映画「菊次郎の夏」の話
- 2018/08/09
- 00:47

いい歳して子供向けアニメや漫画の話ばかりしているのも何なので、今回は少し変えてみました。
1999年に公開された「菊次郎の夏」です。
北野武監督作品の中で異色のバイオレンス色を排したハートフル(?)な一作ですね。
これも長年いつか見ようと思っていながら、いつの間にか20年近く経過していました。
実はこれ母親の物語なんですよ。
とりわけ母親を求める息子、というテーマでして、このブログ的にうってつけの題材なのです(もちろん近親相姦的なものではありませんが)。
あらすじ
小学三年生の正男は、東京の浅草で土産物屋に勤める祖母と二人で暮らしている。父親は正男が小さい時に他界し、母親は遠くに働きに出ているというが、会った事がない。
夏休みに入ると、友達も家族旅行に出かけてしまいサッカークラブも休みに入るため、孤独を感じた正男は写真でしか見たことのない母親に会いに行こうと思い立つ。彼女が住んでいるという「豊橋」まで。
出発してすぐに不良たちに囲まれて小遣いをカツアゲされかけてしまうが、近所のスナックのママに助けられる。事情を知ったママに旅費まで工面してもらい、引率として旦那でプータローの菊次郎を付けることになった。しかし工面された旅費を菊次郎はすぐに競輪で使い込んでしまい、二人の旅路はいきなり頓挫しかかってしまう。
菊次郎はタクシーを盗んだり、ホテルのフロントと揉めたりドライブインでトラック運転手と喧嘩になったりとどこに行っても傍若無人な振る舞いで揉め事を起こしながらも旅を続いていく。ある時、飲み屋で飲んでいたら、店の前で待たせていた正男が変質者に連れ去られてしまう事件が起きてしまう。公衆トイレの裏手で変質者に無理やり下着を脱がされかけているところにギリギリ間に合って助けだすと、ようやく二人の間に絆と情らしきものが芽生えた。
菊次郎は正男の境遇に同情させる作戦でヒッチハイクをしながら少しずつ進んでいく。途中親切なカップルと楽しい時間を過ごしたりしながら二人の距離はますます近づいた。菊次郎の悪だくみにも嫌々ながら同調する正男。なかなか車が捕まらなくなったため、盲人を装ったり正男がより哀れみが増すように顔にメイクする作戦に出るが上手くいかない。やむを得ず通りがかりの車をパンクさせ、修理を手伝って恩を売って乗せてもらおうと考えるものの、ひょんなことからパンクさせようとしたワゴン車の持ち主である作家志望の青年と意気投合し、豊橋のすぐ近くまで連れて行ってもらえることになった。
着いたら母の家に泊めてもらうつもりの正男はようやく会えると喜びを隠せず、自然と菊次郎も舞い上がってしまう。しかし、実際に訪ねた家の表札は母の姓ではなかった。嫌な予感がした菊次郎は正男を離れたところに置いて自分だけ見に行く事にする。やがて玄関から正男の持っていた写真の母が現れたが、そのすぐ後には浮き輪を持った幼い少女と見知らぬ男も笑いながら後に続いてきた。事情を察した菊次郎は正男に分からないようにしようとするが、既に正男は少し離れたところから全てを見てしまっていた。
言葉も出ない菊次郎と正男が見ている前で、母親は男と少女をほほ笑みながら見送ると二人に気付く事もなく家の中に入ってしまう。
正男の母親は夫と死別後すぐに父方の祖母に息子を託し、新しい土地で新しい人生を歩んでいたのだ。
母親に自分が捨てられていた現実を悟った正男は菊次郎に背中を向けて涙を流し続けた。
菊次郎は辛い現実を誤魔化すように「引っ越したのか違う家だったんだな」と正男に声をかける。
既に正男が母親に捨てられた事を認識していることは分かっていたけれど、それでも菊次郎はそう言わなかった。
菊次郎にもかつて母親に捨てられた経験があったからだ。
母親の家を離れたが、正男はただ泣き続けていた。菊次郎は正男を浜辺に待たせて、もう一度あの家で「母親の引っ越し先を聞いてくる」と言ってその場を離れた。もちろん実際に訪ねる事も出来ず、困った菊次郎は通りがかったバイカーのバイクのハンドルについていた天使の形をした鈴に目をとめた。いつものように強引に二人から鈴を譲り受けると、正男の元に戻って「母親は引っ越したけど、いつか息子が来たらこの鈴を渡すように頼まれた」と手渡す。そして「苦しいことや悲しいことがあったら鈴を鳴らすと天使が助けてくれる」と。
