子に理解させる事なんて絶対に無理だと思うんですよ。
死生観とかそんな難しい話ではなく、ぼんやりと一期一会とか今身近にいる肉親に感謝するとか、「漠然とでも考えさせる」ためのものが絵本なんですね。
大人がシリアスに内容を精査して子供に良い影響を与えるわけないとか、偉そうに言ったって、意味ないんですよね。
ほら、子供にこれを読ませれば良い子に育つとか、こういう風に接すれば立派な人に育つとかそんな育児の本がいっぱいあるじゃないですか。
ああいうのって本当に下らないでしょう。
考えた人は真剣に考えて読む子供の事を考えて書いたんでしょうが、実際には親心子知らずで、本当にそんな本や接し方があるならこの世から犯罪者なんてもっと減るはずじゃないですか。
とはいえ、実際に肉親を亡くした方からすればこの絵本は売るための商業主義の極みのようにも思えるのも事実でしょうが‥。
奇しくもごく最近、幼い子を残して亡くなられた小林麻央さんという著名な方がいた事もあって、本当に母親を亡くした子供を何だと思っているんだ、と批判の矢が向きやすいのかもしれません。
ただ絵本とは元々寓話なんですよね。
仮定の話からもし本当にそうだったら、を想像させて子供にぼんやりと考える力や行動の基準に影響を与える事が絵本の真の役割なんです。
だからお母さんがおばけになっても夜中に心配になって息子と色んなお話をしにくるというシンプルな話の構成が素晴らしいと思うんです。
シンプルな話ってね、本当に大事な事なんです。
泣かせのギミックとかああだこうだ持ち出して、大人があれこれ論じるなって思うんですよ。
ちょっと話は逸れます。
大昔の話ですが、ドラえもんの初期にタイム風呂敷が初めて出た話ってご存知ですか?
あの包んだ中身の時間を早めたり戻したりする風呂敷です。
その中でしずかちゃんが白い犬を飼っていてとても可愛がっていたんだけれど年を取って死んでしまった、という話があるんですがその犬をタイム風呂敷を使って元気な姿に蘇らせてあげるんですよ。
これをね、真面目な大人が読んだらなんだと言うと思うんです。
それこそ死生観やら死というものについて子供の理解を歪めるとガミガミ言うでしょ。
でも、私はこのエピソードが大好きだし素晴らしいと思うんです。
子供だって死んでしまったらどうにもならないって分かってるはずです。
でも物語や漫画の中くらい大切な人や動物が死んでしまって悲しんでいる人のために蘇らせてあげて大喜びさせる展開が許されたっていいじゃないか、と。
フィクションでも読む子供に夢を見せ、希望を抱かせるのが本当に読ませたい本というものでしょう、と。
閑話休題。
ちなみに第二巻は「さよなら ママがおばけになっちゃった!」といい、ママのお葬式の日の話になります。
つまり第一巻はママが亡くなってからお葬式をあげるまでのほんの短い期間なんですね。
第二巻も色々非難はあるようですが、子供の感じ方を考慮するとこれくらいの描写が良いと思いますね、私は。
ほら、小さい子って肉親の葬式でも葬儀場で走り回ってたり遊んでしまって叱られたりするじゃないですか。
あんな感じですよ。
本当の哀しみや喪失感を大人のように受け止めたら、幼い心は壊れてしまうでしょう。
完全に理解して深く受け止めるなんてあり得ないと思うし、大人が読み込んで不謹慎だ!とか浅薄な描写だ!とか…何言ってんの?と思ってしまうんですね。
無邪気な子供にちょっと物事を考える手助けの第一歩としてこういう絵本がある訳でね。
そんな事は大人になってから思うようになればいい事なんですよ。
批判が多いのは第一巻、第二巻と売れていったベストセラーへのやっかみが入っている気がして仕方ありません。
残念ですね。
ちなみに第三巻は今度の9月に発売されます。
「ママがおばけになっちゃった!ぼく、ママとけっこんする」です。
うん…いくらこういうブログを10年もやっている者でも下劣な想像をしてはいけないという事くらい分かってますよ、えぇ。
これは3歳の頃息子が「ママとおうちで結婚式を挙げました。ママもドレスを着て、楽しくてかけがえのない思い出の一日。ところが、4歳のときにママは交通事故に遭い……。かんたろうのことが心配でたまらないママは、よる12時をすぎるとおばけになって現れました。辛い別れから約20年--今日、成長したかんたろうは結婚式を迎えることになりました。おばけになったママは!?」(アマゾンの商品解説より引用)という話になるようです。
