連載「母子相姦のある風景」第三十九話「寺」
- 2020/12/06
- 19:32
(12月7日追記)
そういえば今回のエピソードの話を忘れていました。
今回は「寺」という事ですが、初めて訪れた部分は実体験です。
真言密教のお寺がほとんどそうかは分かりませんが、タイやクアラルンプール的なアジアの雰囲気の漂う白い石作りの鐘堂があり、地蔵が大量にありました。
厄除け・水子供養を謳っているためか、人の話題におおっぴらに上がる事は少ないものの地域住民の心の支え(免罪符)にもなっている気がします。
本当なら弟がいたというのも本当です。
普段地元でお世話になっているお寺は真宗大谷派で、一般的にみなさんが想像するお寺です。
アニメ「一休さん」に出てきたのとほとんど同じような感じですね。
それに比べて真言密教のお寺は独特の建築様式で、幼心に不思議に思ったのを覚えています。
(追記終わり)
八月以来の新話がようやく出来ました。
曲がりなりにも連載と謳いながら、お恥ずかしい話です。
少し気を抜くとすぐに時が経ってしまいますね。
2020年も残り三週間程度となってしまいましたね。
年が明けて間もなくコロナ禍がありオリンピックも延期され……。
今年亡くなった有名人みたいなものが年末にはよくマスコミに出ますが、
https://reiwa.glt.tokyo/entry/reiwa2/okuyami
亡くなった方々の名前を見るたびに、色んな記憶が蘇ります。
ここ最近だけでサッカーのマラドーナ、かつては時代の寵児のような存在だった宅八郎の訃報も伝わってきました。
昔は著名人の訃報を聞いても「ふーん」くらいでしたが、テレビで見たり作品を視聴したり書籍を読んだりした経験があると自分の人生に影響を受けていますので「あぁ、あの人亡くなってしまったんだ……」とショックを受けるようになりましたね。
世間では「鬼滅の刃」の劇場版が凄まじい人気のようですね。
単行本も書店では売り切れ続出のようですし、こういう暗い世相の時代には明るいニュースかと思います。
作者の吾峠呼世晴(ごとうげよしはる)先生は女性との噂ですが、女性作家は細かな心理描写や一瞬の表情を描くことに長けていますね。
ある一面を切り取る才能が優れているというのかな。
やっぱり繊細なんでしょうかね。
キャラを鋭く深く切り取って立体的な人間味溢れる人物に描き出す才能は男性作家にはほとんど見られないと思います。
「結界師」の田辺イエロウ先生とか「聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話」の手代木史織先生も似た系譜に思いますね。
「ものすごく有名だけど読んだことはない」という人も少なからずいるかと思いますが、もし機会があれば読んでみてください。繊細で傑出した作品だと思います。
BL漫画家の井ノ本リカ子先生もそうですね……ちょっとした間や微妙な表情でキャラの心情や人間性を切り取って描く能力は女性作家の優れた特性のように思えますね。
だからこそね、上に名前を挙げたような先生方にはみんな母子相姦漫画をぜひ描いて欲しいと私は心から願っているんですよ(描かねぇよ)。
それでは宜しければどうぞ。
50台くらい止められそうな広い駐車場だった。
冷えた朝の空気が耳にジンジンと沁みる、
山門を潜ると手水舎が見えてくる境内が広がった。
少し離れたところに白い石作りの東南アジア風の鐘堂が見え、その間には子供くらいの大きさの地蔵が無数に並んでいる。
昔訪れた時は地蔵が大量に並んでいる光景が何とも薄気味悪く思えた。
子供だから石像や彫刻、人形がやけに怖く見えたんだろう。
本堂脇に少し大きめの本堂がそびえていた。
そこは真言密教なので、一般的にイメージされる仏閣とは少し異なる建築様式だろう。
ぱっと見は日本古来というよりラオスやベトナムから直接持ってきたような印象が強い。
