「近親相姦研究所」を振り返る 母子相姦体験談1997年9月
- 2020/12/27
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かつて存在した伝説のサイト「近親相姦研究所」の過去ログより母子相姦体験談に絞ったまとめ記事。
膨大な過去ログがありますが、今回は1997年9月分となります。
この9月はモーニング娘が始動(命名)し始めたり、ヤオハンの倒産、マザーテレサの死去、「よっこい庄一」で今も一部で有名な横井庄一さんが死去されました。
なおPHSの契約数がピークに達したのもこの9月のようです。
今の若者からしたらPHSって何?って聞かれるでしょうね。
逆に今聞かれてもガラケーとの違いがうまく説明出来ませんが。
安い?繋がりやすい?通話がメイン?みたいな。
(以下1997年7月のまとめ記事と同文)
なお引用元は掲示板形式なので、同じ人が投稿した体験談を連続で読めない、という問題がありますが、これも当時の掲示板の雰囲気の再現と思って下さい(笑)
投稿者別に並べ替えようとも思ったのですがたとえば文章が2か月、3か月に跨っている場合、掲載が前後してしまうので止めました。
またあまりに短い文章、内容に乏しい文章、義母モノ、独断と偏見で一部体験談はカットしました。
それと懐かしいので、時々管理人のshotさんのコメントも無作為で残しています。
ところどころ※印をつけているのは私の注釈・感想です。邪魔に感じたら読み飛ばしてください。
なお、権利上問題になるようでしたら早急に対処しますので、著作権者様(SHOTさん)がご覧になってたらご連絡ください。よろしくお願いします
それでは……懐かしいひと時をどうぞ!
近親相姦掲示板 ☆告白・相談・願望・妄想☆ 1997年9月分ログ
お母さんお願い 投稿者:manbo 投稿日:09月05日(金)00時02分38秒
こんなHPがあるなんて、知らなかった。
でも、深い愛情で結ばれる事は、素晴らしい快感ですね。
ところで、どうしてもお母さんと恋人になりたいと思う方へこんな方法があります。
1.テレクラ作戦、外から電話をかけて普段言えない話をする。初めはおかしいんじゃないと言われるが、何回か電話をすると、顔が見えないので性の悩みを打ち明けて母性本能に訴える。家に帰ると知らないそぶりをして心配させれば1っ歩全身。
2.失楽園モード・・・ショッピングを兼ねて映画に誘ってみる。夕方食事をして軽くお酒を飲ます
(ワインかビール)そして最終の上映時間に入ると大人のカップルが多いよ(周りの雰囲気が大事)
クライマックスでは軽く手を握ってみよう抵抗が無かったらスカートの上からさわる。初めは抵抗するが、映画館と言う事もあり抵抗できない。ゆっくりスカートの中に手を入れて触ってみよう。ここまで出来ればもう安心。帰りは公園かラブホテルへつれこもう(映画館はホテル街の近くが良い)あとは・・・
3.甘美な夜
友達に医者の息子や薬局の知り合いがいたら最近眠れないとか言って***を貰う(薬局で簡単には手に入らない)。
2人きりの夜しかも明日も明後日も誰も帰ってこない日を狙う。よるお母さんに風呂上がりに薬入りのジュースを飲ます。よく眠ってしまったら、両手を上げてベットに縛る。足は自由にしておく。
目はアイマスクをする。不安だったらヘッドホンをつけてADULTビデオの音を流す。
絶対に気がつくまで触らない。気がつくと抵抗するが時間をかけてじっくり筆や指、舌、バイブで愛撫する。やがて耐え切れずに自分から足を開き十分潤った自分が生まれた所を観察出来るだろう。
後は、挿入して目隠しを取って驚くお母さんを抱きしめて思いの内を中からぶちまけよう。
(でも、決して大量に薬は使ってはダメ、1粒か1袋で十分だよ)
でも犯罪だからこの手は使わないでね。
成功したらメール下さい。
ちなみに作戦2は最後まで行かなくてもきっかけとして効果あるよ。
※ 文中の失楽園モードの「失楽園」が懐かしい。この頃映画もドラマも大ヒットしてたんですよね。川島なお美も亡くなってしまいましたね…。
パンチラ 投稿者:匿名希望 投稿日:09月06日(土)00時01分15秒
昨日、居間で横になってテレビを見ている僕に、風呂上がりの母が話し掛けてきた。
「ケンちゃん、広一くんってすごいよねクラス1番なんでしょ」
広一とは、僕の幼なじみで、母たちも友人どおしである。
「そりゃすげえよな!!」と言いながら、テーブルの下から母の方を見た。
足のつめを切っている最中の母であった。
しかし、すごい事にネグリジェの下の股間(パンティ)が丸見えであった。
学校じゃ女の子のパンチラは見飽きるくらいに見ている僕だが、
一瞬、「ドキッ」とした。 うまいことに、テーブルのかげで僕の顔は見えない
僕はくいいるように見つめた(と思う)
色は、ベージュっていうのだろう。 風呂上がりのせいか、少し湿っていたみた
いだ。
「ケンちゃんもがんばらないとね」とか、色々な会話に適当に応えながら、
鑑賞させてもらった。 丁度、われめのところあたりが食い込んでいて、たまら
なくHだった。 (母も女なんだなぁとしみじみ感じた)
僕が、母を意識しだしたのは、このHPにたどりついてからだ。
それまでは、母にたいして、うるさい人っていう感覚しかなかったが、このHP
のいろんな人の体験を読んでるうちに、うちの母さんだったらどうするだろう。
なんていうだろうと考えた。
いきなりHな事したら、「ケンちゃんのスケベ!!」位で許してくれそうだなぁ
とか、「見たい?」と言いながら脱いでくれるような? とか
どちらにしたって、いやがられるような事はないんじゃ。。。とか考えながら
だんだんHな気分になってきた(ほんと、ここ1ヶ月の間です)
これから、こういったパンチラとか、風呂上がりのマッサージをしてあげながら、
一人で、Hな事を考えて行こう。 今までとは、太股の揉みかたも少しずつ変
え、肩をもむ時も少しずつ、おっぱいめざして、 こういう事を考え考えしてる
毎日で、もう自分の母さんなのに、 でも母さんだから、何とかなるとか色々妄想
しながら、右手で、しごいてます。
教えてください 投稿者:イチロー 投稿日:09月05日(金)16時18分03秒
僕は今中学3年生です。父がパソコン関係の設計をしているので、中学に入ってからパソコンを買ってもらい、いろいろなHPを楽しんでいます。このHPもHなページをネットしていて見つけました。このHPを見てびっくりしています。
世の中には僕たちとおなじようなことをしている(しようとしている)人達がたくさんいると知って安心しました。
僕の家族は父と母と高校2年の姉の4人家族です。姉はバトミントン部に入っていて、結構美人だと思っています。実は僕と姉はこの春から、両親から性教育を受けているんです。
最初は両親から話があると言われたときはびっくりしましたが、両親は僕達がへんな雑誌や、テレクラなどに誘惑されて、へんなことにならないか心配して、きちんとした性教育をしてあげようということになっなんです。
毎週週末の夜食事がおわると、父は2階の姉の部屋に上がります、僕は1階の両親の寝室に行き、それぞれ父は姉に、母が僕にいろいろなことを教えてくれます。
最初は話だけだったのが、だんだん本当のSEXに近づいてきました。僕の場合は、キスの仕方から始まり、バスト(母はバストが90センチもあります)のさわり方、クリトリスのさわり方などを教えてもらいました。最近は母も大きな声を出して反応するようになって,ちょっと自身がでてきました。最後は必ず母が僕のものをくわえてくれて,母の口の中で発射します。母は僕の精液を必ず飲み干してくれます。
姉のほうは、父からフェラチオのやり方を教わっていますが,父の精液はまだ飲んだことはないそうです。姉のほうも声がときどき廊下まで聞こえてきますので、近所に聞こえると母が父に注意しています(母の声も大きいんですが)。
最初の約束では,SEXはしない(もちろん姉も僕も経験はありません)ということでしたが,僕はなんとか母と最後までいきたいと考えています。父にこっそり聞いてみたら,父も姉のバージンは自分がほしいので,姉の口から母にお願いしたそうです。まだ,母は決心がつかないようですが,明日の夜なんとかいってしまおうと,父と約束しています。
もし,母が拒否したらやっっぱりやめておくべきでしょうか。でも父が姉とSE
Xをしたらとても悔しいです。
母は女教師。友達と犯しちゃいました.. 投稿者:よしき 投稿日:09月06日(土)18時15分44秒
まさかこんなことになろうとは..
僕は公立高校の2年生です。
父と母は約1年半前、僕が中学卒業時に協議離婚してしまいました。
未成年の僕は結局父に引き取られその後父と2人暮らしです。
夕食の用意と掃除・洗濯は家政婦のおばさん(でもまだ40歳位だと思う)が毎日午後来てやってくれてます。
母は、前から公立高校の教師をやっています。
僕が公立高校へ入学し1年後、偶然というか、神の悪戯というのか、この春母が我が校に転任して来ました。
僕は、その人が母であることは学校関係の誰にも告げていませんし、母もそのようです..
母の歳は42歳ですが、見た目は30歳台といっても過言ではないくらい若く美しくそして出るところは出、引っ込むところは引っ込んでいるナイスボディの持ち主なのです。
顔つき身体つき共にどちらかと言うと鈴木京香似で、父と離婚してからは1人暮らしのせいか昔より余計若返った感じです。
転任早々、友人の間では「新任の○○先生と一発やってみたいナァ~」とか「俺毎晩○○がオナペット!!」とかその手の会話を耳にするようになり、あっという間にマドンナ的存在となってしまいました。
僕は中学1年の時オナニーを覚えましたが、実は母を思ってオナニーしたことが幾度となくありました。
母が入浴しているところを見ようとそーっと風呂場に近づいた時のこと、やはり覗くに覗けず、目の前には母の脱衣したブラジャーとバンティがおもむろに置いてあり、そのパンティーを顔にあてがいあそこの部分を何度もしゃぶり・舐めあげ興奮やまぬうちに自分
の部屋へ戻りオニナーにふけったこともあります。
そのうちに母への思いはつのるばかり..しかし母の前ではいい子にしているしかできませんでした。そのうちに父といざこざがたえなくなり、僕が中学卒業を機会に別居しすぐに離婚してしまった次第です。
その後も何度か外で母にはあっていますが、まだ1度も部屋へはいったことがありません。
いまでも時々母を思いオナニーしています。
ある日のこと、級友の和夫が「おい!○○先生の家遊びに行ってみないか?」と言うので、僕は「何しに行くんだよ?」と訊ねると、「前から言っているとおり俺あいつとやりたくてやりたくてモー限界なんだ、1人で行くと怪しまれそうだから二人で行っていただい
ちゃおうぜ!!」
僕は1人でも遊びにいけるけど、そして犯すなんてできない...
和夫のその提案俺にとっても都合いいかもしれない.....