私はボンクラですが、こういう本が日本に出て売れている事が本当に良かったと思います。
かつてドラえもんが大好きだった少年としてはこのシリーズは似た雰囲気を感じるんですね。
大山のぶ代さんが認知症になって、今では自分がかつてドラえもんを演じてた事を忘れ、旦那さんが亡くなってしまった事もどれだけ理解しているか分からないというニュースを聞き、何だか寂しくて悲しくて仕方なかったんですよ。
どれだけ多くの夢と希望をもらったか分からないくらい大好きだったのに。
そういう何だか色々な事を思い出したり考えさせてくれる絵本です。
是非機会を作って読んでみて下さい。
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禁母夢です。
みなさんはこういうブログを見て頂ける方ですから、母関連の事に対してある程度の知識はあると思うのですが…ここ2年ほどちょっとしたベストセラーになっている母親関連の本を知っていますか?
「ママがおばけになっちゃった!」です。
えぇ、絵本です。これ。

いや、これが馬鹿に出来ないんですよ。
この本の評価には賛否あるのも事実ですが、私の目からすれば率直に言って良い。
率直に言ってこれを読んでいる方みんなに買っていただきたい。
そして、その上で母子相姦の業や意味を再び考えて欲しいし、感じて欲しい。
そう願ってます。
ちなみにご存知ない方も見えるかもしれないので、ちょっとご紹介したいと思います。
「ママがおばけになっちゃった」はのぶみという方が描いておられます。
今度の9月に第三巻が出る絵本の分野ではヒットシリーズです。
あらすじはといえば4歳の息子かんたろうを残し、交通事故でママは亡くなってしまいます。
それから夜中の12時になるとかんたろうが心配になったママのおばけが現れて、様々な話をしてくれます…。
この本への批判はおおむね実母の死を軽々しく、かつ本を売るための安易な「泣かせのギミック」のように用いているという点です。
ちょっとネット上でレビューを見ると本当に肉親を亡くした方はこういう絵本が出ている事にさえ憤慨しているようで、子供に与える影響や死生観を何だと思っているんだという話になっているようです。
(かなり激怒しているようで、ちょっと怖いくらいでした)
私の考えではこの絵本の本当の目的はもちろん違います。
実際に読む子供は元気なご両親がいるんだけれど、もし親がいなくなってしまったら、そういう仮定の話を通じて子供に親の有難さや親が子供に伝えたいと思っている「ほんとうにだいじなこと」を汲んでもらうための思考を助ける話だと思うんです。
この絵本は対象年齢として3歳児以上の子に向けたものです。
もしお母さんが死んだら、と3歳の子に理解させる事なんて絶対に無理だと思うんですよ。
死生観とかそんな難しい話ではなく、ぼんやりと一期一会とか今身近にいる肉親に感謝するとか、「漠然とでも考えさせる」ためのものが絵本なんですね。
大人がシリアスに内容を精査して子供に良い影響を与えるわけないとか、偉そうに言ったって、意味ないんですよね。
ほら、子供にこれを読ませれば良い子に育つとか、こういう風に接すれば立派な人に育つとかそんな育児の本がいっぱいあるじゃないですか。
ああいうのって本当に下らないでしょう。
考えた人は真剣に考えて読む子供の事を考えて書いたんでしょうが、実際には親心子知らずで、本当にそんな本や接し方があるならこの世から犯罪者なんてもっと減るはずじゃないですか。
とはいえ、実際に肉親を亡くした方からすればこの絵本は売るための商業主義の極みのようにも思えるのも事実でしょうが‥。
奇しくもごく最近、幼い子を残して亡くなられた小林麻央さんという著名な方がいた事もあって、本当に母親を亡くした子供を何だと思っているんだ、と批判の矢が向きやすいのかもしれません。
ただ絵本とは元々寓話なんですよね。
仮定の話からもし本当にそうだったら、を想像させて子供にぼんやりと考える力や行動の基準に影響を与える事が絵本の真の役割なんです。
だからお母さんがおばけになっても夜中に心配になって息子と色んなお話をしにくるというシンプルな話の構成が素晴らしいと思うんです。
シンプルな話ってね、本当に大事な事なんです。
泣かせのギミックとかああだこうだ持ち出して、大人があれこれ論じるなって思うんですよ。
ちょっと話は逸れます。
大昔の話ですが、ドラえもんの初期にタイム風呂敷が初めて出た話ってご存知ですか?