いつかテレビで見たアジア紀行の寺も白い石作りの鐘堂や地蔵があって、ちょうどこんな風だった。
冬の曇り空は風景として見栄えはしないが、何となく暗い雰囲気の境内には似合う気もする。
「現在御祈祷はアルコール消毒を行って頂いてからお願いいたします」
このご時世か、こんな注意書きの立て札が本堂扉に貼ってあった。
苦笑いしながら傍らの噴霧器で律儀に手を濡らすと、冷えた空気にヒリヒリ痛む。
どうもこのアルコールは肌に慣れない。
朝六時過ぎだから開門こそしているもののほかに参拝客はまだいない。
この辺の地域では真言密教の寺としては著名だが、ひっそりとしているのは昔から変わらない。
ここに来るのは三回目だ。
初めての時はまだ小さい頃、両親に連れられてきた。
地元の墓地のある寺や京都などの有名な寺とかなり違うことを不思議に思った事を覚えている。
二回目に来たのはそれから10年近く経った頃のことだ。
その時は母と二人でやってきた。
そして、今日が三回目。
いつ来ても印象がほとんど変わらないのはここが宗教的な施設だからかもしれない。
それよりも無数の地蔵群が境内のどこか沈んだ空気をよりひそやかにしている。
少しずつ昇り始めた太陽が冷え切った境内をジワリと紅く照らし出した。
この寺が地域で有名な理由として、水子供養を謳う寺であることだ。
中絶や流産、死産などで生まれてくることが出来なかった子を供養し、浄土に送る。
そのため水子塚や水子地蔵という施設が設けられている。
これらの施設によって無辜の子達は安らぎを得られる、ことになっている。
とはいえこれら自体が比較的新しい概念ともいう。
オカルトブームに乗じて寺院が新たな財源として利用しようとしたのが水子供養商法だ、と。
つまりはそういう考え方もある。
坊主丸儲けだけに商魂逞しいとも言える訳だ。
だからかその寺は有名でありながら人の話題から自然と遠ざけられる存在だった。
産まれてくることが出来なかった命。
生まれて間もなく亡くなってしまった命。
水子の命が失われた事実は親や周囲の人たちにとっても大きな心の傷を与える。
その心の救済のためにもこの供養は必要なのだろう。
俺には弟が二人いたはずだった。
産まれていれば俺から4歳下と15歳下になる。
もし生きていれば……いや、いまさら死んだ子供の年を数えても仕方のない事だろうけど。
だからこの寺に最初に来たときは俺が4、5歳だったはずだ。
父と母の間に生まれた弟が流産によって喪われ、その供養にやってきたんだろう。
もっともそのことはずいぶん後になって知らされた。
その時は俺も何も分からずにただ連れて来られて、親に言われるままに地蔵に手を合わせただけだ。
本堂で読経もしたはずだがまったく記憶にないし、もちろん顔も名前も分からない弟のことなんて何も考えてなかった。
もし生きてたら、一緒に酒でも飲む機会もあっただろうにな。
今になって、そんな事を思う時がある。
二度目に来た時はもっとよく覚えている。
忘れもしない、高校に上がった年だった。
その数か月前、ちょうど中学校の卒業式の数日前に父が亡くなっている。
まだ父の納骨さえも済ませてもいない頃、実の母親と親子で肉体関係を持った。
父が亡くなる前に入院していた頃から兆候が出ていたのかははっきり分からない。
それから週に何度か母と抱き合うようになった。
男女関係というよりは父のいなくなった心の空白を慰め合う気持ちが強かったが、セックスをしてしまえばそんな心情など関係がなかった。
親子三人家族で、本当ならそこにいるはずだった弟の不在。
母の心の奥底にはずっと父と弟がいたのだろう。
寂しさから俺を受け入れ、孤独感を誤魔化すために息子とのセックスに耽る。
俺は抱き合うたびにそのことに薄々気付かされた。
それに対して何とも言えないモヤモヤした感情を覚えたが、何も言えないままだった。
俺も、母もまだ若かった。
