短編「いつかの友達」
- 2020/08/14
- 00:49
お盆ですね。
みなさんはお墓参り、行きましたか?
くそ暑い中行ってきた(近所)のですが、年を取るごとにお墓参りって行事に感慨のようなものを抱くようになりました。
子供の頃は会った事も無い祖先のことなんてと思っていましたが、知っている祖父母や親せきらが入っていると思うとね。
何て言うか、知ってる人らがここに居るんだなって思うと、うん。
リアルな未来としていつか自分も入るんだなって何となく考えるんですね。
話変わって、今回は短編というかかなり実録エッセイ的なもの。
かなり実体験に基づいてますので、エロは全くありません。
ちなみに作中で述べている映画は「おつむてんてんクリニック」というアメリカのブラックコメディ映画です。
今なら放送コードか何かに引っ掛かるんじゃないですかね……。
それでもよろしければどうぞ。
追伸
あ、お盆中にもう一本新作を載せます。
そちらも良ければよろしくお願いします。
皆さんは自分の脳が正常であるか異常であるか考えた事はありますか?
私は以前軽度のうつ病を患っていたことがありまして。
その時の経験から少し考えてみた事です。
当時いくつかのカウンセラーや精神科にかかりました。
その時の先生が口にした私の印象が実に的確で驚いたことがあるんですね。
少し話をしただけでそれまで自覚していなかった自分の思考の傾向や口癖などを言い当てられて、狼狽したものです。
向こうは人間と向かい合うプロですから当たり前と言えばそうなのですが、心の奥や生き方まで見透かされているようで凄いと思うと半面恐ろしい気になりました。
自分が見たくないもう一人の嫌な自分を見させられているようなそんな感覚になったものです。
「あなたは男性では珍しく感情に支配されやすいですね。どちらかといえば男性は女性よりも論理的で感情よりも筋道や理性で判断しますが、あなたはその時の感情で思考が変わる傾向を感じます」
「さっきから「分からない」とよく言いますよね。考えたくないことを考えないようにしているように」
「頭の中で言いたいセリフを考えついても口には出さないということが多いでしょう。まずいったん少しずつ相手に軽く言ってみましょう」
あまりに当てはまり過ぎて逆に閉口する思いでした。
驚くほど深く理解してくれている、という安心感と自覚してないことまで分析されて恐ろしいという不安感が同居していました。
昔、アメリカ映画でこういう作品がありました。
精神科医が粘着質な精神病患者に依存されてつきまとわれている内に、最終的になぜか医者と患者の立場が逆転していくというブラックコメディです。
心が弱っている時にカウンセリングにかかると相手が自分を理解してくれている実感を得られるのと同時に依存心が湧いてくるのは本当なのだとその時に知りました。
あのブラックコメディはホントはちっとも笑えないリアルさも膨らんでいました。。
精神科から処方された薬も飲んでいました。
脳の前頭葉の働きを助けるとかで、細かなことは忘れてしまいましたが飲んでいました。
弱っている時だったからか、驚くほどてきめんに効果が出てるのですね。
元々頭の回転があまり早くないからかもしれませんが、明らかに脳が活性化し複数のことが同時に思考出来るくらいになるのです。
もしかしたら「脳が活性化する」プラシーボ効果も働いたのかもしれませんが、それだけであそこまで変化は生じないだろうとも思うのです。
カウンセリングと薬で初めて自分と向き合い、ようやく少し自信が持てた気がします。
精神科やカウンセリングにかかるのは逃げだという声もありますが、少なくともあの当時の自分には必要な治療でした。
少し話は変わりますが、90年代に心理テストなるものが流行りましたよね。
人間の深層意識を知るため様々なシチュエーションの設問に答えるというテレビ番組や本がたくさん出ていました。
いくつかやってみたのですが、ほとんどピンと来なかったんですね。
それなりに当たっているような当たっていないような、雲をつかむような感覚でした。
おそらく当時やってみた方もほとんど同じ感想を持ったのではないでしょうか。
今となってはエセ科学に近かった気もします。
ああいうものに比べて精神科医やカウンセラーというのはやっぱり大したもんだなと思うわけです。
皆さんは子供の頃、公立の学校に通っていましたか?