つづきはまた書きます..ごめんなさい 投稿者:よしき 投稿日:09月06日(土)18時18分56秒
つづきはまた書きます...ごめんなさい
※ 「このような続きはまた書きます」パターンが多いですが、これは書き手の気力が途絶える場合と当時の掲示板が文字数制限があり、あまり長文を打てなかった(しかも上限が分からなかった)場合もあります。私も何度か途中まで打った長文が消えてしまい、頭が真っ白になりました(当時ドリームキャストというゲーム機でネットをしてたので、ブラウザバックすると全部消えちゃったんですよ)。
美味しかったぜ!母の肛門 投稿者:masa 投稿日:09月08日(月)01時49分17秒
朝の10時、母と僕はベットでまどろんでいました。
濃厚なセックスをして母を抱いた後、僕は母の乳首や太腿をいじりながら、余韻を楽しんでいました。母はもう最初の頃のように抵抗するようなことはなく僕に身を任せていました。僕が母を立たせて服を脱がせて裸にむいていく時はさすがに恥ずかしがって
「お・・お願い・・・自分で脱ぐから・・・」といって座り込んでしまいます。
僕は母を脱がしていくのも好きなんですが、母が僕の目の前で自分で1枚1枚脱いでス
トリップしていく姿を見るのも好きです。裸の母をそのままじっと立たせてなにも言わずにそのままジッと目だけで母の身体を蹂躙したり、「いい身体だ。母さん。そ
そるぜ。後ろを向いてその魅力的なお尻も見せろよ。」とか「淫乱な肉体だぜ!息子が欲情して犯したくなるわけだぜ!」とか「息子の前で裸で立たされてる母親の気持ちを言って見ろよ。」とか言って言葉で母を陵辱して楽しむ事も何回かやりました。
母はその都度に「もう許して・・・するんなら早くして・・・お願い」といって哀願してきます。その時の母の羞恥に震える顔はもう最高です。それだけで僕はいってしまいそうになります。
僕の横でグタッとなっている母を見ながら、今日は試してやろうと思っていたことをすることにしました。
乳首や太腿をいじくっていた右手をヒップの方へ移動させ母のグラマーで魅力的なお尻の肉を揉みました。そして少しずつ、母の肛門近くに指をもっていき、偶然ふれたよう
にして母の肛門をサッとなぞってやりました。グタッとなっていた母の身体がビクッとなり、母が身体をよじらせました。母も偶然触ったんだとおもったんでしょう、その後
は何もなかったような素振りをしていました。僕は他の所も触りながら、偶然に母の肛門を触る回数を増やしていきました。そして何回かそんな事を繰り返した後、今度は偶
然を装うんじゃなく、肛門を目的とわかるように触ってやりました。肛門に少し触れる度にビクッとなっていた母が、今度は完全に肛門をいじくられているのを知って飛び起き
ました。
「や・・・やめてよ!そんなとこ!・・イヤよ!」と言ってベットから逃げようとしてので、僕も起きあがって母の身体を両手で捕まえて、引き倒して寝かせました。
そしてまた母の肛門に手を伸ばして指でいじくりました。母は近所に聞こえそうなくらいの声で「イ・・イヤーーーやめなさい!やめてーーー」といって暴れ出しました。僕
は渾身の力で母を押さえつけ「母さん!暴れんなよ!・・お尻調教してやるよ。処女の母さんの肛門を。」と母の耳元で言ってやりました。
「や・・約束がちがうじゃないの!・・お尻はイヤーーー触らないでーーー」半狂乱になって母が抵抗してきました。母を始めて犯した時よりも激しい抵抗でした。僕は肛門を触っていた右手を離し両手で、母の両腕を持って頭の上に持っていって母を完全に組み敷きました。そしてあらかじめ用意していたロープをベットの下から取り出して、母の両手首を縛り上げました。大声で叫び声をあげる母の口に僕の穿いていたパンツを押し込んで黙らせてから、母を裏返して俯けにしました。そうしてから母の両足を一杯に開き両足首をベットの両端にロープで縛り付けました。
母は「ウゥゥゥゥーーー」と呻るだけで何を言っているのかわかりませんでした。僕は母の両足の間に座ると母の両方の太腿を持って手前に持ち上げて、母に四つん這いの格好をとらせ母の肛門が僕の目の前にくるようにしました。そしてゆっくりと母の肛門に人差し指をもっていき触ってやりました。母は腰を左右に振って僕の指から逃れようとしますが、
縛られている身体では無駄な抵抗でした。ひとしきり指で肛門の皺の部分や周りをいじくり回してから、母の肛門に唾液を垂らして湿らせてから、ズブッと人差し指を突き刺し
ました。母は「ア・・・アグッ・・・」と言いながら顎を突き出して硬直しました。そして僕が突き刺した指を動かしてかき回してやると、「ハガーーーーー」「ングーーーーー」とか言いながら頭を左右に振って髪を振り乱しながら嫌がりました。
母のそんな反応を楽しみながら僕は母が肛門陵辱に慣れるためにみっちりと長い時間をかけていたぶってやりました。
母の抗い方が少なくなった所で僕は指を抜き、今度は両手で母の肛門を目一杯押し広げ、口で母の肛門にムシャブリつきました。動かなくなっていた母の身体が急に引きつったようになり母は「アアグゥゥゥーーーーー」と断末魔のような声を出しながら顔を横向けてをベットに突っ伏しました。母の顔をのぞき込むと両目から涙がこぼれていました。僕は心の中で”ヤッタゼ”と思いながら、泣き続ける母の肛門を舐めシャブリまくってやりました。堪能するまで舐め回した後、僕は母に言ってやりました。
「最高にうまいよ。母さんの肛門の味。・・・これからは母さんの肛門も俺に捧げるんだ!たっぷり可愛がってお尻でも感じる女にしてやるよ!いいな母さん!」
そう言って僕はギンギンになっているチ○ポを母の肛門に突き刺してその日始めてのアナルセックスをしました。
美味しかったぜ!母の肛門2 投稿者:masa 投稿日:09月10日(水)02時10分28秒
母のアナルを犯してからは、もう母は僕のいいなりです。肛門を犯す事が、こんなに女に対して効果があるものだとは思いませんでした。
2回目、3回目ぐらいは「母さん、あなたの言うとおりセックスしてるじゃない。お願いだからお尻にするのはよして。普通にして・・・母さんの嫌がることばかりしないで、お願い!」と言って僕に哀願していましたが、5回、6回とアナルセックスをしていくうちに、もう母も諦めたのか僕のなすがままになって哀願の言葉を言う事もなくなりました。
そんな母に「女はお尻を犯されて泣かされてしまうと、もう男の下僕になりさがってしまうって小説に書いていたけど、母さんどんな気分?息子に肛門犯されるってのは?しかも処女の肛門を」と僕が意地悪く聞くと「私が嫌と言ってもやるじゃない、あなたは。でもお尻で犯られる時は本当に人間の誇りとかプライドとかすべて地の底に突き落とされるって感じだわ・・・母さんあなたに突き落とされて・・・自分の産んだ息子にお尻まで・・・ウウ・・」と言って肩を震わせて涙声で答えました。
一点を見つめながら、被虐に震えながらそう言う母の姿は最高に美しく、そして最高に
僕の性欲をそそりました。僕はこの時自分で”俺って本当にサディストなんだな”と思いました。
アナルを犯してから僕の言いなりになった母を、昨日なんか下半身裸で昼飯を食べている僕の足下に座らせ、チ○ポをしゃぶらせました。何か自分が王様になったような気分になり大満足でした。
そして、僕は昼飯を食べ終わってからそのまま台所で母を裸にして流しに手をつかせ、母の両足を開きながら腰をガッチリ掴んで、アナルに突き刺してやりました。「も・・もうダメ・・もうダメ母さん・・・墜ちるーーー!」と母は天井を仰ぎながらそう言いま
した。僕は母の形のいいボリゥームある母のオッパイを思いっきり揉みしゃぐりながら、母の肛門に射精しました。僕も母も暫く流しに突っ伏したまま動けませんでした。そして少したってから僕は肛門でつながったままの母を歩かせ、応接間に行き、そしてソファーに二人で横になりました。僕は余韻を楽しみながら、無言で母の身体のあちこちをいじくりまわしました。母は時々「ハゥ・・」とか「ア・・ア・・」とかいって色っぽい反応を示して僕を喜ばせました。
しばらく、この行為を楽しんだ後、今まで無言でいた僕は、母の耳の中に舌を突っ込みながら「母さん、オ○○コもうグジュグジュじゃないか。」と言ってやりました。事実、母
のオ○○コはもう洪水状態でこんなに出るのかというくらいにビショビショでした。
母は「アァァァァ・・・言わないでーーー・・・」と言いながら、身を縮めながら身悶えしました。僕は続けて「母さんて、もしかして”マゾ ”。あんなに嫌がってた肛門を息子に犯されたっていうのに、こんなに濡らしてさー」
さらに「この前のラブホテルのアダルトビデオの女のように、縛られて、浣腸されて、虐められたいんだろう?・・・母さん、SMしてやろうか?」と僕はもの凄くいやらしく言ってやりました。そしたら母は「イ・・・イヤァァァァァ・・・・アアアアア」と絶叫したかと思うと、身体を引きつらせて、いってしまいました。母が引きつって肛門がグッとしまった拍子に、僕はそのまままた母の肛門に射精する事になりました。
母が僕の言葉だけでいってしまったのを見て こんな事もあるんだな と驚きました。
僕たちはそのまま何時間も、2人で抱き合ってままでいました。
そしてふと時計を見るともう弟が帰ってくる時間になっていたので僕は母を離して起きあがりました。母はまだ目をつむったままグタッとしていました。その時僕の脳裏に、また母を虐める良い考えが浮かんできました。グタッとなっている母に「母さん。もうすぐ信次(弟 仮名)が帰ってくるから、そのままの格好で信次を玄関で迎えるんだ!いいな!これは命令だぞ!」と僕は絶対君主のような口調で母に命令しました。グタッとなっていた母が飛び起きて「ダ・・・ダメーーーーそんな事ダメーーーーー」と青白い顔をしながら脱がされた服をもって、自分の部屋に逃げていきました。
当然僕は本気でそんな事を言ったわけではなかったんですが、母は今までの僕の仕打ちをみて、本当にやらされると思ったんだと思います。しかし、あの母のあわてぶりは、これからいい脅迫材料になるなと僕は心の中でほくそ笑みました。
東スポ登場(続編) 投稿者:好奇心 投稿日:09月11日(木)07時26分53秒
東京スポーツに掲載された館淳一氏の「パソコンエッチ通信」の抜粋
「見つけたぞ! 禁断愛のページ」
「母親を襲う鬼畜息子のリポートに勃起しまくり」
「これぞ館さん向けというホームページを見つけましたよ!」
ネットワーク仲間が電子メールで教えてくれた。さっそくアクセスしてみると
「近親相姦掲示板」というページ。うむむ,確かに探してたんだよね,こうゆ
うの。
ぼくの作品は「母と息子」「姉と弟」など近親相姦をテーマにしたものが多い。
好きなんだもの。
(中略)
ずらりと並ぶ投稿の内容は,母と息子,父と娘,姉弟あり,兄妹あり伯父さん
伯母さん,義父義母 あらゆるパターンの近親相姦の体験や願望がぶちまけら
れていて,これは壮観だ。
目下,自分の母親に強引に迫る息子のリポートに一同息をのんでいるところ。
いやあ,この息子というのが極悪というか鬼畜というか,読んでて勃起するこ
とすること!
「母と息子」というのは男性の永遠のあこがれらしく,それ専用のホームペー
ジもできて,相互にリンクされている。(中略)
いや,禁断の愛って本当にすばらしいですね~
以上が概要です。masaさん 「鬼畜」なんて呼ばれていますが,プロの作家
を勃起させるのですから,すごいですよ。
ところで,お母さんにセックスしながら名前を呼ばせる件どうでした。
※ 直接関係ないのですが、当時紙メディアがネットメディアを取り上げ始めた黎明期の記事なので載せました。従来の紙メディアに無いリアリティが驚きを持って受け入れられている様子が伝わってきます。
母とやりました 投稿者:I 投稿日:09月14日(日)11時16分51秒
母(敦子、40才)と僕はセックスするようになって半年になります。
敦子は20才で僕を産んだ、爆乳おデブちゃん&色白もち肌ちゃんです。
こんなステキな奥さんを貰った親父が憎いです。(笑)
前から狙っていたんですけど、
今年の4月から親父が単身赴任に出たのを機にモノにしました。
どうやったかというと、オナっているところに踏み込んで、
ちょっと脅して、その場で即、セックスさせて貰いました。
敦子は泣いて、親父には内緒にしてくれと頼まれたのでこっちのものです。
翌日の「気まずい雰囲気の朝食」は今思い出してもおかしいです。
その日から敦子と夫婦生活が始まりました。夜も同じ布団で寝ます。
最初は嫌がっていましたが、今では親父よりも愛していると言ってくれる
従順で優しい敦子です。(親子だから当たり前?)