関係を持ち始めて少し経った頃、母の妊娠が発覚した。
三か月……母はそう言うと深くため息をついた。
遡って考えればそれは初めて母親を抱いた時のものだった。
母の胎内で初めて体験した射精。
あの時に放った精子が母の卵子と結びつき、受精し、母は一人の女として新たな命を宿した。
つまりはそういうことだった。
産むか堕ろすか。
そんな話はしなかった。
それを判断するには俺は子供過ぎたし、母はそんな話題をしたがらなかった。
産みたい。
母はそう言った。
それでその話題は終わった。
産むという判断をした母の気持ちは今も想像するしかない。
喪った弟を産みなおしたかったのか。
亡くした夫を取り戻したかったのか。
それとも純粋に俺との間に子を持っても良いと思ったのか。
自分の年齢を考えてこれが最後の出産と思ったのか。
俺は産みたいと言った母の言葉に内心驚いていた。
母が再び新たな生命を宿した事実。
それは母と俺との関係が単なる傷の舐めあいに留まらず、妊娠という紛れもなく形となって昇華したことでもあった。
母は単なる親ではなくなり、俺の子を産む伴侶となり真の意味で結ばれる。
その事実はあまりに重く、今でもその時の心境は整理がつかない。
自分の母親とは誰にとっても、特別に純潔な存在として認識しているはずだ。
どんなに母親を嫌悪している者でも、心の底ではどこかで母性に幻想を抱いている。
しかし、実際には母もまた一時の心情で近親相姦を犯し、負の感情を抑え込んで交わりにのめり込んだ。
俺との関係は母にとって逃避であり、虚偽でもあったはずだ。
もちろん俺にはそんな母の行動を裏切りや逃げだと責める資格なんてないが。
日に日に母の腹は膨らんでいった。
40を過ぎた母の肉体は決して若くはないが、熟れきった果実のように膨らみ発達していた。
破裂寸前まで膨らんだ風船が萎み始める寸前のようなものでその頃の母は一番大きく女性的魅力が溢れていたのだろう。
腹だけでなく胸も大きくなって金魚の入った袋のように膨らんできた。
肌の表面には薄っすらと赤い血液が流れている様子まで透けて見え、乳首までが膨れ上がり乳汁という分泌液が滲み始めていた。大きく膨らんだそして大きく隆起した乳首は、刺激を与えれば今にもミルクがほとばしるようでした。
体のラインが丸みを帯びて変化していく母の身体はますます成熟を増していた。
俺は初めて母を美しいと思うようになったし、神聖ささえ漂っていた。
性行為は断続的に行っていたけれど、俺にとって母は女神にさえ見えた。
他人から見れば忌まわしいだろうけれど。
順調に来ていた母が流産したのは妊娠8か月目だった。
バベルの塔は完成しないものなのかもしれない。
今になってみればそんな風に思える。
けれどあの時はとてもそんな気持ちにはなれなかった。
母は心を病み、それからの俺との関係はやや歪んでいった。
理性も思考も無く、朝から晩までただセックスし続ける日々。
学校からの連絡も親族からの通知も全て断ち切って。
最低限の食事と睡眠だけを糧に俺たちは再び子を持とうとした。
けれど、ついに母が子供を宿すことはなかった。
それから二人連れだってこの寺を再び訪れることになった。
俺と母親の間に出来た子。
生まれる前だったから、どこにも正式な証拠などない。
今残っているのはこの寺を参って、二人で子の冥福を祈った記憶のみだ。
あの思い出自体が母と俺が肉体関係を持っていた時代の形見のようなものだ。
会えなかった弟二人の供養と共に、母を思い出すために今日来たんだ。
寺の朝は早い。
法衣姿の坊主たちが本堂から出てきて境内の清掃を始めた。
目が合ったので会釈だけすると入れ替わるように来た道を戻り始めた。
母の一周忌も近い。
家に戻ったら、水を供えよう。
完
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そういえば今回のエピソードの話を忘れていました。
