短編「何か」
- 2018/06/09
- 12:00
という訳で久しぶりに連載以外の新作「何か」です。
ちなみにタイトルは大昔のレイ・ブラッドベリの小説「何かが道をやってくる」より引用。
題名だけ。
宜しければどうぞ。
ちなみにタイトルは大昔のレイ・ブラッドベリの小説「何かが道をやってくる」より引用。
題名だけ。
宜しければどうぞ。
「夜の海を見るな、引きこまれるぞ」
ベテランらしい漁師は船に慣れない少年にそう怒鳴りつける。
いつか見た古い日本映画の一場面だ。
前後の話の筋はすっかり忘れてしまったけれど、真剣な漁師の顔とその不気味な台詞の事はやけに耳に残った。
子殺しをする母親が増えている、らしい。
とはいえそれは報じられるマスコミの影響もあって多く感じるのだろう。
実際の発生件数としては減り続けているようだ。
それでも産後うつの発症率はむしろ上がっているのだと言う。
子育てをする母親も一人の人間だから体調が悪かったり心が穏やかでなかったりすることもあるはずだ。
ちょっとした子供の失敗や泣き声がトリガーとなり、抑えてきた自分の感情が爆発して、発作的に細い幼子の首に手を回して‥‥はっとして手を引っ込める。
何するの?
キョトンとした目で見上げてくる子供には今、自分が殺されかけた事なんて知る由もないだろう。
それでも母親は何でもないよって笑って誤魔化すのだろうか。
心の闇が自分の中にある事実を知って背中に汗をかきながら。
発作的な子殺しは決して他人事じゃない。
(子供が疎ましい。子育てが煩わしい。いなくなれば自由になれるのに)
そんな考えがちょっとした心の隙間に入り込んでくる事は誰しもがあるんじゃないだろうか。
そんな暗い感情を体験した事があるからこそ、実際にその一線を越えて子殺しを実行した母親のニュースを見ると、複雑な感情になるのだという。
まるでもう一人の自分を見ているかのように思ってしまうらしい。
実際母親が子殺しを行ったニュースはマスコミでスキャンダラスに扱われる。
「何で母親が我が子を無残に殺せるんでしょうねぇ?」
眉をひそめて語るアナウンサーの白々しい沈痛な表情を浮かべる。
そんな時、母親は「この人は子育てをした事がないんだ」と思うらしい。
むしろ何で母親が我が子を殺せないと思うのか。
自分が産んだのだから殺す自由も自分にあるはずなのに。
そんな無茶苦茶なへ理屈が浮かんでしまう時だってある。
決して口にはしなくても、考えないようにさえしていても、それは実際に心の器に浮かんでくる自分の気持ちそのものだ。
それはたとえば夜の海をじっと見つめる行為にも似ているんじゃないか。
そんな風にも思う。
結婚して子供を産んだら良き妻、良き母にならなくてはいけない。
それは人としての根本的な姿勢そのものを問われるような息苦しさにも繋がる。
そんな重たい要望に応えられない、応えたくないという心の奥底の醜い部分を抉りだされるような気持になるんだという。
子殺しをした母親は僕の母にとってはただの落後者でなく、自分もああなっていたかもしれないという後ろめたい連帯感のような感覚があるのだろう。
「だから子育てする母親には発作的な子殺しって決して他人事じゃないと思うのよ」
そう母は言い切った。
テレビ画面に映るワイドショーにはどこかの警察署の前でリポーターが子殺し事件の概要を説明している。
現場から伝わってくる犯人の母親の動機や殺した手段の説明にスタジオの司会者はいちいち大げさに首を振ってみせる。
可愛い我が子に何て残酷な、と言いたげだ。
たしかこの司会者、隠し子がいたはずだったんだけどな。
それでいてよくそんな白々しい振る舞いが出来るな。
まあ、他人事だけど。