菊次郎は正男を元気づけようと地元の神社の祭りに立ち寄る。しかし、金魚掬いや射的でまたも揉め事を起こしてしまい、祭りの仕切りを任されたヤクザ達に袋叩きにされてしまう。無力感で珍しく落ち込む菊次郎の気遣いを感じ取ったのか、正男が慰めるように顔の血をタオルで拭うと、菊次郎は小さく嗚咽を漏らして詫びた。
それから間もなくワゴン車に乗った小説家志望の男と再会したので、改めて事情を話すと菊次郎に「正男のためにキャンプで遊ぼう」と提案する。
そこに菊次郎に鈴を取られたバイカーの二人も暇だからとやってきて、みんな子供に戻ったようにスイカ割りや肝試し、ターザンごっこやだるまさんが転んだを楽しむ。楽しいキャンプの日々に正男の顔にもようやく笑顔が戻った。
やがて菊次郎はかつて自分を捨てた母親が近くの介護施設に入所していることを知る。正男を一旦仲間に預けて、バイカーに頼んで施設を訪ねてみた。しかし介護士に案内されて見た母親は既に年老いていた。気難しそうで周囲を拒絶し意固地に孤立している老母を目にする菊次郎。声を掛けることも出来ず、菊次郎はそんな母を離れたところから眺める事しか出来なかった。
施設を出た菊次郎は自棄になって自分だけ歩いてキャンプのとこまで帰ると言い出すが、バイカーは距離もあるからと菊次郎を慮って離れようとしない。結局行きと同じようにバイカーに乗せられてキャンプまで戻った。
数日間の楽しいキャンプも終わり、仲間たちと別れる時がやってきた。最後、浅草の河原に戻ってきた菊次郎と正男もそれぞれの家に戻る時がくる。別れ際、菊次郎は「またお母さんを探しに行こう」と正男を抱きしめた。去り際に正男は初めて菊次郎に「おじさん名前なんて言うの?」と尋ねる。道中正男はずっとおじさんと呼んでいた。「菊次郎だよ!バカヤロウ!」とはにかみながら怒鳴るように菊次郎は言った。
それから菊次郎は走り去る正男の小さな背中が見えなくなるまで眺めていた。
正男のリュックにはあの天使の鈴が鳴っていた。
以上です。
たけし版「母を訪ねて三千里」かと思いきや、「菊次郎の夏」という題名が示す通りおそらく実際は菊次郎の物語なんですね。
「菊次郎」はたけしの実父の名前なのですが、確執があったようで(その辺りは「たけしくん、はい」等の著作でもよく読み取れます)、理不尽で愚かで馬鹿げていてどこか哀れで悲しくて……それでもこうあって欲しい(欲しかった)という複雑な感情が読み取れます。
非識字で字が書けず、無学で気が弱くて酒ばかり飲んでいて理不尽な事して家族を虐げて迷惑をかけて……それでいて社会的には立場も力もなく、と。それでも決して根が悪い人ではなかった、とも。
最初はいわゆるお涙頂戴の話だろうと先入観があったのですが、正男の旅の顛末と仲間たちとのキャンプのシーン等見どころの多い映画でした。1999年の街並みも少し懐かしいですね。ドライブインとか仲見世とか。
正男に悪戯しようとする変質者の男を「麿赤児」(駱駝艦を主宰する白塗りの暗黒舞踏家)がやっていたり、バイカーの二人が井出らっきょとグレート義太夫でいい味出してたり、途中で出会う男にビートきよしが出ていてたけしと漫才のようなやり取りをしたり。
ちょっと冗長な部分(夢のシーンとか)もありますが、久石譲の主題歌「summer」も実に素晴らしい。あまりに素晴らしいので、最後にリンクいれます(ピアノバージョン)。
これ、母親の物語としてほろ苦くていいですね。
今までたけし映画で個人的に好きなのは「キッズリターン」だったんですが、こっちのが好み。
未見の方はこのお盆にいかがでしょうか。
追伸
あ、新作小説もぼちぼち出しますんで。よろしくお願いします。
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