今回は「寺」という事ですが、初めて訪れた部分は実体験です。
真言密教のお寺がほとんどそうかは分かりませんが、タイやクアラルンプール的なアジアの雰囲気の漂う白い石作りの鐘堂があり、地蔵が大量にありました。
厄除け・水子供養を謳っているためか、人の話題におおっぴらに上がる事は少ないものの地域住民の心の支え(免罪符)にもなっている気がします。
本当なら弟がいたというのも本当です。
普段地元でお世話になっているお寺は真宗大谷派で、一般的にみなさんが想像するお寺です。
アニメ「一休さん」に出てきたのとほとんど同じような感じですね。
それに比べて真言密教のお寺は独特の建築様式で、幼心に不思議に思ったのを覚えています。
(追記終わり)
八月以来の新話がようやく出来ました。
曲がりなりにも連載と謳いながら、お恥ずかしい話です。
少し気を抜くとすぐに時が経ってしまいますね。
2020年も残り三週間程度となってしまいましたね。
年が明けて間もなくコロナ禍がありオリンピックも延期され……。
今年亡くなった有名人みたいなものが年末にはよくマスコミに出ますが、
https://reiwa.glt.tokyo/entry/reiwa2/okuyami
亡くなった方々の名前を見るたびに、色んな記憶が蘇ります。
ここ最近だけでサッカーのマラドーナ、かつては時代の寵児のような存在だった宅八郎の訃報も伝わってきました。
昔は著名人の訃報を聞いても「ふーん」くらいでしたが、テレビで見たり作品を視聴したり書籍を読んだりした経験があると自分の人生に影響を受けていますので「あぁ、あの人亡くなってしまったんだ……」とショックを受けるようになりましたね。
世間では「鬼滅の刃」の劇場版が凄まじい人気のようですね。
単行本も書店では売り切れ続出のようですし、こういう暗い世相の時代には明るいニュースかと思います。
作者の吾峠呼世晴(ごとうげよしはる)先生は女性との噂ですが、女性作家は細かな心理描写や一瞬の表情を描くことに長けていますね。
ある一面を切り取る才能が優れているというのかな。
やっぱり繊細なんでしょうかね。
キャラを鋭く深く切り取って立体的な人間味溢れる人物に描き出す才能は男性作家にはほとんど見られないと思います。
「結界師」の田辺イエロウ先生とか「聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話」の手代木史織先生も似た系譜に思いますね。
「ものすごく有名だけど読んだことはない」という人も少なからずいるかと思いますが、もし機会があれば読んでみてください。繊細で傑出した作品だと思います。
BL漫画家の井ノ本リカ子先生もそうですね……ちょっとした間や微妙な表情でキャラの心情や人間性を切り取って描く能力は女性作家の優れた特性のように思えますね。
だからこそね、上に名前を挙げたような先生方にはみんな母子相姦漫画をぜひ描いて欲しいと私は心から願っているんですよ(描かねぇよ)。
それでは宜しければどうぞ。
50台くらい止められそうな広い駐車場だった。
冷えた朝の空気が耳にジンジンと沁みる、
山門を潜ると手水舎が見えてくる境内が広がった。
少し離れたところに白い石作りの東南アジア風の鐘堂が見え、その間には子供くらいの大きさの地蔵が無数に並んでいる。
昔訪れた時は地蔵が大量に並んでいる光景が何とも薄気味悪く思えた。
子供だから石像や彫刻、人形がやけに怖く見えたんだろう。
本堂脇に少し大きめの本堂がそびえていた。
そこは真言密教なので、一般的にイメージされる仏閣とは少し異なる建築様式だろう。
ぱっと見は日本古来というよりラオスやベトナムから直接持ってきたような印象が強い。
いつかテレビで見たアジア紀行の寺も白い石作りの鐘堂や地蔵があって、ちょうどこんな風だった。