「そういう気持ちを覚えたからってね、やっていいって訳じゃもちろんないのよ。ただそこでどう我慢するかっていうのがね、親の自覚とかそういう部分で‥‥」
この件についてはずいぶんと思うところがあるのか、母は言葉を続けている。
ワイドショーを見ていると大抵こうで、この後芸能人の離婚とか不倫とかそういう事件を報じる時間になると、結婚とか不倫とかの是非について話が止まらない。
ようはゴシップ好き、話好きのどこにでもいるおばちゃんなんだ。
「そんな事を言われても、まあ、割とちゃんと育ててくれた方だと思うけど」
モゴモゴと僕は口ごもりながら言うが、母は画面に見入ったまま振り返ろうとしない。
午後2時半の我が家のリビング。
足の低いクリーム色の3人掛けソファに並んで腰かけている。
太陽はまだまだ明るく、午後のうららかな陽射しが眩しい。
テレビの音声以外は少し強い風が窓をカタカタと揺らしている。
テーブルの上にはさっきまで飲んでたコーヒーカップが二つ。
母はブラックで飲むが、僕はクリームとシュガーを入れる。
足元には脱ぎ散らかした衣服。
ついさっきまで僕たちはセックスをしていた。
母とこんな関係になってもう半年近くになる。
初めて母を求めた時、何発も叩かれたし殺されるかもしれないってくらいに首を絞められた。
死んでもいいから一度、母さんを抱きたい。
僕はそう言った。
でないと死んでも死にきれない、と。
「何言ってるの、こんなおばちゃんに‥‥」
好きなんだ、死ぬほど。
気持ちを伝えるほど、もうどうにでも良かった。
濃いコーヒーと煙草の臭い。
いかにも体に悪そうなタールに舌で触れるとヌルっとして痺れるような感覚になる。
それが母との初キスの感触だった。
母の首筋に顔を押し付けてキスをすると、嗅ぎなれた母の香水の匂いがする。
興奮すると言うより何だか安心出来た。
「ん……っ……」
小さく漏れたその声はもうよく知っている母とは少し違っていた。
酒もタバコもコーヒーが好きで話好きなオヤジっぽい母。
僕の必死の願いが届いたのか、一度キスをさせてくれた後、母の顔がもう一度近づいてきて唇を重ねられた。
向こうからキスされた、という感覚だけで不思議な感動があった。
何でだか分からないけれど、キスだけは許してくれたんだと思った。
それ以上したらまた拒まれると思ったから、そのままぎゅっと抱き締める。
本当にただ強く抱き締めるってだけの行為だったんだけど、それが母の感情の琴線に何か触れたのかもしれない。
変に体を触られたりすることなく、純粋に自分を求められる内に。
(させてあげてもいいか‥‥)
と胸が打たれたのだと。
「本当にいいの?」
土壇場になって母はいつもの声色に戻って聞いてきた。
どこか夢心地になっていた僕は構わずに頷く。
少し困ったような顔で母は僕を見たけど、諦めたように僕を受け入れる。
ずっと昔からそうしてきてくれたように。
完
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ベテランらしい漁師は船に慣れない少年にそう怒鳴りつける。
いつか見た古い日本映画の一場面だ。
前後の話の筋はすっかり忘れてしまったけれど、真剣な漁師の顔とその不気味な台詞の事はやけに耳に残った。
子殺しをする母親が増えている、らしい。
とはいえそれは報じられるマスコミの影響もあって多く感じるのだろう。
実際の発生件数としては減り続けているようだ。
それでも産後うつの発症率はむしろ上がっているのだと言う。
子育てをする母親も一人の人間だから体調が悪かったり心が穏やかでなかったりすることもあるはずだ。
ちょっとした子供の失敗や泣き声がトリガーとなり、抑えてきた自分の感情が爆発して、発作的に細い幼子の首に手を回して‥‥はっとして手を引っ込める。
何するの?