夏ですので僕が学校から帰宅すると、上半身裸になるように命じてあります。
家事をするときや夕食を食べるときも裸ですので、見ていて面白いです。
一日一度は、敦子の体内に精液を入れるようにしています。
親父が夏休みで一週間ほど帰ってきましたが、3回セックスしたそうです。
前より良く濡れるようになったと褒められたそうですが、
実際は感じなかったそうです。
ですので、親父が赴任先に帰った日、激しく求められました。
こんな僕ですが、普段は勉強もきちんとするし、
手伝いも良くする、真面目ないい子です。
何かあれば、また書きたいと思います。
やばかった母子相姦 投稿者:masa 投稿日:09月15日(月)00時02分46秒
先日、少しやばいことがありました。もう少しで弟に僕と母の関係を気づかれる所でした。
いつものように朝、父と弟が出て行ってから、僕は「洗濯が終わってからにして」と言う母を裸にして僕の部屋に連れていきました。
その日僕は、本格的に母を縛ってやろうと思っていました。だんだん僕の思うようになってきた母にそろそろ僕が前々から興味をもっていたSMプレイを仕込んでやるためです。
素っ裸にした母を部屋の中央に正座して座らせ、僕は取り出したSM雑誌を母の目の前にもっていき、いろんな縛られ方をされている女の写真を見せつけてやりました。そして、母にどんな縛られ方をされたいか選ぶように催促してやりました。
母は目を背けながら「そ・・・そんなこと・・・」と顔を真っ赤にしていいました。僕は母の顎を掴み、SM写真の方に顔を向けさせながら、「ちゃんと見ろよ!ほら!写真通り縛り付けてやるから。母さんが選ばないんだったら、一番いやらしい縛り方してやるぞ!」と言って母の顔に本を押しつけてやりました。「い・・・いやー・・惨めすぎる・・・お願い・・そんなに虐めないでーーーー・・・こんないやらしい写真なんかみたいに・・縛られるのなんてイヤ!」と母は本を顔に押しつけられたまま涙声で言いました。
「母さん。いいよ。そそるよ。その泣き声」と言いながら、僕は母の顎を掴んでいた右手を離し、首から二の腕さらに太腿へとずらしながら、いやらしく触ってやりました。
「何度見ても最高にいいよ。この身体。縄がよく似合いそうな肉体だぜ」と言ってから僕は母から離れ、ベットの下に隠してあった縄を取り出しました。そしてその縄を1回ビシッとしごいてから「母さんの肛門をいただいた時、縛った縄だ。そら」と言って母の前へ放り投げました。
僕は正座して小刻みに震えている母の前でズボンとパンツを脱ぎベットの端に腰を下ろしました。勃起したペニスをむき出しにして母に誇示しながら、SM雑誌のページを捲って、どんな縛り方がいいか考えました。一通り全部の写真にじっくり目を通していきました。途中、母の方を本の間からチラッと覗いてみると、母は悪いことをして叱られている子供のように、にぎった両手を膝の上で揃え頭を下向けてジッとしていました。その格好を見たとき僕は、これは本当に現実なんだ。
母を本当にものにした事を実感して歓喜の震えが全身にかけめぐりぐるのが分かりました。
僕はとりあえずその本に載ってある最初のページから順をおって母を縛っていくことにしました。最初のページには両腕を後ろに組まされた女が、オッパイの上下にロープを回されて後ろ手に縛られ、両足は足首の所で縛られて、さらに股間にロープを回されていました。縛り方が決まった僕は、母にそのページを見せつけながら「縛り方が決まったよ。母さんが自分で決めないから俺が決めたよ。最初の縛りはこれだよ。どうこれ?この縛り方?うれしいかい?」と言ってやりました。
母は無言で首を左右に振りました。その時、プーンと母からでるいい香りが匂ってきました。母の身体をよく見るとジトッとして少し汗ばんでいました。母の身体に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎながら「母さん今から縛られること想像して、感じてるんじゃないの?母さんってマゾだから。身体からいやらしい匂いが出てプンプン匂ってくるよ。もうオ○○コなんかグチュグチュになってるんだろう?」
下を向いている母の顔を下からのぞき込むようにしていいました。母は顔を覆ってイヤイヤをしながら「ヤメテー・・・こんな格好で座らされていたら誰でも汗ばんで身体中濡れてくるわよ・・・」と抗議するような口調で言いました。
僕はニタニタしながら母の耳元でもう一度「マゾ」と小さく言ってからロープをてにして立ち上がり、母に両手を後ろに組むように命じました。渋々といった感じで言いなりになった母を見下ろしながら、僕は2回ビシッビシッとロープをしごいてから、母を縛りにかかりました。こういう風に本格的に縛るのは始めてなので本をたびたび見ながら、縛っていきました。母は眉間に皺をつくって”ハウ”とか”ウウン”とか言っていました。
上半身を縛り終えた母の身体を見てみると、オッパイがロープで挟み込まれてプクッと張ったようになっていました。そしてビンビンに張ったオッパイの乳首は勃起したようになっていました。僕はその両方の乳首を両手の人差し指と親指で摘んでやりました。母は「ハアーーーン・・・」と顔と身体をグッと反らせながら言いました。僕はもうたまらず、そのまま母を押し倒して犯ってしまおうかと思う衝動にかられましたが、まだ全部縛りきっていないので何とかその場は我慢しました。
乳首をひとしきりいじくり回して楽しんだ僕は、母に両足を伸ばさせ、両足首を別のロープで縛りにかかりました。母の両足を目一杯に開かせて縛りたい思いもありましたが、とりあえずページの順をおって縛る事を決めたので、母の両足はとじ合わせたままで縛りつけました。そして最後に母を横向きに寝ころばせ、難しかったんですが見よう見まねで母の股間にロープをかけました。縛るときに思い切り引っ張ってやったら「ヒーー・・い・・痛いーーー・・そんなにきつくしないでーーーーー」と母は身体を身悶えさせながら言いました。
僕は母の哀願など無視して思い切り母の股間を締め上げてやりました。ついに縛りを完成した僕は、立ち上がってベットの端に座り、手を組んでその出来映えを鑑賞しました。
「き・・きついの・・・お・・お願い、お願いだから少しゆるめて・・・・アアアアア・・・」と横になって悶えながら呻く、縛られた母を眺めながら、僕は母を、それこそ大げさではなく、この世の物とは思えないくらい綺麗で、淫靡で、芸術品だと思いました。もう僕は我慢の限界でした。そのまま横になったいる母に抱きつき無茶苦茶に身体中をいじり回しながら自分の身体を母に擦り付けていきました。ほんの数秒で僕は母の太腿に射精してし
まいました。
その時でした。誰かが階段を昇ってくる足音が聞こえたんです。
僕も母も全身に緊張が走り、息が止まったようになりました。
僕と母の二人しかこの家にいるはずがなく、しかも母とセックスする時は絶対に玄関も裏口も鍵をかけてからするようにしていたので外部の人間が家に入ってくることはできませんでした。外部の人間でないならと思った僕は、一瞬にしてその足音が父か弟の
ものだと直感しました。僕はやばいと思って母の方を見ました。母も僕と同じように考えていたんだと思います。目が完全に怯えて顔が真っ青でした。今、この部屋に入ってこられたら、それこそもう隠れることも、言い訳することもできない状況であることは僕も母も十分わかっていました。
二人ともどうすることも出来ずにジッとしたまま、足音に耳をかたむけました。足音は僕の部屋の前で止まりました。そしてコンコンとドアをノックしてきました。その後「兄ちゃん。居るの?」と言う弟の声がしました。僕は直ぐに「ああ」と言って返事をしました。口の中がカラカラになっていたのでしゃがれた声になってしまいました。
でも僕は一瞬ホッとしました。足音が父でなくて弟だったからです。
それは、弟は僕の部屋のドアを勝手に開けたりする事は絶対にしないのが分かっていたからです。前に僕の部屋に勝手に入って僕の部屋を物色していた弟をボコボコにしてやったからです。
それ以来、弟は僕の部屋に入るときは僕が入っていいと言うまで勝手にドアを開けたりすることは絶対にしませんでした。弟はおとなしく内向的で、殴られても僕に向かって反抗してくるような性格ではありません。
僕はそっと立ち上がりドアの方へ行きました。
「母さん、どこ行ったの?」と弟が聞いてきたので、僕はとっさに「ちょっと出て来るって言ってたから、今いないぞ!」と返事しました。そして続けて「お前どうしたんだ今頃。学校は?」と聞きました。そしたら弟は「ちょっと腹が痛くなったんで帰って来たんだよ。」と答えてきたので僕は「母さんが帰ってきたら、言っといてやるからお前は薬飲んで部屋で寝てろ!」と、もし弟がドアを開けたらいけないので、わざときつい口調でうっとうし
そうに言ってやりました。弟は「うん」と返事をしてから僕の部屋の前から離れていきました。弟の口調から判断してこの部屋に母がいる事を感づいている様子はなかったので、僕はホッとしてその場に座り込みました。そして母の方を見ると、母も安堵の表情をしていました。母が小さな声で「もうダメかと思ったわ。母さん。恐ろしい事よ。見つかったりしたら。ねえ。早く解いて」と言ってきたので、僕もとにかく母のロープを解きにかかりました。解いている最中、母の服がないことに気づきました。そう言えば洗濯機の所で脱がして連れてきたので、パンティーもブラジャーも全部そのままでした。僕は弟が薬を飲んでから自分の部屋に入るのを確認してから、急いで下へ行き、洗濯機の所にあ
る脱ぎっぱなしの母の服一式を黒色のナイロン袋に入れて部屋に持ち帰りました。そして途中だった母の手のロープを解きました。
その時僕の頭にまた邪悪なひらめきが浮かびました。オッパイと手首のロープは別々に縛っていたので手を解いてもオッパイにかかっているロープと股間に回しているロープはそのままだったので、僕は手首を解いてからオッパイのロープと股間のロープを解くのをとばして足首のロープを解きました。そして母を立たせてから、服を着るようにいいました。母は僕の顔を見ながら「ど・・・・どうして・・こ・・これ・・まだ・・全部解いてないわ・・・は・・早く解いて・・」と言って後ろを向いて僕に解くことを催促してきました。
僕は「母さん、そのままの格好でいるんだ。その腹に飛び散った俺の精液もそのままにしておくんだ。そのまま服を着て早く下に降りて、今帰ってきたように芝居しろ。」とニヤッとしながら冷たく言い放ちました。
母は振り返って目を丸くさせながら「な・・・なにをいうのあなた、こんな時に。冗談はやめて早く解いてよ。」と母は顔を真っ赤にして怒って言いました。
母の股間にかかっているロープを掴み、上に引っ張り上げながら「早く服着ないと、そのままの格好で部屋の外に放り出すぞ」と言ってやりました。
「アッ・・・い・・痛い・・・痛い・・・」と言って母はつま先立ちになりながら言いました。そして掴んでいたロープを離してやると「あ・・あなたって子は・・・ひどい・・ひどいわ・・こんなこと・・・」と言ってまた泣き出しました。
「そんな泣き声出してたら、信次に聞こえるぞ。それでもいいのか。観念して早くそのまま服着ろ」と僕が言うと、僕の方を恨めしそうに見ながら、あきらめたように服を着だしました。僕はパンティーを履こうとする母からパンティーを奪い取って、当然といったふうにノーブラ、ノーパンでいることを目で合図しました。そして服を着終わって、髪を直して部屋を出ていこうとする母に「夜、風呂に入る前に俺の部屋に来いよ。その時解いてやるよ。明日までそのままにしてやりたいんだけど、もし今日父さんとエッチする事になったりしたら、やばいからな。それと、まず無理だろうけど、絶対に自分で解くなよ。命令だぞ、母さん。」と命令しました。母は唇を噛んで泣くのを我慢しているようでした。
背中を向けて出ていこうとする母の肩を掴んでドアの前でクルッとこちらに向かせ、両手で母の両頬をもって強引にキスをしてやりました。弟が隣の部屋にいることを意識してするキスは、また違った快感を僕にあたえてくれました。
でも、本当にその日はやばかったと思いました。これからは門の所に感知器でも着けて、新たな対策を考えなければいけないと思いました。あぶない、あぶない。
※ 私はサディスト傾向もないし、縛る趣味もないのでこの辺りになるとだいぶ引いていました。体験告白は長くするとだいたい書き手のマニアックな性癖が露出してくるので、なるべく良いところで終わらせるべきだなぁと思うようになったきっかけでもあります。
母の尻。 投稿者:S.S.S 投稿日:09月21日(日)00時00分07秒
僕は母の尻が大好きでたまりません。
肉づきの良い、しかしくびれた腰から尻のラインが大好きです。
10年前になりますが、母の着替えを盗撮し、大好きなベージュや、
ブルーのパンティーを履いたり脱いだりする所ばかり編集したビデオで、
毎晩コイたものです。
ある日、たまらなくなり親父が出張した晩に、寝ている母のパジャマの下を降ろし、
パンティーの上に射精しました。
母はビックリしていましたが、やさしく怒っただけで、
親父には内緒にしてくれました。
あの時、泣きながら頼めばさせてくれたかもしれませんが、
怖くて頼めませんでした。
非常に後悔していましたが、僕も結婚し、忘れようと努力しました。
しかし、インターネットを始めて、このような掲示板に出会い、
気持ちがまた再燃してきました。
母にこの気持ちを告白しようと思うのですが、
なかなか言い出せません。
どのように切り出したら良いでしょうか?