冬の曇り空は風景として見栄えはしないが、何となく暗い雰囲気の境内には似合う気もする。
「現在御祈祷はアルコール消毒を行って頂いてからお願いいたします」
このご時世か、こんな注意書きの立て札が本堂扉に貼ってあった。
苦笑いしながら傍らの噴霧器で律儀に手を濡らすと、冷えた空気にヒリヒリ痛む。
どうもこのアルコールは肌に慣れない。
朝六時過ぎだから開門こそしているもののほかに参拝客はまだいない。
この辺の地域では真言密教の寺としては著名だが、ひっそりとしているのは昔から変わらない。
ここに来るのは三回目だ。
初めての時はまだ小さい頃、両親に連れられてきた。
地元の墓地のある寺や京都などの有名な寺とかなり違うことを不思議に思った事を覚えている。
二回目に来たのはそれから10年近く経った頃のことだ。
その時は母と二人でやってきた。
そして、今日が三回目。
いつ来ても印象がほとんど変わらないのはここが宗教的な施設だからかもしれない。
それよりも無数の地蔵群が境内のどこか沈んだ空気をよりひそやかにしている。
少しずつ昇り始めた太陽が冷え切った境内をジワリと紅く照らし出した。
この寺が地域で有名な理由として、水子供養を謳う寺であることだ。
中絶や流産、死産などで生まれてくることが出来なかった子を供養し、浄土に送る。
そのため水子塚や水子地蔵という施設が設けられている。
これらの施設によって無辜の子達は安らぎを得られる、ことになっている。
とはいえこれら自体が比較的新しい概念ともいう。
オカルトブームに乗じて寺院が新たな財源として利用しようとしたのが水子供養商法だ、と。
つまりはそういう考え方もある。
坊主丸儲けだけに商魂逞しいとも言える訳だ。
だからかその寺は有名でありながら人の話題から自然と遠ざけられる存在だった。
産まれてくることが出来なかった命。
生まれて間もなく亡くなってしまった命。
水子の命が失われた事実は親や周囲の人たちにとっても大きな心の傷を与える。
その心の救済のためにもこの供養は必要なのだろう。
俺には弟が二人いたはずだった。
産まれていれば俺から4歳下と15歳下になる。
もし生きていれば……いや、いまさら死んだ子供の年を数えても仕方のない事だろうけど。
だからこの寺に最初に来たときは俺が4、5歳だったはずだ。
父と母の間に生まれた弟が流産によって喪われ、その供養にやってきたんだろう。
もっともそのことはずいぶん後になって知らされた。
その時は俺も何も分からずにただ連れて来られて、親に言われるままに地蔵に手を合わせただけだ。
本堂で読経もしたはずだがまったく記憶にないし、もちろん顔も名前も分からない弟のことなんて何も考えてなかった。
もし生きてたら、一緒に酒でも飲む機会もあっただろうにな。
今になって、そんな事を思う時がある。
二度目に来た時はもっとよく覚えている。
忘れもしない、高校に上がった年だった。
その数か月前、ちょうど中学校の卒業式の数日前に父が亡くなっている。
まだ父の納骨さえも済ませてもいない頃、実の母親と親子で肉体関係を持った。
父が亡くなる前に入院していた頃から兆候が出ていたのかははっきり分からない。
それから週に何度か母と抱き合うようになった。
男女関係というよりは父のいなくなった心の空白を慰め合う気持ちが強かったが、セックスをしてしまえばそんな心情など関係がなかった。
親子三人家族で、本当ならそこにいるはずだった弟の不在。
母の心の奥底にはずっと父と弟がいたのだろう。
寂しさから俺を受け入れ、孤独感を誤魔化すために息子とのセックスに耽る。
俺は抱き合うたびにそのことに薄々気付かされた。
それに対して何とも言えないモヤモヤした感情を覚えたが、何も言えないままだった。
俺も、母もまだ若かった。
関係を持ち始めて少し経った頃、母の妊娠が発覚した。
三か月……母はそう言うと深くため息をついた。
遡って考えればそれは初めて母親を抱いた時のものだった。