キョトンとした目で見上げてくる子供には今、自分が殺されかけた事なんて知る由もないだろう。
それでも母親は何でもないよって笑って誤魔化すのだろうか。
心の闇が自分の中にある事実を知って背中に汗をかきながら。
発作的な子殺しは決して他人事じゃない。
(子供が疎ましい。子育てが煩わしい。いなくなれば自由になれるのに)
そんな考えがちょっとした心の隙間に入り込んでくる事は誰しもがあるんじゃないだろうか。
そんな暗い感情を体験した事があるからこそ、実際にその一線を越えて子殺しを実行した母親のニュースを見ると、複雑な感情になるのだという。
まるでもう一人の自分を見ているかのように思ってしまうらしい。
実際母親が子殺しを行ったニュースはマスコミでスキャンダラスに扱われる。
「何で母親が我が子を無残に殺せるんでしょうねぇ?」
眉をひそめて語るアナウンサーの白々しい沈痛な表情を浮かべる。
そんな時、母親は「この人は子育てをした事がないんだ」と思うらしい。
むしろ何で母親が我が子を殺せないと思うのか。
自分が産んだのだから殺す自由も自分にあるはずなのに。
そんな無茶苦茶なへ理屈が浮かんでしまう時だってある。
決して口にはしなくても、考えないようにさえしていても、それは実際に心の器に浮かんでくる自分の気持ちそのものだ。
それはたとえば夜の海をじっと見つめる行為にも似ているんじゃないか。
そんな風にも思う。
結婚して子供を産んだら良き妻、良き母にならなくてはいけない。
それは人としての根本的な姿勢そのものを問われるような息苦しさにも繋がる。
そんな重たい要望に応えられない、応えたくないという心の奥底の醜い部分を抉りだされるような気持になるんだという。
子殺しをした母親は僕の母にとってはただの落後者でなく、自分もああなっていたかもしれないという後ろめたい連帯感のような感覚があるのだろう。
「だから子育てする母親には発作的な子殺しって決して他人事じゃないと思うのよ」
そう母は言い切った。
テレビ画面に映るワイドショーにはどこかの警察署の前でリポーターが子殺し事件の概要を説明している。
現場から伝わってくる犯人の母親の動機や殺した手段の説明にスタジオの司会者はいちいち大げさに首を振ってみせる。
可愛い我が子に何て残酷な、と言いたげだ。
たしかこの司会者、隠し子がいたはずだったんだけどな。
それでいてよくそんな白々しい振る舞いが出来るな。
まあ、他人事だけど。
「そういう気持ちを覚えたからってね、やっていいって訳じゃもちろんないのよ。ただそこでどう我慢するかっていうのがね、親の自覚とかそういう部分で‥‥」
この件についてはずいぶんと思うところがあるのか、母は言葉を続けている。
ワイドショーを見ていると大抵こうで、この後芸能人の離婚とか不倫とかそういう事件を報じる時間になると、結婚とか不倫とかの是非について話が止まらない。
ようはゴシップ好き、話好きのどこにでもいるおばちゃんなんだ。
「そんな事を言われても、まあ、割とちゃんと育ててくれた方だと思うけど」
モゴモゴと僕は口ごもりながら言うが、母は画面に見入ったまま振り返ろうとしない。
午後2時半の我が家のリビング。
足の低いクリーム色の3人掛けソファに並んで腰かけている。
太陽はまだまだ明るく、午後のうららかな陽射しが眩しい。
テレビの音声以外は少し強い風が窓をカタカタと揺らしている。
テーブルの上にはさっきまで飲んでたコーヒーカップが二つ。
母はブラックで飲むが、僕はクリームとシュガーを入れる。
足元には脱ぎ散らかした衣服。
ついさっきまで僕たちはセックスをしていた。
母とこんな関係になってもう半年近くになる。
初めて母を求めた時、何発も叩かれたし殺されるかもしれないってくらいに首を絞められた。
死んでもいいから一度、母さんを抱きたい。
僕はそう言った。
でないと死んでも死にきれない、と。
「何言ってるの、こんなおばちゃんに‥‥」
好きなんだ、死ぬほど。
気持ちを伝えるほど、もうどうにでも良かった。
濃いコーヒーと煙草の臭い。
いかにも体に悪そうなタールに舌で触れるとヌルっとして痺れるような感覚になる。
それが母との初キスの感触だった。
母の首筋に顔を押し付けてキスをすると、嗅ぎなれた母の香水の匂いがする。
興奮すると言うより何だか安心出来た。
「ん……っ……」
小さく漏れたその声はもうよく知っている母とは少し違っていた。
酒もタバコもコーヒーが好きで話好きなオヤジっぽい母。
僕の必死の願いが届いたのか、一度キスをさせてくれた後、母の顔がもう一度近づいてきて唇を重ねられた。
向こうからキスされた、という感覚だけで不思議な感動があった。
何でだか分からないけれど、キスだけは許してくれたんだと思った。
それ以上したらまた拒まれると思ったから、そのままぎゅっと抱き締める。
本当にただ強く抱き締めるってだけの行為だったんだけど、それが母の感情の琴線に何か触れたのかもしれない。
変に体を触られたりすることなく、純粋に自分を求められる内に。
(させてあげてもいいか‥‥)
と胸が打たれたのだと。
「本当にいいの?」
土壇場になって母はいつもの声色に戻って聞いてきた。
どこか夢心地になっていた僕は構わずに頷く。
少し困ったような顔で母は僕を見たけど、諦めたように僕を受け入れる。
ずっと昔からそうしてきてくれたように。
完
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