通っていた方はおそらく特別学級(今は色んな名称がありますね)が設置されていたと思います。
最近は発達障害という言葉もよく選ばれますが、あの頃はほとんどまとめて知的障害と呼んでいました。
差別的な意図はありませんが、それ以外の呼び方はちょっと耳にした記憶がありません。
子供心に特別学級の子供らに対して何とも言えない違和感、もっといえば何とも言えない侮蔑にも似た感情を覚えていました。
年齢に比べて話し方や考えが幼かったり、話をしても「どこまで理解出来ているんだろう」とか「小さな子供みたいだな」と内心思っていました。
急に大声を出したり歌ったりルールを守れなかったり急にいなくなったり。
そうした特徴を目にするにつけ、何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
少年時代、少し仲の良い特別学級の子がいました。
一歳年上でしたが、甲高い声で私をくん付けで呼んでくれていました。
彼はどういう訳かいつも大量ののど飴を持っていて、何かとくれようとするのです。
どもり気味で話もいつも子供のようでしたが身体も少し不自由なのか、ぽっちゃり気味の体形でいつも足を少し引きずったような歩き方でした。
学校にお菓子の持ち込みは禁止されていましたが、特別学級の子供だからかのど飴だからかそこはグレーゾーンで実質不問でした。
彼について一つだけ今も強く印象に残っている事がありました。
彼の頭部には大きな傷跡があったのです。
何かの手術跡に見えました。
夏に学校指定の通学帽子を脱ぐと彼の短髪の隙間からミミズのように大きく盛り上がった皮膚が目立っていたのです。
それがいったいどうして出来たのかついに聞けないままでした。
日本では1975年にロボトミー手術は禁じられていますので、その後に生まれた彼が受けたはずはありません。
ただそれでも何らかの頭の手術をした形跡ではないかと思っていました。
あるいは幼い頃に頭に大怪我をしてその治療のためだったのかもしれません。
いずれにしてもその傷跡と彼の知的障害に何か関係があったのかは一度も確かめていません。
たぶん関係があるのかな……くらいに想像していました。
学校の帰り道、たまに彼と一緒に帰りました。
家が近くでしたし、彼の家は私の家の手前にあったのです。
約10分くらいの道のりでした。
彼の家は畑のある平屋で、あの周辺では平均的な大きさの建物でした。
その時、何度か彼のお母さんを見た事があります。
けっこう若くて綺麗な人だったので、少し意外に思っていました。
その時点で彼のお母さんは30代前半くらいだったでしょう。
同級生たちの母親よりもかなり若く見えたし、髪も少し茶色に染めていて小奇麗に見えたのですね。
思えば田舎町の主婦ですからそこまで大差なかったとは思いますが、その当時には随分違うように見えたのです。
その友達は二人の時こそアニメの話をよく喋るのですが(私がほぼ聞き役)、お母さんの前だとほとんど話さなくなりました。
彼は母親といるといつもの天真爛漫さが失せてどこか緊張しているようでした。
お母さんはお母さんで私には愛想よく挨拶をしてくれても、息子に対してはどこか少し硬い態度で接しているようにも思えました。
ちょっと違和感があったのですが、それが何かは分かりません。
ただ彼ら親子といると少しぎくしゃくした空気になるのが苦手でした。