母の胎内で初めて体験した射精。
あの時に放った精子が母の卵子と結びつき、受精し、母は一人の女として新たな命を宿した。
つまりはそういうことだった。
産むか堕ろすか。
そんな話はしなかった。
それを判断するには俺は子供過ぎたし、母はそんな話題をしたがらなかった。
産みたい。
母はそう言った。
それでその話題は終わった。
産むという判断をした母の気持ちは今も想像するしかない。
喪った弟を産みなおしたかったのか。
亡くした夫を取り戻したかったのか。
それとも純粋に俺との間に子を持っても良いと思ったのか。
自分の年齢を考えてこれが最後の出産と思ったのか。
俺は産みたいと言った母の言葉に内心驚いていた。
母が再び新たな生命を宿した事実。
それは母と俺との関係が単なる傷の舐めあいに留まらず、妊娠という紛れもなく形となって昇華したことでもあった。
母は単なる親ではなくなり、俺の子を産む伴侶となり真の意味で結ばれる。
その事実はあまりに重く、今でもその時の心境は整理がつかない。
自分の母親とは誰にとっても、特別に純潔な存在として認識しているはずだ。
どんなに母親を嫌悪している者でも、心の底ではどこかで母性に幻想を抱いている。
しかし、実際には母もまた一時の心情で近親相姦を犯し、負の感情を抑え込んで交わりにのめり込んだ。
俺との関係は母にとって逃避であり、虚偽でもあったはずだ。
もちろん俺にはそんな母の行動を裏切りや逃げだと責める資格なんてないが。
日に日に母の腹は膨らんでいった。
40を過ぎた母の肉体は決して若くはないが、熟れきった果実のように膨らみ発達していた。
破裂寸前まで膨らんだ風船が萎み始める寸前のようなものでその頃の母は一番大きく女性的魅力が溢れていたのだろう。
腹だけでなく胸も大きくなって金魚の入った袋のように膨らんできた。
肌の表面には薄っすらと赤い血液が流れている様子まで透けて見え、乳首までが膨れ上がり乳汁という分泌液が滲み始めていた。大きく膨らんだそして大きく隆起した乳首は、刺激を与えれば今にもミルクがほとばしるようでした。
体のラインが丸みを帯びて変化していく母の身体はますます成熟を増していた。
俺は初めて母を美しいと思うようになったし、神聖ささえ漂っていた。
性行為は断続的に行っていたけれど、俺にとって母は女神にさえ見えた。
他人から見れば忌まわしいだろうけれど。
順調に来ていた母が流産したのは妊娠8か月目だった。
バベルの塔は完成しないものなのかもしれない。
今になってみればそんな風に思える。
けれどあの時はとてもそんな気持ちにはなれなかった。
母は心を病み、それからの俺との関係はやや歪んでいった。
理性も思考も無く、朝から晩までただセックスし続ける日々。
学校からの連絡も親族からの通知も全て断ち切って。
最低限の食事と睡眠だけを糧に俺たちは再び子を持とうとした。
けれど、ついに母が子供を宿すことはなかった。
それから二人連れだってこの寺を再び訪れることになった。
俺と母親の間に出来た子。
生まれる前だったから、どこにも正式な証拠などない。
今残っているのはこの寺を参って、二人で子の冥福を祈った記憶のみだ。
あの思い出自体が母と俺が肉体関係を持っていた時代の形見のようなものだ。
会えなかった弟二人の供養と共に、母を思い出すために今日来たんだ。
寺の朝は早い。
法衣姿の坊主たちが本堂から出てきて境内の清掃を始めた。
目が合ったので会釈だけすると入れ替わるように来た道を戻り始めた。
母の一周忌も近い。
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- テーマ:18禁・官能小説
- ジャンル:アダルト
- カテゴリ:連載「母子相姦のある風景」シリーズ
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