あの包んだ中身の時間を早めたり戻したりする風呂敷です。
その中でしずかちゃんが白い犬を飼っていてとても可愛がっていたんだけれど年を取って死んでしまった、という話があるんですがその犬をタイム風呂敷を使って元気な姿に蘇らせてあげるんですよ。
これをね、真面目な大人が読んだらなんだと言うと思うんです。
それこそ死生観やら死というものについて子供の理解を歪めるとガミガミ言うでしょ。
でも、私はこのエピソードが大好きだし素晴らしいと思うんです。
子供だって死んでしまったらどうにもならないって分かってるはずです。
でも物語や漫画の中くらい大切な人や動物が死んでしまって悲しんでいる人のために蘇らせてあげて大喜びさせる展開が許されたっていいじゃないか、と。
フィクションでも読む子供に夢を見せ、希望を抱かせるのが本当に読ませたい本というものでしょう、と。
閑話休題。
ちなみに第二巻は「さよなら ママがおばけになっちゃった!」といい、ママのお葬式の日の話になります。
つまり第一巻はママが亡くなってからお葬式をあげるまでのほんの短い期間なんですね。
第二巻も色々非難はあるようですが、子供の感じ方を考慮するとこれくらいの描写が良いと思いますね、私は。
ほら、小さい子って肉親の葬式でも葬儀場で走り回ってたり遊んでしまって叱られたりするじゃないですか。
あんな感じですよ。
本当の哀しみや喪失感を大人のように受け止めたら、幼い心は壊れてしまうでしょう。
完全に理解して深く受け止めるなんてあり得ないと思うし、大人が読み込んで不謹慎だ!とか浅薄な描写だ!とか…何言ってんの?と思ってしまうんですね。
無邪気な子供にちょっと物事を考える手助けの第一歩としてこういう絵本がある訳でね。
そんな事は大人になってから思うようになればいい事なんですよ。
批判が多いのは第一巻、第二巻と売れていったベストセラーへのやっかみが入っている気がして仕方ありません。
残念ですね。
ちなみに第三巻は今度の9月に発売されます。
「ママがおばけになっちゃった!ぼく、ママとけっこんする」です。
うん…いくらこういうブログを10年もやっている者でも下劣な想像をしてはいけないという事くらい分かってますよ、えぇ。
これは3歳の頃息子が「ママとおうちで結婚式を挙げました。ママもドレスを着て、楽しくてかけがえのない思い出の一日。ところが、4歳のときにママは交通事故に遭い……。かんたろうのことが心配でたまらないママは、よる12時をすぎるとおばけになって現れました。辛い別れから約20年--今日、成長したかんたろうは結婚式を迎えることになりました。おばけになったママは!?」(アマゾンの商品解説より引用)という話になるようです。
私はボンクラですが、こういう本が日本に出て売れている事が本当に良かったと思います。
かつてドラえもんが大好きだった少年としてはこのシリーズは似た雰囲気を感じるんですね。
大山のぶ代さんが認知症になって、今では自分がかつてドラえもんを演じてた事を忘れ、旦那さんが亡くなってしまった事もどれだけ理解しているか分からないというニュースを聞き、何だか寂しくて悲しくて仕方なかったんですよ。
どれだけ多くの夢と希望をもらったか分からないくらい大好きだったのに。
そういう何だか色々な事を思い出したり考えさせてくれる絵本です。
是非機会を作って読んでみて下さい。
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