毒親と復讐としてのテロと母子相姦の話。
- 2018/06/29
- 00:46
何か大きな事件が起きると、報道を見てとんでもない事件を起こした犯人だと思いますよね。
しかし、もしこんな容疑者が自分の家族に居たとしたら事件前の予見・阻止なんか出来なかったろうし、その後の人生は最悪だったなとも思う訳で、そういう意味では加害者家族には同情的にもなってしまいます。
先日、新幹線の車内で22歳の男性による通り魔事件が発生しました。
女性二名が怪我をし、止めに入った男性一名が死亡という痛ましい結果です。
もう10年以上前になりますが秋葉原の大量殺人事件以来、通り魔的な事件が起きると容疑者に関心をもってきました。
通り魔は往々にして逃げ切ろうとか裁判で助かろうという意識は薄く、捕まって死刑にしてくれて大いに結構、と自暴自棄の心境に至っている事が多いんですね。自殺するのは嫌で誰か道連れにしたかったとか、親を恨んでいて人生を無茶苦茶にするために大きな事件を起こしたかったとか、そんな動機を見ると殺された人からすれば巻き込まれにも程がある訳です。
日本の場合、凶悪犯罪が起きた場合に犯人の養育歴などが話題になる事が多く、成人に親の責任を問うなんておかしい、という議論も沸き起こりますよね。海外のように本人の起こした事件は本人に責任があるとする割り切った考え方もありますが、日本だとやはり優性思想の影響もあるのか、問題のある人間はその家族が責任を持って面倒を見るように、出来なきゃ座敷牢に入れるなり間引くなりしろ、という傾向が強いんですね。
その割には先日発覚した監禁事件のように暴れる傾向が強い発達障害のある息子を狭くて天井の低いプレハブに長年監禁していた父親が逮捕される事もあるのです。そしたら今度はマスコミが父親に何てことをするんだと非難もするしで矛盾が著しい世の中です。もし仮に自由になったその息子が外で事件を犯したら家族は何してたんだと言われたと思うんですよね。
現実的に暴れたり話がまともに出来ない家族が居たら閉じ込めるか追い出すか殺すかの三択だと思うんですけどね。医療・公的機関に相談したって結局何も出来ないなんて目に見えてますし。精神疾患への対処法は実に保守的で無難で責任逃れで無力ですから。
今回の新幹線の事件だって容疑者が入院していた医療機関に対して、治療効果が出てないじゃないか・どう責任を取るんだなんて批判は無い訳です。
しかしながら実際に事件が起きると犯人に関する情報が何でも欲しいマスコミの手によって、事件と直接関係のない容疑者の家族や血縁者にまであれこれ書き立てられる事になるんですよね。
秋葉原事件の際は容疑者の母が非常に高い教育熱を発揮していた事と少し食べるのが遅かっただけで新聞紙に夕飯をぶちまけて食べさせる等異様と思われる「厳しいしつけ」について報じられました。
また事件を受けて容疑者の実弟が殺人者の弟と扱われる事に絶望し、自殺しています。
が、その何年も前から弟自身も母親による極端な教育によってか周囲と馴染めず、高校も中退して引きこもりの日々を送っていたりもしたようで、仮に殺人事件が無くとも問題は元々根深くあった‥‥というのが現実的な印象です。
母親は息子二人が続けてドロップアウトした事で自身の教育が間違っていた事を悟り、容疑者とその弟にも謝った事もあるようですが、もはや何の解決にもなる事はなく、事件は起きました。
秋葉原の事件が起きた後で容疑者の両親がマスコミの前に出て謝罪をしたのですが、皆さんは覚えているでしょうか?話の途中で母親は腰が抜けたように泣き崩れ落ち、父親に抱えられるようにして家の中に連れていかれたあの映像。
何だかずっと記憶に焼き付いています。
ここ30年で最多の犠牲者を出した秋葉原通り魔殺人とその後に報道された母親の「異常なしつけ」の間で、マスコミも一般人もこの事件の原因を犯人だけに負わせるのが本当に妥当なのか少し迷っているような‥‥一つの転換点だったように思います。
おそらくなんですが、凶悪犯罪が起きた時に容疑者の家族に迫ろうとするのは情状酌量のバランス感覚が働いているからじゃないかと思うんですね。容疑者を擁護するわけじゃないんだけど、彼にこんな事件を「起こさせた」ものは何だったのかって。
海外で異常者による殺人事件が起きても親の養育責任が問われないなんて、そもそもそっちの方が不可解だと思うんですよね。原因があって現象が起きるんだから、その人間をそうさせた因果を辿るのは当然だろうと。
今回の事件は犯人が発達障害と診断を受けていた事、中学時代から特に父親と折り合いが悪かった事、精神科にも入院歴があるという事、養子に出ている事、色んな状況が伝わってくるんですが、それでも実の両親のコメントにはまるで他人事のようだと批判が集まりました。
非常に育てにくかったし、昼夜問わず暴れたり手がかかってどうしようもないし、本人の要望もあって養子に出したんだから実際もう他人も同然だ、という流れからの主張はもっともだとも思うんですが、やっぱり通らないんですね。
先日、非常に痛ましい虐待事件も起きました。
わずか5歳の女の子が両親から虐待を受け、命を落としてしまいました。
彼女は習ったばかりの平仮名で悲痛で健気な「謝罪文」を親に向けてノートに書き記させられており、それがマスコミを通じて公開されると多くの人が親の所業に激怒しました。
こういう事件があると親がいかに非人間的かを強調する報道ばかりが目に付きます。
しかし、現実でネグレクト・虐待をする親は自身が幼少期に同じような仕打ちを受けていた人間が多い現実を思うと、結局は繰り返しのようにも思います。
何世代にも跨って同じような事が繰り返され、どの段階で暴発するかじゃないかって。
ここ数年、毒親告発本がヒットしたりとそういう傾向があります。
幼い頃から抑圧されてきた気持を抱いていた人がようやく真の原因を見つけ、新しい一歩を踏み出すために過去に向き合っているんだと思っていたのですが、どうも最近はそうした書籍を読んでいてちょっと印象が変わってきました。
冴えないダメな人生の責任や原因を他に求めている甘ったれなだけじゃないかって感じてしまう事もあるんですよね。
冷たい言い方なんですが、大人ならやらなきゃいけない自己責任の範疇ってものもあって。ずっと昔、子供だった頃に「いじめられている奴にも原因があるんだ」と言っている大人を見て、なんてひどい事を言うんだろうと思った記憶があります。
しかし実際に大人になって周囲を見渡すとそれに近い考え方も理解出来るようになってきて、人は変わってしまうんだとも思います。
大事件の容疑者の肉親でも、虐待加害者でももし自分の母親がこんなだったら、と思って色んな事件を見ると、どんな自分になっていただろうと想像します。
私の描く母子相姦は見た目に非常に気を遣った女性として美意識の高いタイプはまず出ません。
そうした人にこうした物語はリアリティに乏しくなるし、また人間味も感じないためです。
ずっと抱いていたコンプレックスや負い目、不遇な人生への不満や悔しさ・怒り・哀しみ・諦め・後悔。それに対して何か有効な打開策を打てずに来てしまった頑張ってこなかった自分。
よく大人の顔は履歴書だと言いますが、それを思えばあまりに整った顔立ちは嘘っぽいんです。
ダメな自分のダメな人生のダメだった時の話とかちょっとはダメじゃなかった時の話とか。飲めない酒飲んでそんな事を少し盛りながら話すような、そんな母子相姦の物語が良いですね。
最近、そう思います。
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