彼とは中学校までは一緒でしたが、それ以降はずっと顔もみることはなくなりました。
職業訓練校に行ったのか、それとも作業場で働きだしたのかもまったくわからないまま、長い月日が経過しました。
それから四半世紀以上経った頃です。
テレビを見ていたらとある事件のニュースが流れていました。
ちょうど実家の近所で起きたようで、自然と引き付けられました。
上空からヘリで撮影しているようで、ちょうど彼の家があった周辺が映し出されています。
その辺りは古い団地や家が固まってたから年月が流れてもほとんど建て替えも無かったので、景観はほとんど変わっていません。
(あぁ、あの辺だ)
見覚えのある地区で自然と画面に引き込まれていきました。
「〇〇市の住宅で50代の女性が死亡しているのが見つかった」
「腹部と頭に包丁で刺された傷があり、同居していた30代の息子が逮捕された」
「息子は自分がやったと認めているが、意味の分からない供述もしている」
「息子は知的障害があるとして警察は慎重に捜査をすすめている」
断片的な情報を女性アナウンサーが読み上げています。
最初から最後まで容疑者の氏名など詳細は出ませんでした。
久しぶりに彼の事を思い出しました。
もっとも思い出らしいものは彼にもらったのど飴の酸味と彼のお母さんとのぎくしゃくした時間くらいでしたけれど。
彼の頭の傷とお母さんの硬い態度と今の事件がどう結びついているのか。
あれから四半世紀彼がどうやって生きてきたのか、これからどうやって生きていくのか。
お母さんと彼の間に一体何があったんだろう。
今さら何も分からないのですが、彼らの長い年月を勝手に想像して色んな現実が浮かんでは消えていきました。
もし彼がカウンセラーや精神科にかかってたらどうだったのだろう、とも。
もちろん彼の症状はそういったものでは治せないだろうと専門家は言うでしょう。
でも今だから思う事もあるのです。
少年時代の私は自分が正常で、特別学級の彼はちょっと異常だと内心思っていました。
しかし、うつ病を経ると本当に自分が正常なのかいくぶん自信が無くなくなりました。
「自分の思考、意識は間違いなくしっかりしている」
それがいかに危なっかしく、主観に基づいた曖昧な感覚だったか今ならわかります。
本当に確かなモノなんて誰にも分らないんだと。
完
スポンサーサイト

みなさんはお墓参り、行きましたか?
くそ暑い中行ってきた(近所)のですが、年を取るごとにお墓参りって行事に感慨のようなものを抱くようになりました。
子供の頃は会った事も無い祖先のことなんてと思っていましたが、知っている祖父母や親せきらが入っていると思うとね。
何て言うか、知ってる人らがここに居るんだなって思うと、うん。
リアルな未来としていつか自分も入るんだなって何となく考えるんですね。
話変わって、今回は短編というかかなり実録エッセイ的なもの。
かなり実体験に基づいてますので、エロは全くありません。
ちなみに作中で述べている映画は「おつむてんてんクリニック」というアメリカのブラックコメディ映画です。
今なら放送コードか何かに引っ掛かるんじゃないですかね……。
それでもよろしければどうぞ。
追伸
あ、お盆中にもう一本新作を載せます。
そちらも良ければよろしくお願いします。
皆さんは自分の脳が正常であるか異常であるか考えた事はありますか?