知恵をお貸し下さい。
よろしくお願いします。
母と姉 投稿者:有希 投稿日:09月27日(土)14時01分34秒
はじめまして、有希といいます。男の15歳です。
みなさんの書き込みを見てて僕も書いてみようと思いました。
事の起こりは僕が小学校のころなんです。
僕の家は父子家庭だったんですが父が再婚すると言う事で
母(父の再婚相手)の家に引越しに行くと言う事になって
それで父と母(現在32歳)そして姉(僕と同い年)と僕の4人の家族生活が始まったんです。
そしてそんな生活になれた矢先父の転勤が決まったんです。
しかも転勤先はアメリカという事で、父が僕は日本の学校へ行かしたいという事を言ったので
父は単身赴任で行く事になりました。
それからなんです。
母や姉には性的興味を持ってなかったんです。母さんのオナニーを見るまでは。
その日学校からいつものように帰ってきた僕は母さんの姿が見えない事を不思議に思い
探していたら母の部屋から声が聞こえたんでいってみたらオナニーしていたんです。
それから僕の中で母さんは母親から女性になったんです。もちろんそれからのオナペットは母でした。
そしてだんだんエスカレートして僕は母さんの下着を拝借したりしてたんです。
それがばれないわけもなく、下着を使ってオナニーしてる最中に部屋に入ってきたんです、姉を伴って。
そのとき母がすごい剣幕で姉は薄ら笑いをうかべていました。
昔の事なのでよくは覚えてないのでちょっと脚色入ってると思いますがこんな会話だったと思います
「何やってるの!」
「えっ!・・・・」
「だから何してるか聞いてるの!」
「・・・・・・」
「はぁ、あなたに対して私は母親として接してきた。けどあなたが私を女としてみるなら
私もあなたを一人の男としてみます。」
「え?」
「オナニーしたいんでしょ」
「・・・・・」
「はっきりしなさい!」
「・・・は、はい」
「じゃ、やりなさい!」
「え?」
「見ててあげるからやりなさいよ!」
そして僕は母と姉の前でオナニーしてしまいました。
それ以来、僕は母と姉のペットをやっています。
これは後で聞いた話なんですが、父がMで母さんは女王様やってたらしいんです。
そして単身赴任で行くときに父が言ったそうなんです
「私の変わりに有希を使ってやってください」と
そして姉は姉で母の性癖も次いだらしくSっ気十分ですし
とにかくこれが僕の近親相姦体験のきっかけです。
駄文の上、長文で申し訳ないです。
母と姉2 投稿者:有希 投稿日:09月28日(日)14時38分25秒
続きをって事なので、その後の事も書いてみます。
書くまえに、僕たちの事をもう一度整理して書いておきますね。この方が読んでくれるにも
イメージが湧くと思いますし
僕・・・有希(15歳・痩せがた)
姉・・・あすか(15歳・ショートカットでボーイッシュでスリムでスポーツ少女って感じ
中1から3年間なぜか同じクラスに、これによって学校でもいじめられる事に・・・)
母・・・洋子(32歳・髪はロングでグラマーな感じ・実年齢より若く見られる25、6)
前に書いた、目の前でオナニーしたのは中1の夏の初めくらいだったんです。
それでこれからもいろいろされるのかなと思ってたら(気楽な方なんで)
何もされないんですよ。その頃はもう既にSMの本とかも少しくらい見たことがあったし
なんとなくSMされるのかと思ってたから凄く拍子抜けで・・・。
で、当然なにもないわけだし中学生なんだからオナニーしますよね。
それがやってもあの時(見られたとき)に興奮しないんです。昔はこれでも十分だったのに、とか思って
だんだんフラストレーションがたまるというかすっきりしない日が続いたんです。
そして1学期が終わり夏休みに入ったんです。その夜、なんとなくベッドに寝転んでボーッとしてた僕の部屋に
突然母と姉が入って来たんです。そして姉が
「有希、あんたすっきりしないようね。この前みたいにされたいんじゃないの?」
「・・・・・」
「有希、あなたが選ぶのよ。私たちは強制はしない。私たちのペットとして奴隷としていじめられる事を望のか?
それともこれまで通りの生活を送るのか?もしいやなら2度とあんなことはしないわ。さ、きめなさい」
「い、いじめてください」
「有希、いいのね。もう戻れないわよ」
「・・・はい」
今考えても、なぜこう言ったのかわからないんですけど、この時から僕の奴隷生活は始まりました。
そして夏休みの間、僕は1日中いじめられ続ける日々を送りました。洗濯挟みやろうそくとか
浣腸とかもされたし、お尻の穴も広げられました。
家事なんかも僕の調教に使われ裸で洗濯干したり、アナルバイブ入れて雑巾がけとか
書ききれないくらいいろんなことをやられました。
どちらかというと姉さんは痛み系で母さんは羞恥系が好きみたいです。
そして夏が終わった頃には完全に2人の奴隷になった僕がいました。
そしてそれからも学校で、家でと調教は続けられました。
※ 個人的な好みの話だけれど、母と姉ないし母と妹などはあまり組み合わせて欲しくないなぁと思うんです。ラーメンとカレーは好きでもカレーラーメンはあまり食べないでしょうと。
妻の裏切り 投稿者:キタキツネ 投稿日:09月29日(月)18時39分44秒
その日、私は予定していた接待がキャンセルとなり、久々に5時で
仕事を終えた。
家に帰ると妻の姿が見えなかったが、夕食の支度もしてあるし、
ちょっと買い物にでも行っているのだろうと思った。
私は着替えようと思い寝室へ行った。何気なくドアを開けると、
妻がバックから犯されていた。
何がなんだか分からなかった。
私は二人の真横から少し後ろ側にいるためか視野に入らないようだ。
全く私に気がつかない。
私は、その場に凍りついて見ているだけだった。
男のチンポが何度も何度も妻に突き立てられていた。
男の腰の動きに合わせてチンポがシルエットになって浮かび上がる。
大きかった。
妻は突かれるたび「あっ、あっ」と声を上げていた。
間違いなく子宮を突かれている。
男のタマが「ピタッ、ピタッ」と尻を叩いている。
張りを失いかけている乳房も「ブルン、ブルン」と揺れていた。
男の動きがだんだん早くなってきた。
愛液に濡れたチンポがオマンコに押し込まれている。
妻のあえぎ声が止んだ。「いった」と思った。
妻はいくときには声を上げないのだ。
男も妻のオマンコからチンポを引き抜いた。チンポは透明の愛液に
濡れ光り、男の腹に沿うようにそそり立っていた。
そして射精した。
「ビュー」と2秒近くも小便のように弧を描き、妻の頭を越える勢いだ。
ねっとりと妻の髪に白い精液がかかる。
「ビュッ」と短く飛ばした後、だらだらと妻の尻に精液を滴らせた。
そのたび男のチンポが脈打っていた。
男は余韻を楽しむようにチンポを尻の割れ目にこすりつけていた。
妻は、いったときのまま顔をシーツに押しつけ動かない。
もう終わりだと思った。妻が自分以外の男とセックスしているなんて。
ようやく、男が気配に気づいたのか、ハッとしてこちらを向いた。
男は「息子」だった。
息子は口をぽかんと開けたまま動かない。
勢いを失ったチンポから精液の残りがぽたぽたと落ちていた。
ようやく妻も事態に気づいたのかこちらに顔を向けた。
半開きの口の端から、一本よだれが糸を引いてる。
妻と目が合った。何も言葉が出てこない。
どのぐらい見つめ合っていたのだろうか。
妻の表情は悲しみに満ちた、あきらめへと変わっていた。
「もう遅いのよ」と私の心にそう響いてきた。
私は静かにドアを閉めた。
※ この時代では珍しい父親視点のもの。当時はNTRなどが確立されてなかったので、この作品を深く理解しきれなかったのですが、今読むと上手いと思います。
母との初体験 投稿者:イチロー 投稿日:09月09日(火)17時26分23秒
土曜日の午後、学校から帰るとめずらしく父が家にいました。
姉もいつもより早く帰ってきました。食事のときもみんな黙ってして、今日が特別な日になるという予感が家族全員に感じていたようでした。
実はこの前のメールを出してから、父に僕が母とできるまで、姉とはやらないでほしいと頼みにいきました。多分、僕たちが学校へ行っている間に、父が母を説得したのだと思います。
(あとで聞いたのですが、父は姉との初体験をゴムなしでやるために、どうしてもこの日にやりたかったそうです)
食事が終わったあとも、普段ならすぐに2階へ行く姉も、リビングをうろうろしていて、だれも動こうとしません。とうとう父が母に何か言ったのか、母が僕に「部屋いこうか。」と言いました。僕は心臓がどきどきしながら母の後についていきました。ちらっと姉の
顔を見ると、緊張した顔をしていました。
部屋に入ると、母はいつものように着ているものを、脱ぎはじめたので、僕もあわててパンツ1枚になりました。それからいつものように、キスをして、母のあそこをなめてあげました。いつもはすぐに僕のものをフェラしにくるのですが、僕も今日は最後までという
目標があったので、母を押さえつけるようになめまわしました。
母の声がどんどん大きくなってきました。僕は母の耳元で、
「入れてもいい。」と聞くと、母は目をつぶったまま大きくうなずきました。僕は夢中で母の足の間に入ると、母が僕のものをつかんでくれました。僕が前へ進もうとすると、先のほうにあたたかい感触がしました。そのまま思い切って進むと暖かくて柔らかいものが僕のものにからみついてきました。母の顔を見ると母も僕の顔をみていました。僕はなんともいえない感動した気持ちでした。そのままの姿勢が続いたあと、母が「動いて」と言ったので、僕はゆっきり動きはじめました。今まで経験したことのない、気持よさに夢中で腰を振りました。母の声も甘えたような声になり、僕の名前を呼んでいたような気がします。最後の瞬間には、母の体にしがみついていました。
終わったあとで、母の中で出してしまったことに気づき母に「大丈夫」ときくと母は「避妊手術しているから大丈夫」と言いました。
母に「最初からこうなるつもりだったの」と聞くと「最初はそんなつもりはなかったけど、だんだんあなたの初めての相手はお母さんがという気になってしまって。ただ、私から言い出せなくて、お父さんが○子を抱きたいと言ってきたときは、ちょっとくやしかったんで、すぐにはOKしなかったのよ」と笑っていいました。
しばらくそのままじっとしてましたが、母がシャワーを浴びに行きました。僕は急に2階の父と姉のことを思い出しました。僕が母と最後までいったのは、父も知っているはずです。今頃父と姉がSEXをしていると思うと、覗いてみたいという気持ちが押さえられ
ませんでした。僕は母にわからないようにそっと2階へあがっていきました。
長くなったので、姉の初体験については、また報告します。
父と姉の初体験 投稿者:イチロー 投稿日:09月12日(金)19時00分00秒
この前は、僕と母の初体験を報告しましたが、姉と父の初体験について報告します。
母がシャワーにいっている間に、僕はそっと2階の自分の部屋からベランダへ出ました。今までも、お互いの様子は覗かないというルールがあったので、僕も直接父の姉の行為を覗くのは初めてです。
カーテンのすきまから、ベットの上で姉と父が重なりあっているのが見えました。まだ父は挿入していないようで、姉のバストを舌で吸っていました。姉は僕がみたことがないような表情で、泣いているような、感じているようです。僕はたちまち勃起してしましました。
やがて父が姉の耳元でなにかささやいたようです。「いよいよだ」と思うと僕は自分のものを握りしめて、しごきはじめていました。父の腰が姉の足の間にはいり、姉が「痛い」と叫びました(のように見えました)。父は「大丈夫」と言いながら、腰をすすめていったようですが、姉はますます痛がっているようでした。姉は涙を流していますが、父は何か言いながらといいさらに腰を動かし始めました。姉は泣き顔で父にしがみついています。父の動きがさらに大きくなり、姉がなにかと叫びはじめました。僕はその瞬間に手の中でいってしまいました。姉が父によって女になったと思うと、くやしくてたまりませんでした。そうすると父が「いくぞ」と叫び、(想像)姉が激しく首を振り、やがて父が動きをとめ姉の体に重なりました。姉の中へ父の精液が入っていきました。
僕はきづかれないように。そっと自分の部屋から1階へおりました。リビングに母がいました。
「2階終わったの」と寂しそうに僕に尋ねました。僕は答えることができませんでした。父と姉が2階からおりてきました。僕は自分の部屋に行く振りをして、姉の部屋をのぞきました。さっきまで父と姉が抱き合っていたベットのシーツには赤い血がついていました。
