進学した高校は寮制だった。
入ってからもなかなか実家に帰れなくて、病欠か脱走でもしないと月一連休の時くらいしか帰れなかったし。
校則が厳しいのが有名で本当は行きたくなかったけれど、中学時代にちょっと迷惑をかけて強制的に決められたから仕方なかった。
実際偏差値は低くて授業料さえ出せばほとんど誰でも入れたし、ハッキリ言えば厳しいばかりの馬鹿学校だった。
ただそれでも強制的に入れられたのはやっぱり腹が立ってたから、十年間くらいずっと父親を恨んでたけれど。
その頃は特にそうで、実家に帰る時も父と顔を合わせなくてもいいように時間をずらして帰ってた。
「ただいま」
そう言って玄関を開けても8歳になる雑種犬の「モモ」が飛び出してくるだけで、母親のおかえりという声が台所から聞こえてくるだけだ。
母は俺が帰って来る日は俺の好物を作ってくれるようにしてる。
今は見たいテレビなんて別になくなったけど、寮ではビデオも録画出来ない事がたまらなく不自由に思えて仕方なかった。
ビデオに録画された番組を見ながら母親の作ってくれた料理を食べるのが当時数少ない楽しみの一つだった。
俺と母親が肉体関係を持ったのも父親が泊まり勤務に向かう金曜日から土曜日に実家に帰った時だった。
その時も母は母で父親がいないときは気楽らしく、軽く酒なんか飲みながら俺と話をしてた。
「あんたも男だらけの寮なんかおったら嫌んなるやろ」そんな若干際どい発言もちょくちょく出始めている頃に俺が母親のパンツが見えている事に気付いた。
母はまったく気づいていない様子だったが、俺も実家にいた頃は何とも思わなかったのに母親のパンツが「見えてしまっている」状態と言う事で変に興奮してしまっていたのだ。
母が俺が自分の下着を覗いている事に気付いた時、俺と母の運命は決まっていただろう。
珍しく照れて隠した様子の母を見て、俺はつい母をこのまま酔わせて…と妙な考えが浮かんでしまっていた。
狙いは結局見事に当たって、泥酔に近いくらいになった母を介抱するフリをして母の身体を触れていると「これがお目当てだったんやろ」と図星を突かれた。
やりようがないので、俺が誤魔化すように笑ってマジに迫ってもいいかと聞いたら母から唇を押し付けてきた。
えらく酒臭い初キスの後で、俺と母はそのまま親子でセックスをした。
俺も母も無我夢中でガンガンと身体を絡ませ合って何十回もキスした。
母の陰毛と下腹部は俺の精液が何度もかかってカピカピになるほどだった、
少し我に帰ったのは何度目かの射精を俺がした時だった。
変に熱も覚めて母も酔いが少し収まったんだろう。
「やばい事してしもたな…」
母が俺に言うでもなく、独り言みたいに言った。
俺もつい勢いで母親と致してしまった事をはっとする思いで自省したんだけれど、冷房もない居間だったので暑くて暑くて堪らなくなり、二人して風呂場にいって行水した。
それで少しさっぱりした後で、今度は本当にごく自然に母親の部屋に行こうという話になって母の布団で今度は落ちついたまま母親とセックスをした。
母も酔いが覚めた事もあってさっきまでの激しさはなかったけど、変に女らしくて俺の腰に腕を回して俺にすがるように抱きついて唇を求めてきた。
正直それまで口うるさいおばさんとしか見てなかった母だったけど、そん時はなんか女として綺麗で可愛いとさえ思った。
「こんな事して……これからどうするんよ?」
マジなトーンで母が聞いてきた。
表情は女っていうより俺の母親、おかんとしての声と聞き方だ。
もっとも素っ裸で俺の肩にもたれるように抱かれたままだけど。
「どうするって何を?」
「いつまでも続けていけんやろ、こんな事」
母はすっかり冷めたような声を出す。
いつかこんな時が来ると思っていたけれど…俺は感慨深いものがあった。
「これで終わりにしよ…」
そう言って俺と母はもう一度だけ身体を重ならせた。
汗をかいて酒は抜けきっているのか母はすっかりシラフの顔だった。
それでも俺も母も止めようとはしなかった。
最後という思いが俺と母を異常に盛り上げるものがあったのか、俺は何だかこのまま母と関係を終わらせたくないと思った。
何だか関係を終わらせると親子の縁まで切れてしまうような気さえした。
母親も多分似たようなものだったと思う。
最後という感情が、これで今生の別れのようなようなそんな気持ちになったのだろう。
俺と母は唇を何度も重ねてコンコンと突き続ける緩やかな律動を惜しむ様に愉しんでいた。
「おかん、おとんと別れろよ…」
俺は自分でも意外な事を口走っていた。
自分で口走っておきながら俺もびっくりしたが、母も俺のその言葉に一瞬驚いたような表情を見せた。
「………あかん…地獄に落ちるで、ほんまに…」しばらく黙った後、母は俺に言う。
俺が言っている事の意味とその行きつく先を想像したのか、母は母親の顔をして言う。
しかし俺を押しのけたり拒絶しようとはしなかった。
「あかんて…ちょっと…」
「ええから…俺高校出たら働くから…二人で暮らそ…」
そこまで言うと母は何度もあかんあかんと泣きながら言った。
しかし、俺の熱意が勝ったのか、女として男に求められている本能からか言葉とは裏腹に身体は俺を受け入れ続けていたのでそのまま母の胎内の奥に出した。
母は俺の射精を感じ取ると声を上げて泣いていたが、それからすぐにシャワーに向かった。
多分洗い流していたんだと思う。
母とは俺が高校を出るまでは寮から帰るたびに必ず関係を続けていた。
望んでいないような顔をしながら俺とセックスをする時はひどく濡らしていて、何度もイッていた。
いつか語りあった二人で暮らすという話はそれから数年後に実現した。
俺が二十歳を迎えた頃、母親を強引に説き伏せて家に離婚届を置いたまま、逃げるように連れて出て行った。
地方で仕事を見つけてからアパートを借りて一緒に暮らし始めると、母は結局俺の女房のようになった。
子供を産むのは最後まで消極的だったからか、ついに子供は出来ずじまいだったが、見知らぬ土地で15年近く実の母親と夫婦のように暮らせたのは幸せな事だったと思う。
母は58歳で早逝したが、最後まで傍にいてくれた。
その後俺も別の女と再婚して何年にもなるけど、母の事をいつまでも思い出し続けるだろう。
完
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