私は以前軽度のうつ病を患っていたことがありまして。
その時の経験から少し考えてみた事です。
当時いくつかのカウンセラーや精神科にかかりました。
その時の先生が口にした私の印象が実に的確で驚いたことがあるんですね。
少し話をしただけでそれまで自覚していなかった自分の思考の傾向や口癖などを言い当てられて、狼狽したものです。
向こうは人間と向かい合うプロですから当たり前と言えばそうなのですが、心の奥や生き方まで見透かされているようで凄いと思うと半面恐ろしい気になりました。
自分が見たくないもう一人の嫌な自分を見させられているようなそんな感覚になったものです。
「あなたは男性では珍しく感情に支配されやすいですね。どちらかといえば男性は女性よりも論理的で感情よりも筋道や理性で判断しますが、あなたはその時の感情で思考が変わる傾向を感じます」
「さっきから「分からない」とよく言いますよね。考えたくないことを考えないようにしているように」
「頭の中で言いたいセリフを考えついても口には出さないということが多いでしょう。まずいったん少しずつ相手に軽く言ってみましょう」
あまりに当てはまり過ぎて逆に閉口する思いでした。
驚くほど深く理解してくれている、という安心感と自覚してないことまで分析されて恐ろしいという不安感が同居していました。
昔、アメリカ映画でこういう作品がありました。
精神科医が粘着質な精神病患者に依存されてつきまとわれている内に、最終的になぜか医者と患者の立場が逆転していくというブラックコメディです。
心が弱っている時にカウンセリングにかかると相手が自分を理解してくれている実感を得られるのと同時に依存心が湧いてくるのは本当なのだとその時に知りました。
あのブラックコメディはホントはちっとも笑えないリアルさも膨らんでいました。。
精神科から処方された薬も飲んでいました。
脳の前頭葉の働きを助けるとかで、細かなことは忘れてしまいましたが飲んでいました。
弱っている時だったからか、驚くほどてきめんに効果が出てるのですね。
元々頭の回転があまり早くないからかもしれませんが、明らかに脳が活性化し複数のことが同時に思考出来るくらいになるのです。
もしかしたら「脳が活性化する」プラシーボ効果も働いたのかもしれませんが、それだけであそこまで変化は生じないだろうとも思うのです。
カウンセリングと薬で初めて自分と向き合い、ようやく少し自信が持てた気がします。
精神科やカウンセリングにかかるのは逃げだという声もありますが、少なくともあの当時の自分には必要な治療でした。
少し話は変わりますが、90年代に心理テストなるものが流行りましたよね。
人間の深層意識を知るため様々なシチュエーションの設問に答えるというテレビ番組や本がたくさん出ていました。
いくつかやってみたのですが、ほとんどピンと来なかったんですね。
それなりに当たっているような当たっていないような、雲をつかむような感覚でした。
おそらく当時やってみた方もほとんど同じ感想を持ったのではないでしょうか。
今となってはエセ科学に近かった気もします。
ああいうものに比べて精神科医やカウンセラーというのはやっぱり大したもんだなと思うわけです。
皆さんは子供の頃、公立の学校に通っていましたか?
通っていた方はおそらく特別学級(今は色んな名称がありますね)が設置されていたと思います。
最近は発達障害という言葉もよく選ばれますが、あの頃はほとんどまとめて知的障害と呼んでいました。
差別的な意図はありませんが、それ以外の呼び方はちょっと耳にした記憶がありません。
子供心に特別学級の子供らに対して何とも言えない違和感、もっといえば何とも言えない侮蔑にも似た感情を覚えていました。
年齢に比べて話し方や考えが幼かったり、話をしても「どこまで理解出来ているんだろう」とか「小さな子供みたいだな」と内心思っていました。
急に大声を出したり歌ったりルールを守れなかったり急にいなくなったり。
そうした特徴を目にするにつけ、何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
少年時代、少し仲の良い特別学級の子がいました。
一歳年上でしたが、甲高い声で私をくん付けで呼んでくれていました。
彼はどういう訳かいつも大量ののど飴を持っていて、何かとくれようとするのです。
どもり気味で話もいつも子供のようでしたが身体も少し不自由なのか、ぽっちゃり気味の体形でいつも足を少し引きずったような歩き方でした。
学校にお菓子の持ち込みは禁止されていましたが、特別学級の子供だからかのど飴だからかそこはグレーゾーンで実質不問でした。