翌日、いつものとうり家族そろって朝御飯を食べていると、夕べのことが夢であったような気がしました。あれから、僕は母とはSEXをしていません。父と姉はわかりません。でもこの週末にはまた僕と母,父と姉のいけない関係が続くような気がします。
姉のオナニー 投稿者:イチロー 投稿日:09月30日(火)17時43分37秒
報告が遅れてすいませんでした。僕のログまで作ってもらってびっくりしました。
あれから僕は母と何度もセックスをしました。はじめての時よりは少しは落ち着いてできるようになりました。この前の連休には、僕はとうとう朝まで母と一緒にいて、一晩に3回もセックスをしてしまいました。もちろんその日は父も姉の部屋で朝までセックスをしていたと思います。SHOTさんがおっしゃるように、僕がセックスをおぼえていくのと同じように、姉も父によってセックスに目覚めていったのです。そのことを僕がはっきり知るときがきました。
先週のことです。僕が学校から家に帰ると、玄関に姉の靴がありました。普段バトミントン部の活動で姉は6時過ぎまで帰ってこないので、めずらしいなと思いました。
ダイニングに母のメモがあって、友達の入院お見舞いに行くので帰りが7時ぐらいになるというのです。僕は、急にに心臓がドキドキしてきました。
姉と父のセックスを覗き見てから、姉と家で二人きりになるのは初めてだったからです。
僕はそっと2階へ上がり、ベランダへ出て姉の部屋の窓の前に行きました。姉の部屋は薄手のカーテンがしまっていました。ベットの上に姉が横たわっていました。
僕は昼寝をしているのかと思いましたが、そうではありませんでした。姉は上半身は制服姿でしたが、腰から下はスカートを脱いでパンティ1枚でした。そして姉の右手がそのパンティの中に、左手が制服の胸にさしこまれていました。姉はオナニーをしていたのです。
僕は顔中が熱くなりました。女の人のオナニーをみるのはもちろん初めてのことです。その時の僕は覗いてはいけないという気持ちはなく、姉のオナニーを見てみたいという気持ちでいっぱいでした。僕は自分のものをズボンから取り出して、しごきはじめていました。
僕は何とか姉の声を聞きたいと思いました。思い切って窓を少し開けてみました。
姉は押し殺したような声を上げていました。姉の右手はパンティの中で動きを早めています。左手は胸をつかんでいます。右手の指の動きがだんだん早くなっていったような気がしてきました。僕は我慢の限界にきていました。
その時姉が「お父さん」とつぶやきました。僕はハッとして全神経を耳に集めました。
姉は再び「お父さん、いい」とはっきりと声をあげました。姉は父とのセックスを思い出してオナニーをしているのです。僕は急に腹が立ってきました。姉が父の体の下で、悶えている姿が頭に浮かびました。
姉はやがて動きをやめてぐったりとしてしまいまいした。僕はまだ発射していませんでしたが、姉に見つからないように自分の部屋に戻りました。
僕は姉が父を呼ぶ声が耳から離れません。姉を父から取り返してやりたいという思いが強くなっています。僕はどうしたらいいのでしょうか。このままでは姉を襲うのではないかと自分が怖くなっています。
※ いくつかの記事は母子相姦から離れていますが、続き物なので日付飛ばしで掲載しました。
という訳で9月分はここまで。
寝取られ・複数などジャンルが徐々に分かれてきましたね。
それではまた明日更新しますので、お楽しみに。
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お母さんお願い 投稿者:manbo 投稿日:09月05日(金)00時02分38秒
こんなHPがあるなんて、知らなかった。
でも、深い愛情で結ばれる事は、素晴らしい快感ですね。
ところで、どうしてもお母さんと恋人になりたいと思う方へこんな方法があります。
1.テレクラ作戦、外から電話をかけて普段言えない話をする。初めはおかしいんじゃないと言われるが、何回か電話をすると、顔が見えないので性の悩みを打ち明けて母性本能に訴える。家に帰ると知らないそぶりをして心配させれば1っ歩全身。
2.失楽園モード・・・ショッピングを兼ねて映画に誘ってみる。夕方食事をして軽くお酒を飲ます
(ワインかビール)そして最終の上映時間に入ると大人のカップルが多いよ(周りの雰囲気が大事)
クライマックスでは軽く手を握ってみよう抵抗が無かったらスカートの上からさわる。初めは抵抗するが、映画館と言う事もあり抵抗できない。ゆっくりスカートの中に手を入れて触ってみよう。ここまで出来ればもう安心。帰りは公園かラブホテルへつれこもう(映画館はホテル街の近くが良い)あとは・・・
3.甘美な夜
友達に医者の息子や薬局の知り合いがいたら最近眠れないとか言って***を貰う(薬局で簡単には手に入らない)。
2人きりの夜しかも明日も明後日も誰も帰ってこない日を狙う。よるお母さんに風呂上がりに薬入りのジュースを飲ます。よく眠ってしまったら、両手を上げてベットに縛る。足は自由にしておく。
目はアイマスクをする。不安だったらヘッドホンをつけてADULTビデオの音を流す。
絶対に気がつくまで触らない。気がつくと抵抗するが時間をかけてじっくり筆や指、舌、バイブで愛撫する。やがて耐え切れずに自分から足を開き十分潤った自分が生まれた所を観察出来るだろう。
後は、挿入して目隠しを取って驚くお母さんを抱きしめて思いの内を中からぶちまけよう。
(でも、決して大量に薬は使ってはダメ、1粒か1袋で十分だよ)
でも犯罪だからこの手は使わないでね。
成功したらメール下さい。
ちなみに作戦2は最後まで行かなくてもきっかけとして効果あるよ。
※ 文中の失楽園モードの「失楽園」が懐かしい。この頃映画もドラマも大ヒットしてたんですよね。川島なお美も亡くなってしまいましたね…。
パンチラ 投稿者:匿名希望 投稿日:09月06日(土)00時01分15秒
昨日、居間で横になってテレビを見ている僕に、風呂上がりの母が話し掛けてきた。
「ケンちゃん、広一くんってすごいよねクラス1番なんでしょ」
広一とは、僕の幼なじみで、母たちも友人どおしである。
「そりゃすげえよな!!」と言いながら、テーブルの下から母の方を見た。
足のつめを切っている最中の母であった。
しかし、すごい事にネグリジェの下の股間(パンティ)が丸見えであった。
学校じゃ女の子のパンチラは見飽きるくらいに見ている僕だが、
一瞬、「ドキッ」とした。 うまいことに、テーブルのかげで僕の顔は見えない
僕はくいいるように見つめた(と思う)
色は、ベージュっていうのだろう。 風呂上がりのせいか、少し湿っていたみた
いだ。
「ケンちゃんもがんばらないとね」とか、色々な会話に適当に応えながら、
鑑賞させてもらった。 丁度、われめのところあたりが食い込んでいて、たまら
なくHだった。 (母も女なんだなぁとしみじみ感じた)
僕が、母を意識しだしたのは、このHPにたどりついてからだ。
それまでは、母にたいして、うるさい人っていう感覚しかなかったが、このHP
のいろんな人の体験を読んでるうちに、うちの母さんだったらどうするだろう。
なんていうだろうと考えた。
いきなりHな事したら、「ケンちゃんのスケベ!!」位で許してくれそうだなぁ
とか、「見たい?」と言いながら脱いでくれるような? とか
どちらにしたって、いやがられるような事はないんじゃ。。。とか考えながら
だんだんHな気分になってきた(ほんと、ここ1ヶ月の間です)
これから、こういったパンチラとか、風呂上がりのマッサージをしてあげながら、
一人で、Hな事を考えて行こう。 今までとは、太股の揉みかたも少しずつ変
え、肩をもむ時も少しずつ、おっぱいめざして、 こういう事を考え考えしてる
毎日で、もう自分の母さんなのに、 でも母さんだから、何とかなるとか色々妄想
しながら、右手で、しごいてます。
教えてください 投稿者:イチロー 投稿日:09月05日(金)16時18分03秒
僕は今中学3年生です。父がパソコン関係の設計をしているので、中学に入ってからパソコンを買ってもらい、いろいろなHPを楽しんでいます。このHPもHなページをネットしていて見つけました。このHPを見てびっくりしています。
世の中には僕たちとおなじようなことをしている(しようとしている)人達がたくさんいると知って安心しました。
僕の家族は父と母と高校2年の姉の4人家族です。姉はバトミントン部に入っていて、結構美人だと思っています。実は僕と姉はこの春から、両親から性教育を受けているんです。
最初は両親から話があると言われたときはびっくりしましたが、両親は僕達がへんな雑誌や、テレクラなどに誘惑されて、へんなことにならないか心配して、きちんとした性教育をしてあげようということになっなんです。
毎週週末の夜食事がおわると、父は2階の姉の部屋に上がります、僕は1階の両親の寝室に行き、それぞれ父は姉に、母が僕にいろいろなことを教えてくれます。
最初は話だけだったのが、だんだん本当のSEXに近づいてきました。僕の場合は、キスの仕方から始まり、バスト(母はバストが90センチもあります)のさわり方、クリトリスのさわり方などを教えてもらいました。最近は母も大きな声を出して反応するようになって,ちょっと自身がでてきました。最後は必ず母が僕のものをくわえてくれて,母の口の中で発射します。母は僕の精液を必ず飲み干してくれます。
姉のほうは、父からフェラチオのやり方を教わっていますが,父の精液はまだ飲んだことはないそうです。姉のほうも声がときどき廊下まで聞こえてきますので、近所に聞こえると母が父に注意しています(母の声も大きいんですが)。
最初の約束では,SEXはしない(もちろん姉も僕も経験はありません)ということでしたが,僕はなんとか母と最後までいきたいと考えています。父にこっそり聞いてみたら,父も姉のバージンは自分がほしいので,姉の口から母にお願いしたそうです。まだ,母は決心がつかないようですが,明日の夜なんとかいってしまおうと,父と約束しています。
もし,母が拒否したらやっっぱりやめておくべきでしょうか。でも父が姉とSE
Xをしたらとても悔しいです。
母は女教師。友達と犯しちゃいました.. 投稿者:よしき 投稿日:09月06日(土)18時15分44秒
まさかこんなことになろうとは..
僕は公立高校の2年生です。
父と母は約1年半前、僕が中学卒業時に協議離婚してしまいました。
未成年の僕は結局父に引き取られその後父と2人暮らしです。
夕食の用意と掃除・洗濯は家政婦のおばさん(でもまだ40歳位だと思う)が毎日午後来てやってくれてます。
母は、前から公立高校の教師をやっています。
僕が公立高校へ入学し1年後、偶然というか、神の悪戯というのか、この春母が我が校に転任して来ました。
僕は、その人が母であることは学校関係の誰にも告げていませんし、母もそのようです..
母の歳は42歳ですが、見た目は30歳台といっても過言ではないくらい若く美しくそして出るところは出、引っ込むところは引っ込んでいるナイスボディの持ち主なのです。
顔つき身体つき共にどちらかと言うと鈴木京香似で、父と離婚してからは1人暮らしのせいか昔より余計若返った感じです。
転任早々、友人の間では「新任の○○先生と一発やってみたいナァ~」とか「俺毎晩○○がオナペット!!」とかその手の会話を耳にするようになり、あっという間にマドンナ的存在となってしまいました。
僕は中学1年の時オナニーを覚えましたが、実は母を思ってオナニーしたことが幾度となくありました。
母が入浴しているところを見ようとそーっと風呂場に近づいた時のこと、やはり覗くに覗けず、目の前には母の脱衣したブラジャーとバンティがおもむろに置いてあり、そのパンティーを顔にあてがいあそこの部分を何度もしゃぶり・舐めあげ興奮やまぬうちに自分
の部屋へ戻りオニナーにふけったこともあります。
そのうちに母への思いはつのるばかり..しかし母の前ではいい子にしているしかできませんでした。そのうちに父といざこざがたえなくなり、僕が中学卒業を機会に別居しすぐに離婚してしまった次第です。
その後も何度か外で母にはあっていますが、まだ1度も部屋へはいったことがありません。
いまでも時々母を思いオナニーしています。
ある日のこと、級友の和夫が「おい!○○先生の家遊びに行ってみないか?」と言うので、僕は「何しに行くんだよ?」と訊ねると、「前から言っているとおり俺あいつとやりたくてやりたくてモー限界なんだ、1人で行くと怪しまれそうだから二人で行っていただい
ちゃおうぜ!!」
僕は1人でも遊びにいけるけど、そして犯すなんてできない...
和夫のその提案俺にとっても都合いいかもしれない.....
