連載「母子相姦のある風景」第十四話「博物館」
- 2018/06/24
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いつも更新が遅れがちになってしまうので、忘れない内にアップしときます。
今回の舞台は博物館。
本当は公民館の片隅にあるような小規模にしようとしたんですが、都心部のある程度の規模にしました。
博物館って一応学術的な施設である事もあって、公的に保護・管理がされてますが最近は税金の無駄遣いの象徴のように見られることもあるようで寂しい限りです。
実際に行ってみると中の「時間が止まっている感」が凄いんですよ。
観光地と違って儲けなくていいので商売っ気がないせいか、余計に変化に乏しいんですね。
大人になってからも行ってみるといいと思いますよ。
宜しければどうぞ。
たまに県内の都心部に行くと、町の変化にいつも驚く。
あったはずのビルや建物が姿を消し、いつの間にか見覚えのない店が開いてたり、逆に閉じていたりする。
田舎暮らしが染みついているので、普段の身の回りで起きるそうした変化は微々たるものなので、ほんの1,2年で風景まで変わる繁華街を歩いているとそうして驚くことが多い。
ずっとあったものが丸ごと無くなったり、逆に見上げるような高さの建物が突然現れたりするといつかの記憶のようなものが間違っていたんじゃないかなんて思ったりもする。
そこで買い物した時とか店主の顔や声や買ったものやそんな諸々の出来事自体が本当は無かったんじゃないか。そんな錯覚に陥るのはあまりに大きく区画ごと変化し、影も形も変わってしまうからだろう。
県内の都市部なんて年に数回しか行かないけれど、いく度に驚いているし、幾つかの記憶が薄れて消えて行ってしまうような気にもなる。
ついこないだの事だけど、その都市部の中で観光スポットである科学博物館に行った。
県内の学校の社会見学なんかで利用されている所で、未だにそういう需要に応え続けている。
展示品は何年か前の日本人宇宙飛行士の使った品もあって比較的新しくなったけれど、端の方には1970年の万博の関連品も展示してあって、時代を超越したような雰囲気がある。
SLや1970年代の電卓も展示されている館内を歩いていると今が20世紀だと言われても信じてしまうかもしれない。
ここに来るのは20数年ぶりだったけれど、懐かしさよりも自動ドアが新しくなっている事に何だか驚いた。
まるで商業ビルみたいに背の高い自動ドアで20数年前がどんな扉だったか覚えてないのに「新しくなってる」事だけは分かる。
そう言う風にぼんやりと覚えている所や何でもない通路等が部分的に古い記憶と重なっていく。
一つずつ浮かび上がる記憶の欠片がカチャカチャとパズルのピースのように脳の中にはまっていって、ようやく「あぁ、いつかここを歩いたな」と確かな感覚に繋がる。
休憩所の大きなガラス張りの壁から隣の警察署の外壁が見えていて、紙コップのコーヒーを飲みながら色んなことを思い出した。
いつか来た時のバスの駐車場や集合させようと声を上げる教師、隣で歩いていた友達や話してた事、博物館の垣根の向こう側には見慣れない商店が並んでいた事。
ちょっと前の事のようなのに全てが入れ替わってしまったみたいだ。
ふと周囲を見回すと、自分みたいに紙コップ片手にブラブラと風景を見ている者なんていなくて、スマホを熱心に操作してる。
博物館まで来ていじらなくてもいいだろうにとも思いながら、そんな大きなお世話を口にすることはもちろん無くて、しばしば20何年前の記憶に浸っていた。
当時僕も学生の一人として社会見学の名目でここにやってきた。
たしか幾つか巡るスポットの一つとして、ここにも2時間ほど来た。
90年代前半の事でまだ携帯電話はなく、学生なら持っていてもポケベルだった。
特定の数字の組み合わせで単語を構成する‥‥そんな暗号めいたやり取りをしてて、今思えば少し高年齢向けのおもちゃみたいなもんだった。
その日の友達の一人がポケベルを持ってて、バスの中で数字と単語の関係について教えてくれたことを思い出す。
それを聞きながら持ってない僕をはじめとした周りの友達はかなり好奇心を刺激され、何故電話をかけるとこの小さな機械に文字列が送信されるのか不思議で仕方なかった。
そういう時代だった。
今ならぼちぼちポケベルもこの博物館に展示してもいいんじゃないか。
そんなとりとめのない事を考えていた。
紙コップをゴミ箱に入れると再び館内を巡回する。
当時学生だった僕はいくつか問題を抱えていた。
父の浮気に端を発した両親の不仲、母親の不倫、妊娠。
その数年前まで何の問題も無いように見えた僕の家はそれでもうめちゃくちゃだった。
それにつれてといっては何だけど、僕も留年が決まって高校生を四年間やる事になった。
ダブった奴のお約束だけど、周囲は年下ばかりになりかなり憂鬱だった。
だからというかこの博物館に社会見学で来た時はクラスメートたちがみんな同い年だったので、やけに楽しかった記憶がある。
実際に来てみると地味なところなんだけれど。
家を先に出たのは父だった。
けれど母も不倫しており、妊娠していた事もあってかなりどっちが家に残るか両親で揉めたみたいだ。
正直言って留年もしていた出来の悪い自分はどちらも連れて行きたくないお荷物だったんだろう。
腹が立って仕方なくて、妊娠していた母を犯したのはその頃だった。
ひどい話だけど、両親だってひどいと思うから今でもそんなに悪い事をしたとは思ってない。
不思議とヤッてからは母親との関係をまだ改善されたし、どっちつかずだった僕の立場は自然と母寄りにさせられた。
けど同居した母の不倫相手とは結局上手くいかなかった。
母より僕に年が近いくらいの30過ぎの男で、ただの冴えないフリーターに見えた。
それにしては上からモノを言われるとこにも腹が立ってたし、僕が留年した事実についてもどこか小馬鹿にしてる節があったので、ぶん殴って車の窓も割ってやったら出て行った。
母と男はその前から上手くいかなくなってたから、そんなに何も言わなかった。
ただそれで僕も母と上手くいかなくなって、高校を出たら僕も家を出た。
あの頃の実家と違ってここは時間に取り残されたように何も変わってないように見えた。
繁華街のめざましい変化ばかり目にしてたからか、その中で変わっていないものがやけに目に付くのだろうか。
古臭い展示物も時代がかった大理石作りの休憩室も、昔の駅員みたいな制服の従業員も。
その変わっていない部分にほっとするような気持を感じるのは多分僕も少し年を取ったからだろう。
古臭くてつまらなく見えるものだって随分時間が経ってみればやけに懐かしく感じられる。
そんな風に何十何年後かに娘もここに来て同じことを思うのかな。
だとしたら博物館っていうのは学術的な価値だけでなく、人生にとって価値のあるもんだとも思う。
そんな事を傍らにいる娘を見ながら思う。
「もう行こうか」
そう声をかけると、娘はぎゅっと手を繋いできた。
恥の多い人生を歩んできた僕だけど、娘の手の小ささに責任感と幸せを強く感じている。
ピョンピョンと飛び跳ねようとする娘を落ち着かせながら、真新しい自動ドアを潜ると、一足先に向かった妻の運転する車がゆっくり近づいてくるのが見えた。
完
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