彼について一つだけ今も強く印象に残っている事がありました。
彼の頭部には大きな傷跡があったのです。
何かの手術跡に見えました。
夏に学校指定の通学帽子を脱ぐと彼の短髪の隙間からミミズのように大きく盛り上がった皮膚が目立っていたのです。
それがいったいどうして出来たのかついに聞けないままでした。
日本では1975年にロボトミー手術は禁じられていますので、その後に生まれた彼が受けたはずはありません。
ただそれでも何らかの頭の手術をした形跡ではないかと思っていました。
あるいは幼い頃に頭に大怪我をしてその治療のためだったのかもしれません。
いずれにしてもその傷跡と彼の知的障害に何か関係があったのかは一度も確かめていません。
たぶん関係があるのかな……くらいに想像していました。
学校の帰り道、たまに彼と一緒に帰りました。
家が近くでしたし、彼の家は私の家の手前にあったのです。
約10分くらいの道のりでした。
彼の家は畑のある平屋で、あの周辺では平均的な大きさの建物でした。
その時、何度か彼のお母さんを見た事があります。
けっこう若くて綺麗な人だったので、少し意外に思っていました。
その時点で彼のお母さんは30代前半くらいだったでしょう。
同級生たちの母親よりもかなり若く見えたし、髪も少し茶色に染めていて小奇麗に見えたのですね。
思えば田舎町の主婦ですからそこまで大差なかったとは思いますが、その当時には随分違うように見えたのです。
その友達は二人の時こそアニメの話をよく喋るのですが(私がほぼ聞き役)、お母さんの前だとほとんど話さなくなりました。
彼は母親といるといつもの天真爛漫さが失せてどこか緊張しているようでした。
お母さんはお母さんで私には愛想よく挨拶をしてくれても、息子に対してはどこか少し硬い態度で接しているようにも思えました。
ちょっと違和感があったのですが、それが何かは分かりません。
ただ彼ら親子といると少しぎくしゃくした空気になるのが苦手でした。
彼とは中学校までは一緒でしたが、それ以降はずっと顔もみることはなくなりました。
職業訓練校に行ったのか、それとも作業場で働きだしたのかもまったくわからないまま、長い月日が経過しました。
それから四半世紀以上経った頃です。
テレビを見ていたらとある事件のニュースが流れていました。
ちょうど実家の近所で起きたようで、自然と引き付けられました。
上空からヘリで撮影しているようで、ちょうど彼の家があった周辺が映し出されています。
その辺りは古い団地や家が固まってたから年月が流れてもほとんど建て替えも無かったので、景観はほとんど変わっていません。
(あぁ、あの辺だ)
見覚えのある地区で自然と画面に引き込まれていきました。
「〇〇市の住宅で50代の女性が死亡しているのが見つかった」
「腹部と頭に包丁で刺された傷があり、同居していた30代の息子が逮捕された」
「息子は自分がやったと認めているが、意味の分からない供述もしている」
「息子は知的障害があるとして警察は慎重に捜査をすすめている」
断片的な情報を女性アナウンサーが読み上げています。
最初から最後まで容疑者の氏名など詳細は出ませんでした。
久しぶりに彼の事を思い出しました。
もっとも思い出らしいものは彼にもらったのど飴の酸味と彼のお母さんとのぎくしゃくした時間くらいでしたけれど。
彼の頭の傷とお母さんの硬い態度と今の事件がどう結びついているのか。
あれから四半世紀彼がどうやって生きてきたのか、これからどうやって生きていくのか。
お母さんと彼の間に一体何があったんだろう。
今さら何も分からないのですが、彼らの長い年月を勝手に想像して色んな現実が浮かんでは消えていきました。
もし彼がカウンセラーや精神科にかかってたらどうだったのだろう、とも。
もちろん彼の症状はそういったものでは治せないだろうと専門家は言うでしょう。
でも今だから思う事もあるのです。
少年時代の私は自分が正常で、特別学級の彼はちょっと異常だと内心思っていました。
しかし、うつ病を経ると本当に自分が正常なのかいくぶん自信が無くなくなりました。
「自分の思考、意識は間違いなくしっかりしている」
それがいかに危なっかしく、主観に基づいた曖昧な感覚だったか今ならわかります。
本当に確かなモノなんて誰にも分らないんだと。
完
- 関連記事
-
- 短編小説「その時」
- 短編「優しい母」
- 短編「いつかの友達」
- 短編「ブロークン」
- 中編「息子に誘われた日」

[PR]

- テーマ:熟女・人妻
- ジャンル:アダルト
- カテゴリ:母子相姦小説 短編
- CM:0
- TB:0