つづきはまた書きます..ごめんなさい 投稿者:よしき 投稿日:09月06日(土)18時18分56秒
つづきはまた書きます...ごめんなさい
※ 「このような続きはまた書きます」パターンが多いですが、これは書き手の気力が途絶える場合と当時の掲示板が文字数制限があり、あまり長文を打てなかった(しかも上限が分からなかった)場合もあります。私も何度か途中まで打った長文が消えてしまい、頭が真っ白になりました(当時ドリームキャストというゲーム機でネットをしてたので、ブラウザバックすると全部消えちゃったんですよ)。
美味しかったぜ!母の肛門 投稿者:masa 投稿日:09月08日(月)01時49分17秒
朝の10時、母と僕はベットでまどろんでいました。
濃厚なセックスをして母を抱いた後、僕は母の乳首や太腿をいじりながら、余韻を楽しんでいました。母はもう最初の頃のように抵抗するようなことはなく僕に身を任せていました。僕が母を立たせて服を脱がせて裸にむいていく時はさすがに恥ずかしがって
「お・・お願い・・・自分で脱ぐから・・・」といって座り込んでしまいます。
僕は母を脱がしていくのも好きなんですが、母が僕の目の前で自分で1枚1枚脱いでス
トリップしていく姿を見るのも好きです。裸の母をそのままじっと立たせてなにも言わずにそのままジッと目だけで母の身体を蹂躙したり、「いい身体だ。母さん。そ
そるぜ。後ろを向いてその魅力的なお尻も見せろよ。」とか「淫乱な肉体だぜ!息子が欲情して犯したくなるわけだぜ!」とか「息子の前で裸で立たされてる母親の気持ちを言って見ろよ。」とか言って言葉で母を陵辱して楽しむ事も何回かやりました。
母はその都度に「もう許して・・・するんなら早くして・・・お願い」といって哀願してきます。その時の母の羞恥に震える顔はもう最高です。それだけで僕はいってしまいそうになります。
僕の横でグタッとなっている母を見ながら、今日は試してやろうと思っていたことをすることにしました。
乳首や太腿をいじくっていた右手をヒップの方へ移動させ母のグラマーで魅力的なお尻の肉を揉みました。そして少しずつ、母の肛門近くに指をもっていき、偶然ふれたよう
にして母の肛門をサッとなぞってやりました。グタッとなっていた母の身体がビクッとなり、母が身体をよじらせました。母も偶然触ったんだとおもったんでしょう、その後
は何もなかったような素振りをしていました。僕は他の所も触りながら、偶然に母の肛門を触る回数を増やしていきました。そして何回かそんな事を繰り返した後、今度は偶
然を装うんじゃなく、肛門を目的とわかるように触ってやりました。肛門に少し触れる度にビクッとなっていた母が、今度は完全に肛門をいじくられているのを知って飛び起き
ました。
「や・・・やめてよ!そんなとこ!・・イヤよ!」と言ってベットから逃げようとしてので、僕も起きあがって母の身体を両手で捕まえて、引き倒して寝かせました。
そしてまた母の肛門に手を伸ばして指でいじくりました。母は近所に聞こえそうなくらいの声で「イ・・イヤーーーやめなさい!やめてーーー」といって暴れ出しました。僕
は渾身の力で母を押さえつけ「母さん!暴れんなよ!・・お尻調教してやるよ。処女の母さんの肛門を。」と母の耳元で言ってやりました。
「や・・約束がちがうじゃないの!・・お尻はイヤーーー触らないでーーー」半狂乱になって母が抵抗してきました。母を始めて犯した時よりも激しい抵抗でした。僕は肛門を触っていた右手を離し両手で、母の両腕を持って頭の上に持っていって母を完全に組み敷きました。そしてあらかじめ用意していたロープをベットの下から取り出して、母の両手首を縛り上げました。大声で叫び声をあげる母の口に僕の穿いていたパンツを押し込んで黙らせてから、母を裏返して俯けにしました。そうしてから母の両足を一杯に開き両足首をベットの両端にロープで縛り付けました。
母は「ウゥゥゥゥーーー」と呻るだけで何を言っているのかわかりませんでした。僕は母の両足の間に座ると母の両方の太腿を持って手前に持ち上げて、母に四つん這いの格好をとらせ母の肛門が僕の目の前にくるようにしました。そしてゆっくりと母の肛門に人差し指をもっていき触ってやりました。母は腰を左右に振って僕の指から逃れようとしますが、
縛られている身体では無駄な抵抗でした。ひとしきり指で肛門の皺の部分や周りをいじくり回してから、母の肛門に唾液を垂らして湿らせてから、ズブッと人差し指を突き刺し
ました。母は「ア・・・アグッ・・・」と言いながら顎を突き出して硬直しました。そして僕が突き刺した指を動かしてかき回してやると、「ハガーーーーー」「ングーーーーー」とか言いながら頭を左右に振って髪を振り乱しながら嫌がりました。
母のそんな反応を楽しみながら僕は母が肛門陵辱に慣れるためにみっちりと長い時間をかけていたぶってやりました。
母の抗い方が少なくなった所で僕は指を抜き、今度は両手で母の肛門を目一杯押し広げ、口で母の肛門にムシャブリつきました。動かなくなっていた母の身体が急に引きつったようになり母は「アアグゥゥゥーーーーー」と断末魔のような声を出しながら顔を横向けてをベットに突っ伏しました。母の顔をのぞき込むと両目から涙がこぼれていました。僕は心の中で”ヤッタゼ”と思いながら、泣き続ける母の肛門を舐めシャブリまくってやりました。堪能するまで舐め回した後、僕は母に言ってやりました。
「最高にうまいよ。母さんの肛門の味。・・・これからは母さんの肛門も俺に捧げるんだ!たっぷり可愛がってお尻でも感じる女にしてやるよ!いいな母さん!」
そう言って僕はギンギンになっているチ○ポを母の肛門に突き刺してその日始めてのアナルセックスをしました。
美味しかったぜ!母の肛門2 投稿者:masa 投稿日:09月10日(水)02時10分28秒
母のアナルを犯してからは、もう母は僕のいいなりです。肛門を犯す事が、こんなに女に対して効果があるものだとは思いませんでした。
2回目、3回目ぐらいは「母さん、あなたの言うとおりセックスしてるじゃない。お願いだからお尻にするのはよして。普通にして・・・母さんの嫌がることばかりしないで、お願い!」と言って僕に哀願していましたが、5回、6回とアナルセックスをしていくうちに、もう母も諦めたのか僕のなすがままになって哀願の言葉を言う事もなくなりました。
そんな母に「女はお尻を犯されて泣かされてしまうと、もう男の下僕になりさがってしまうって小説に書いていたけど、母さんどんな気分?息子に肛門犯されるってのは?しかも処女の肛門を」と僕が意地悪く聞くと「私が嫌と言ってもやるじゃない、あなたは。でもお尻で犯られる時は本当に人間の誇りとかプライドとかすべて地の底に突き落とされるって感じだわ・・・母さんあなたに突き落とされて・・・自分の産んだ息子にお尻まで・・・ウウ・・」と言って肩を震わせて涙声で答えました。
一点を見つめながら、被虐に震えながらそう言う母の姿は最高に美しく、そして最高に
僕の性欲をそそりました。僕はこの時自分で”俺って本当にサディストなんだな”と思いました。
アナルを犯してから僕の言いなりになった母を、昨日なんか下半身裸で昼飯を食べている僕の足下に座らせ、チ○ポをしゃぶらせました。何か自分が王様になったような気分になり大満足でした。
そして、僕は昼飯を食べ終わってからそのまま台所で母を裸にして流しに手をつかせ、母の両足を開きながら腰をガッチリ掴んで、アナルに突き刺してやりました。「も・・もうダメ・・もうダメ母さん・・・墜ちるーーー!」と母は天井を仰ぎながらそう言いま
した。僕は母の形のいいボリゥームある母のオッパイを思いっきり揉みしゃぐりながら、母の肛門に射精しました。僕も母も暫く流しに突っ伏したまま動けませんでした。そして少したってから僕は肛門でつながったままの母を歩かせ、応接間に行き、そしてソファーに二人で横になりました。僕は余韻を楽しみながら、無言で母の身体のあちこちをいじくりまわしました。母は時々「ハゥ・・」とか「ア・・ア・・」とかいって色っぽい反応を示して僕を喜ばせました。
しばらく、この行為を楽しんだ後、今まで無言でいた僕は、母の耳の中に舌を突っ込みながら「母さん、オ○○コもうグジュグジュじゃないか。」と言ってやりました。事実、母
のオ○○コはもう洪水状態でこんなに出るのかというくらいにビショビショでした。
母は「アァァァァ・・・言わないでーーー・・・」と言いながら、身を縮めながら身悶えしました。僕は続けて「母さんて、もしかして”マゾ ”。あんなに嫌がってた肛門を息子に犯されたっていうのに、こんなに濡らしてさー」
さらに「この前のラブホテルのアダルトビデオの女のように、縛られて、浣腸されて、虐められたいんだろう?・・・母さん、SMしてやろうか?」と僕はもの凄くいやらしく言ってやりました。そしたら母は「イ・・・イヤァァァァァ・・・・アアアアア」と絶叫したかと思うと、身体を引きつらせて、いってしまいました。母が引きつって肛門がグッとしまった拍子に、僕はそのまままた母の肛門に射精する事になりました。
母が僕の言葉だけでいってしまったのを見て こんな事もあるんだな と驚きました。
僕たちはそのまま何時間も、2人で抱き合ってままでいました。
そしてふと時計を見るともう弟が帰ってくる時間になっていたので僕は母を離して起きあがりました。母はまだ目をつむったままグタッとしていました。その時僕の脳裏に、また母を虐める良い考えが浮かんできました。グタッとなっている母に「母さん。もうすぐ信次(弟 仮名)が帰ってくるから、そのままの格好で信次を玄関で迎えるんだ!いいな!これは命令だぞ!」と僕は絶対君主のような口調で母に命令しました。グタッとなっていた母が飛び起きて「ダ・・・ダメーーーーそんな事ダメーーーーー」と青白い顔をしながら脱がされた服をもって、自分の部屋に逃げていきました。
当然僕は本気でそんな事を言ったわけではなかったんですが、母は今までの僕の仕打ちをみて、本当にやらされると思ったんだと思います。しかし、あの母のあわてぶりは、これからいい脅迫材料になるなと僕は心の中でほくそ笑みました。
東スポ登場(続編) 投稿者:好奇心 投稿日:09月11日(木)07時26分53秒
東京スポーツに掲載された館淳一氏の「パソコンエッチ通信」の抜粋
「見つけたぞ! 禁断愛のページ」
「母親を襲う鬼畜息子のリポートに勃起しまくり」
「これぞ館さん向けというホームページを見つけましたよ!」
ネットワーク仲間が電子メールで教えてくれた。さっそくアクセスしてみると
「近親相姦掲示板」というページ。うむむ,確かに探してたんだよね,こうゆ
うの。
ぼくの作品は「母と息子」「姉と弟」など近親相姦をテーマにしたものが多い。
好きなんだもの。
(中略)
ずらりと並ぶ投稿の内容は,母と息子,父と娘,姉弟あり,兄妹あり伯父さん
伯母さん,義父義母 あらゆるパターンの近親相姦の体験や願望がぶちまけら
れていて,これは壮観だ。
目下,自分の母親に強引に迫る息子のリポートに一同息をのんでいるところ。
いやあ,この息子というのが極悪というか鬼畜というか,読んでて勃起するこ
とすること!
「母と息子」というのは男性の永遠のあこがれらしく,それ専用のホームペー
ジもできて,相互にリンクされている。(中略)
いや,禁断の愛って本当にすばらしいですね~
以上が概要です。masaさん 「鬼畜」なんて呼ばれていますが,プロの作家
を勃起させるのですから,すごいですよ。
ところで,お母さんにセックスしながら名前を呼ばせる件どうでした。
※ 直接関係ないのですが、当時紙メディアがネットメディアを取り上げ始めた黎明期の記事なので載せました。従来の紙メディアに無いリアリティが驚きを持って受け入れられている様子が伝わってきます。
母とやりました 投稿者:I 投稿日:09月14日(日)11時16分51秒
母(敦子、40才)と僕はセックスするようになって半年になります。
敦子は20才で僕を産んだ、爆乳おデブちゃん&色白もち肌ちゃんです。
こんなステキな奥さんを貰った親父が憎いです。(笑)
前から狙っていたんですけど、
今年の4月から親父が単身赴任に出たのを機にモノにしました。
どうやったかというと、オナっているところに踏み込んで、
ちょっと脅して、その場で即、セックスさせて貰いました。
敦子は泣いて、親父には内緒にしてくれと頼まれたのでこっちのものです。
翌日の「気まずい雰囲気の朝食」は今思い出してもおかしいです。
その日から敦子と夫婦生活が始まりました。夜も同じ布団で寝ます。
最初は嫌がっていましたが、今では親父よりも愛していると言ってくれる
従順で優しい敦子です。(親子だから当たり前?)
夏ですので僕が学校から帰宅すると、上半身裸になるように命じてあります。
家事をするときや夕食を食べるときも裸ですので、見ていて面白いです。
一日一度は、敦子の体内に精液を入れるようにしています。
親父が夏休みで一週間ほど帰ってきましたが、3回セックスしたそうです。
前より良く濡れるようになったと褒められたそうですが、
実際は感じなかったそうです。
ですので、親父が赴任先に帰った日、激しく求められました。
こんな僕ですが、普段は勉強もきちんとするし、
手伝いも良くする、真面目ないい子です。
何かあれば、また書きたいと思います。
やばかった母子相姦 投稿者:masa 投稿日:09月15日(月)00時02分46秒
先日、少しやばいことがありました。もう少しで弟に僕と母の関係を気づかれる所でした。
いつものように朝、父と弟が出て行ってから、僕は「洗濯が終わってからにして」と言う母を裸にして僕の部屋に連れていきました。
その日僕は、本格的に母を縛ってやろうと思っていました。だんだん僕の思うようになってきた母にそろそろ僕が前々から興味をもっていたSMプレイを仕込んでやるためです。
素っ裸にした母を部屋の中央に正座して座らせ、僕は取り出したSM雑誌を母の目の前にもっていき、いろんな縛られ方をされている女の写真を見せつけてやりました。そして、母にどんな縛られ方をされたいか選ぶように催促してやりました。
母は目を背けながら「そ・・・そんなこと・・・」と顔を真っ赤にしていいました。僕は母の顎を掴み、SM写真の方に顔を向けさせながら、「ちゃんと見ろよ!ほら!写真通り縛り付けてやるから。母さんが選ばないんだったら、一番いやらしい縛り方してやるぞ!」と言って母の顔に本を押しつけてやりました。「い・・・いやー・・惨めすぎる・・・お願い・・そんなに虐めないでーーーー・・・こんないやらしい写真なんかみたいに・・縛られるのなんてイヤ!」と母は本を顔に押しつけられたまま涙声で言いました。
「母さん。いいよ。そそるよ。その泣き声」と言いながら、僕は母の顎を掴んでいた右手を離し、首から二の腕さらに太腿へとずらしながら、いやらしく触ってやりました。
「何度見ても最高にいいよ。この身体。縄がよく似合いそうな肉体だぜ」と言ってから僕は母から離れ、ベットの下に隠してあった縄を取り出しました。そしてその縄を1回ビシッとしごいてから「母さんの肛門をいただいた時、縛った縄だ。そら」と言って母の前へ放り投げました。
僕は正座して小刻みに震えている母の前でズボンとパンツを脱ぎベットの端に腰を下ろしました。勃起したペニスをむき出しにして母に誇示しながら、SM雑誌のページを捲って、どんな縛り方がいいか考えました。一通り全部の写真にじっくり目を通していきました。途中、母の方を本の間からチラッと覗いてみると、母は悪いことをして叱られている子供のように、にぎった両手を膝の上で揃え頭を下向けてジッとしていました。その格好を見たとき僕は、これは本当に現実なんだ。
母を本当にものにした事を実感して歓喜の震えが全身にかけめぐりぐるのが分かりました。
僕はとりあえずその本に載ってある最初のページから順をおって母を縛っていくことにしました。最初のページには両腕を後ろに組まされた女が、オッパイの上下にロープを回されて後ろ手に縛られ、両足は足首の所で縛られて、さらに股間にロープを回されていました。縛り方が決まった僕は、母にそのページを見せつけながら「縛り方が決まったよ。母さんが自分で決めないから俺が決めたよ。最初の縛りはこれだよ。どうこれ?この縛り方?うれしいかい?」と言ってやりました。
母は無言で首を左右に振りました。その時、プーンと母からでるいい香りが匂ってきました。母の身体をよく見るとジトッとして少し汗ばんでいました。母の身体に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎながら「母さん今から縛られること想像して、感じてるんじゃないの?母さんってマゾだから。身体からいやらしい匂いが出てプンプン匂ってくるよ。もうオ○○コなんかグチュグチュになってるんだろう?」
下を向いている母の顔を下からのぞき込むようにしていいました。母は顔を覆ってイヤイヤをしながら「ヤメテー・・・こんな格好で座らされていたら誰でも汗ばんで身体中濡れてくるわよ・・・」と抗議するような口調で言いました。
僕はニタニタしながら母の耳元でもう一度「マゾ」と小さく言ってからロープをてにして立ち上がり、母に両手を後ろに組むように命じました。渋々といった感じで言いなりになった母を見下ろしながら、僕は2回ビシッビシッとロープをしごいてから、母を縛りにかかりました。こういう風に本格的に縛るのは始めてなので本をたびたび見ながら、縛っていきました。母は眉間に皺をつくって”ハウ”とか”ウウン”とか言っていました。
上半身を縛り終えた母の身体を見てみると、オッパイがロープで挟み込まれてプクッと張ったようになっていました。そしてビンビンに張ったオッパイの乳首は勃起したようになっていました。僕はその両方の乳首を両手の人差し指と親指で摘んでやりました。母は「ハアーーーン・・・」と顔と身体をグッと反らせながら言いました。僕はもうたまらず、そのまま母を押し倒して犯ってしまおうかと思う衝動にかられましたが、まだ全部縛りきっていないので何とかその場は我慢しました。
乳首をひとしきりいじくり回して楽しんだ僕は、母に両足を伸ばさせ、両足首を別のロープで縛りにかかりました。母の両足を目一杯に開かせて縛りたい思いもありましたが、とりあえずページの順をおって縛る事を決めたので、母の両足はとじ合わせたままで縛りつけました。そして最後に母を横向きに寝ころばせ、難しかったんですが見よう見まねで母の股間にロープをかけました。縛るときに思い切り引っ張ってやったら「ヒーー・・い・・痛いーーー・・そんなにきつくしないでーーーーー」と母は身体を身悶えさせながら言いました。
僕は母の哀願など無視して思い切り母の股間を締め上げてやりました。ついに縛りを完成した僕は、立ち上がってベットの端に座り、手を組んでその出来映えを鑑賞しました。
「き・・きついの・・・お・・お願い、お願いだから少しゆるめて・・・・アアアアア・・・」と横になって悶えながら呻く、縛られた母を眺めながら、僕は母を、それこそ大げさではなく、この世の物とは思えないくらい綺麗で、淫靡で、芸術品だと思いました。もう僕は我慢の限界でした。そのまま横になったいる母に抱きつき無茶苦茶に身体中をいじり回しながら自分の身体を母に擦り付けていきました。ほんの数秒で僕は母の太腿に射精してし
まいました。
その時でした。誰かが階段を昇ってくる足音が聞こえたんです。
僕も母も全身に緊張が走り、息が止まったようになりました。
僕と母の二人しかこの家にいるはずがなく、しかも母とセックスする時は絶対に玄関も裏口も鍵をかけてからするようにしていたので外部の人間が家に入ってくることはできませんでした。外部の人間でないならと思った僕は、一瞬にしてその足音が父か弟の
ものだと直感しました。僕はやばいと思って母の方を見ました。母も僕と同じように考えていたんだと思います。目が完全に怯えて顔が真っ青でした。今、この部屋に入ってこられたら、それこそもう隠れることも、言い訳することもできない状況であることは僕も母も十分わかっていました。
二人ともどうすることも出来ずにジッとしたまま、足音に耳をかたむけました。足音は僕の部屋の前で止まりました。そしてコンコンとドアをノックしてきました。その後「兄ちゃん。居るの?」と言う弟の声がしました。僕は直ぐに「ああ」と言って返事をしました。口の中がカラカラになっていたのでしゃがれた声になってしまいました。
でも僕は一瞬ホッとしました。足音が父でなくて弟だったからです。
それは、弟は僕の部屋のドアを勝手に開けたりする事は絶対にしないのが分かっていたからです。前に僕の部屋に勝手に入って僕の部屋を物色していた弟をボコボコにしてやったからです。
それ以来、弟は僕の部屋に入るときは僕が入っていいと言うまで勝手にドアを開けたりすることは絶対にしませんでした。弟はおとなしく内向的で、殴られても僕に向かって反抗してくるような性格ではありません。
僕はそっと立ち上がりドアの方へ行きました。
「母さん、どこ行ったの?」と弟が聞いてきたので、僕はとっさに「ちょっと出て来るって言ってたから、今いないぞ!」と返事しました。そして続けて「お前どうしたんだ今頃。学校は?」と聞きました。そしたら弟は「ちょっと腹が痛くなったんで帰って来たんだよ。」と答えてきたので僕は「母さんが帰ってきたら、言っといてやるからお前は薬飲んで部屋で寝てろ!」と、もし弟がドアを開けたらいけないので、わざときつい口調でうっとうし
そうに言ってやりました。弟は「うん」と返事をしてから僕の部屋の前から離れていきました。弟の口調から判断してこの部屋に母がいる事を感づいている様子はなかったので、僕はホッとしてその場に座り込みました。そして母の方を見ると、母も安堵の表情をしていました。母が小さな声で「もうダメかと思ったわ。母さん。恐ろしい事よ。見つかったりしたら。ねえ。早く解いて」と言ってきたので、僕もとにかく母のロープを解きにかかりました。解いている最中、母の服がないことに気づきました。そう言えば洗濯機の所で脱がして連れてきたので、パンティーもブラジャーも全部そのままでした。僕は弟が薬を飲んでから自分の部屋に入るのを確認してから、急いで下へ行き、洗濯機の所にあ
る脱ぎっぱなしの母の服一式を黒色のナイロン袋に入れて部屋に持ち帰りました。そして途中だった母の手のロープを解きました。
その時僕の頭にまた邪悪なひらめきが浮かびました。オッパイと手首のロープは別々に縛っていたので手を解いてもオッパイにかかっているロープと股間に回しているロープはそのままだったので、僕は手首を解いてからオッパイのロープと股間のロープを解くのをとばして足首のロープを解きました。そして母を立たせてから、服を着るようにいいました。母は僕の顔を見ながら「ど・・・・どうして・・こ・・これ・・まだ・・全部解いてないわ・・・は・・早く解いて・・」と言って後ろを向いて僕に解くことを催促してきました。
僕は「母さん、そのままの格好でいるんだ。その腹に飛び散った俺の精液もそのままにしておくんだ。そのまま服を着て早く下に降りて、今帰ってきたように芝居しろ。」とニヤッとしながら冷たく言い放ちました。
母は振り返って目を丸くさせながら「な・・・なにをいうのあなた、こんな時に。冗談はやめて早く解いてよ。」と母は顔を真っ赤にして怒って言いました。
母の股間にかかっているロープを掴み、上に引っ張り上げながら「早く服着ないと、そのままの格好で部屋の外に放り出すぞ」と言ってやりました。
「アッ・・・い・・痛い・・・痛い・・・」と言って母はつま先立ちになりながら言いました。そして掴んでいたロープを離してやると「あ・・あなたって子は・・・ひどい・・ひどいわ・・こんなこと・・・」と言ってまた泣き出しました。
「そんな泣き声出してたら、信次に聞こえるぞ。それでもいいのか。観念して早くそのまま服着ろ」と僕が言うと、僕の方を恨めしそうに見ながら、あきらめたように服を着だしました。僕はパンティーを履こうとする母からパンティーを奪い取って、当然といったふうにノーブラ、ノーパンでいることを目で合図しました。そして服を着終わって、髪を直して部屋を出ていこうとする母に「夜、風呂に入る前に俺の部屋に来いよ。その時解いてやるよ。明日までそのままにしてやりたいんだけど、もし今日父さんとエッチする事になったりしたら、やばいからな。それと、まず無理だろうけど、絶対に自分で解くなよ。命令だぞ、母さん。」と命令しました。母は唇を噛んで泣くのを我慢しているようでした。
背中を向けて出ていこうとする母の肩を掴んでドアの前でクルッとこちらに向かせ、両手で母の両頬をもって強引にキスをしてやりました。弟が隣の部屋にいることを意識してするキスは、また違った快感を僕にあたえてくれました。
でも、本当にその日はやばかったと思いました。これからは門の所に感知器でも着けて、新たな対策を考えなければいけないと思いました。あぶない、あぶない。
※ 私はサディスト傾向もないし、縛る趣味もないのでこの辺りになるとだいぶ引いていました。体験告白は長くするとだいたい書き手のマニアックな性癖が露出してくるので、なるべく良いところで終わらせるべきだなぁと思うようになったきっかけでもあります。
母の尻。 投稿者:S.S.S 投稿日:09月21日(日)00時00分07秒
僕は母の尻が大好きでたまりません。
肉づきの良い、しかしくびれた腰から尻のラインが大好きです。
10年前になりますが、母の着替えを盗撮し、大好きなベージュや、
ブルーのパンティーを履いたり脱いだりする所ばかり編集したビデオで、
毎晩コイたものです。
ある日、たまらなくなり親父が出張した晩に、寝ている母のパジャマの下を降ろし、
パンティーの上に射精しました。
母はビックリしていましたが、やさしく怒っただけで、
親父には内緒にしてくれました。
あの時、泣きながら頼めばさせてくれたかもしれませんが、
怖くて頼めませんでした。
非常に後悔していましたが、僕も結婚し、忘れようと努力しました。
しかし、インターネットを始めて、このような掲示板に出会い、
気持ちがまた再燃してきました。
母にこの気持ちを告白しようと思うのですが、
なかなか言い出せません。
どのように切り出したら良いでしょうか?
知恵をお貸し下さい。
よろしくお願いします。
母と姉 投稿者:有希 投稿日:09月27日(土)14時01分34秒
はじめまして、有希といいます。男の15歳です。
みなさんの書き込みを見てて僕も書いてみようと思いました。
事の起こりは僕が小学校のころなんです。
僕の家は父子家庭だったんですが父が再婚すると言う事で
母(父の再婚相手)の家に引越しに行くと言う事になって
それで父と母(現在32歳)そして姉(僕と同い年)と僕の4人の家族生活が始まったんです。
そしてそんな生活になれた矢先父の転勤が決まったんです。
しかも転勤先はアメリカという事で、父が僕は日本の学校へ行かしたいという事を言ったので
父は単身赴任で行く事になりました。
それからなんです。
母や姉には性的興味を持ってなかったんです。母さんのオナニーを見るまでは。
その日学校からいつものように帰ってきた僕は母さんの姿が見えない事を不思議に思い
探していたら母の部屋から声が聞こえたんでいってみたらオナニーしていたんです。
それから僕の中で母さんは母親から女性になったんです。もちろんそれからのオナペットは母でした。
そしてだんだんエスカレートして僕は母さんの下着を拝借したりしてたんです。
それがばれないわけもなく、下着を使ってオナニーしてる最中に部屋に入ってきたんです、姉を伴って。
そのとき母がすごい剣幕で姉は薄ら笑いをうかべていました。
昔の事なのでよくは覚えてないのでちょっと脚色入ってると思いますがこんな会話だったと思います
「何やってるの!」
「えっ!・・・・」
「だから何してるか聞いてるの!」
「・・・・・・」
「はぁ、あなたに対して私は母親として接してきた。けどあなたが私を女としてみるなら
私もあなたを一人の男としてみます。」
「え?」
「オナニーしたいんでしょ」
「・・・・・」
「はっきりしなさい!」
「・・・は、はい」
「じゃ、やりなさい!」
「え?」
「見ててあげるからやりなさいよ!」
そして僕は母と姉の前でオナニーしてしまいました。
それ以来、僕は母と姉のペットをやっています。
これは後で聞いた話なんですが、父がMで母さんは女王様やってたらしいんです。
そして単身赴任で行くときに父が言ったそうなんです
「私の変わりに有希を使ってやってください」と
そして姉は姉で母の性癖も次いだらしくSっ気十分ですし
とにかくこれが僕の近親相姦体験のきっかけです。
駄文の上、長文で申し訳ないです。
母と姉2 投稿者:有希 投稿日:09月28日(日)14時38分25秒
続きをって事なので、その後の事も書いてみます。
書くまえに、僕たちの事をもう一度整理して書いておきますね。この方が読んでくれるにも
イメージが湧くと思いますし
僕・・・有希(15歳・痩せがた)
姉・・・あすか(15歳・ショートカットでボーイッシュでスリムでスポーツ少女って感じ
中1から3年間なぜか同じクラスに、これによって学校でもいじめられる事に・・・)
母・・・洋子(32歳・髪はロングでグラマーな感じ・実年齢より若く見られる25、6)
前に書いた、目の前でオナニーしたのは中1の夏の初めくらいだったんです。
それでこれからもいろいろされるのかなと思ってたら(気楽な方なんで)
何もされないんですよ。その頃はもう既にSMの本とかも少しくらい見たことがあったし
なんとなくSMされるのかと思ってたから凄く拍子抜けで・・・。
で、当然なにもないわけだし中学生なんだからオナニーしますよね。
それがやってもあの時(見られたとき)に興奮しないんです。昔はこれでも十分だったのに、とか思って
だんだんフラストレーションがたまるというかすっきりしない日が続いたんです。
そして1学期が終わり夏休みに入ったんです。その夜、なんとなくベッドに寝転んでボーッとしてた僕の部屋に
突然母と姉が入って来たんです。そして姉が
「有希、あんたすっきりしないようね。この前みたいにされたいんじゃないの?」
「・・・・・」
「有希、あなたが選ぶのよ。私たちは強制はしない。私たちのペットとして奴隷としていじめられる事を望のか?
それともこれまで通りの生活を送るのか?もしいやなら2度とあんなことはしないわ。さ、きめなさい」
「い、いじめてください」
「有希、いいのね。もう戻れないわよ」
「・・・はい」
今考えても、なぜこう言ったのかわからないんですけど、この時から僕の奴隷生活は始まりました。
そして夏休みの間、僕は1日中いじめられ続ける日々を送りました。洗濯挟みやろうそくとか
浣腸とかもされたし、お尻の穴も広げられました。
家事なんかも僕の調教に使われ裸で洗濯干したり、アナルバイブ入れて雑巾がけとか
書ききれないくらいいろんなことをやられました。
どちらかというと姉さんは痛み系で母さんは羞恥系が好きみたいです。
そして夏が終わった頃には完全に2人の奴隷になった僕がいました。
そしてそれからも学校で、家でと調教は続けられました。
※ 個人的な好みの話だけれど、母と姉ないし母と妹などはあまり組み合わせて欲しくないなぁと思うんです。ラーメンとカレーは好きでもカレーラーメンはあまり食べないでしょうと。
妻の裏切り 投稿者:キタキツネ 投稿日:09月29日(月)18時39分44秒
その日、私は予定していた接待がキャンセルとなり、久々に5時で
仕事を終えた。
家に帰ると妻の姿が見えなかったが、夕食の支度もしてあるし、
ちょっと買い物にでも行っているのだろうと思った。
私は着替えようと思い寝室へ行った。何気なくドアを開けると、
妻がバックから犯されていた。
何がなんだか分からなかった。
私は二人の真横から少し後ろ側にいるためか視野に入らないようだ。
全く私に気がつかない。
私は、その場に凍りついて見ているだけだった。
男のチンポが何度も何度も妻に突き立てられていた。
男の腰の動きに合わせてチンポがシルエットになって浮かび上がる。
大きかった。
妻は突かれるたび「あっ、あっ」と声を上げていた。
間違いなく子宮を突かれている。
男のタマが「ピタッ、ピタッ」と尻を叩いている。
張りを失いかけている乳房も「ブルン、ブルン」と揺れていた。
男の動きがだんだん早くなってきた。
愛液に濡れたチンポがオマンコに押し込まれている。
妻のあえぎ声が止んだ。「いった」と思った。
妻はいくときには声を上げないのだ。
男も妻のオマンコからチンポを引き抜いた。チンポは透明の愛液に
濡れ光り、男の腹に沿うようにそそり立っていた。
そして射精した。
「ビュー」と2秒近くも小便のように弧を描き、妻の頭を越える勢いだ。
ねっとりと妻の髪に白い精液がかかる。
「ビュッ」と短く飛ばした後、だらだらと妻の尻に精液を滴らせた。
そのたび男のチンポが脈打っていた。
男は余韻を楽しむようにチンポを尻の割れ目にこすりつけていた。
妻は、いったときのまま顔をシーツに押しつけ動かない。
もう終わりだと思った。妻が自分以外の男とセックスしているなんて。
ようやく、男が気配に気づいたのか、ハッとしてこちらを向いた。
男は「息子」だった。
息子は口をぽかんと開けたまま動かない。
勢いを失ったチンポから精液の残りがぽたぽたと落ちていた。
ようやく妻も事態に気づいたのかこちらに顔を向けた。
半開きの口の端から、一本よだれが糸を引いてる。
妻と目が合った。何も言葉が出てこない。
どのぐらい見つめ合っていたのだろうか。
妻の表情は悲しみに満ちた、あきらめへと変わっていた。
「もう遅いのよ」と私の心にそう響いてきた。
私は静かにドアを閉めた。
※ この時代では珍しい父親視点のもの。当時はNTRなどが確立されてなかったので、この作品を深く理解しきれなかったのですが、今読むと上手いと思います。
母との初体験 投稿者:イチロー 投稿日:09月09日(火)17時26分23秒
土曜日の午後、学校から帰るとめずらしく父が家にいました。
姉もいつもより早く帰ってきました。食事のときもみんな黙ってして、今日が特別な日になるという予感が家族全員に感じていたようでした。
実はこの前のメールを出してから、父に僕が母とできるまで、姉とはやらないでほしいと頼みにいきました。多分、僕たちが学校へ行っている間に、父が母を説得したのだと思います。
(あとで聞いたのですが、父は姉との初体験をゴムなしでやるために、どうしてもこの日にやりたかったそうです)
食事が終わったあとも、普段ならすぐに2階へ行く姉も、リビングをうろうろしていて、だれも動こうとしません。とうとう父が母に何か言ったのか、母が僕に「部屋いこうか。」と言いました。僕は心臓がどきどきしながら母の後についていきました。ちらっと姉の
顔を見ると、緊張した顔をしていました。
部屋に入ると、母はいつものように着ているものを、脱ぎはじめたので、僕もあわててパンツ1枚になりました。それからいつものように、キスをして、母のあそこをなめてあげました。いつもはすぐに僕のものをフェラしにくるのですが、僕も今日は最後までという
目標があったので、母を押さえつけるようになめまわしました。
母の声がどんどん大きくなってきました。僕は母の耳元で、
「入れてもいい。」と聞くと、母は目をつぶったまま大きくうなずきました。僕は夢中で母の足の間に入ると、母が僕のものをつかんでくれました。僕が前へ進もうとすると、先のほうにあたたかい感触がしました。そのまま思い切って進むと暖かくて柔らかいものが僕のものにからみついてきました。母の顔を見ると母も僕の顔をみていました。僕はなんともいえない感動した気持ちでした。そのままの姿勢が続いたあと、母が「動いて」と言ったので、僕はゆっきり動きはじめました。今まで経験したことのない、気持よさに夢中で腰を振りました。母の声も甘えたような声になり、僕の名前を呼んでいたような気がします。最後の瞬間には、母の体にしがみついていました。
終わったあとで、母の中で出してしまったことに気づき母に「大丈夫」ときくと母は「避妊手術しているから大丈夫」と言いました。
母に「最初からこうなるつもりだったの」と聞くと「最初はそんなつもりはなかったけど、だんだんあなたの初めての相手はお母さんがという気になってしまって。ただ、私から言い出せなくて、お父さんが○子を抱きたいと言ってきたときは、ちょっとくやしかったんで、すぐにはOKしなかったのよ」と笑っていいました。
しばらくそのままじっとしてましたが、母がシャワーを浴びに行きました。僕は急に2階の父と姉のことを思い出しました。僕が母と最後までいったのは、父も知っているはずです。今頃父と姉がSEXをしていると思うと、覗いてみたいという気持ちが押さえられ
ませんでした。僕は母にわからないようにそっと2階へあがっていきました。
長くなったので、姉の初体験については、また報告します。
父と姉の初体験 投稿者:イチロー 投稿日:09月12日(金)19時00分00秒
この前は、僕と母の初体験を報告しましたが、姉と父の初体験について報告します。
母がシャワーにいっている間に、僕はそっと2階の自分の部屋からベランダへ出ました。今までも、お互いの様子は覗かないというルールがあったので、僕も直接父の姉の行為を覗くのは初めてです。
カーテンのすきまから、ベットの上で姉と父が重なりあっているのが見えました。まだ父は挿入していないようで、姉のバストを舌で吸っていました。姉は僕がみたことがないような表情で、泣いているような、感じているようです。僕はたちまち勃起してしましました。
やがて父が姉の耳元でなにかささやいたようです。「いよいよだ」と思うと僕は自分のものを握りしめて、しごきはじめていました。父の腰が姉の足の間にはいり、姉が「痛い」と叫びました(のように見えました)。父は「大丈夫」と言いながら、腰をすすめていったようですが、姉はますます痛がっているようでした。姉は涙を流していますが、父は何か言いながらといいさらに腰を動かし始めました。姉は泣き顔で父にしがみついています。父の動きがさらに大きくなり、姉がなにかと叫びはじめました。僕はその瞬間に手の中でいってしまいました。姉が父によって女になったと思うと、くやしくてたまりませんでした。そうすると父が「いくぞ」と叫び、(想像)姉が激しく首を振り、やがて父が動きをとめ姉の体に重なりました。姉の中へ父の精液が入っていきました。
僕はきづかれないように。そっと自分の部屋から1階へおりました。リビングに母がいました。
「2階終わったの」と寂しそうに僕に尋ねました。僕は答えることができませんでした。父と姉が2階からおりてきました。僕は自分の部屋に行く振りをして、姉の部屋をのぞきました。さっきまで父と姉が抱き合っていたベットのシーツには赤い血がついていました。
翌日、いつものとうり家族そろって朝御飯を食べていると、夕べのことが夢であったような気がしました。あれから、僕は母とはSEXをしていません。父と姉はわかりません。でもこの週末にはまた僕と母,父と姉のいけない関係が続くような気がします。
姉のオナニー 投稿者:イチロー 投稿日:09月30日(火)17時43分37秒
報告が遅れてすいませんでした。僕のログまで作ってもらってびっくりしました。
あれから僕は母と何度もセックスをしました。はじめての時よりは少しは落ち着いてできるようになりました。この前の連休には、僕はとうとう朝まで母と一緒にいて、一晩に3回もセックスをしてしまいました。もちろんその日は父も姉の部屋で朝までセックスをしていたと思います。SHOTさんがおっしゃるように、僕がセックスをおぼえていくのと同じように、姉も父によってセックスに目覚めていったのです。そのことを僕がはっきり知るときがきました。
先週のことです。僕が学校から家に帰ると、玄関に姉の靴がありました。普段バトミントン部の活動で姉は6時過ぎまで帰ってこないので、めずらしいなと思いました。
ダイニングに母のメモがあって、友達の入院お見舞いに行くので帰りが7時ぐらいになるというのです。僕は、急にに心臓がドキドキしてきました。
姉と父のセックスを覗き見てから、姉と家で二人きりになるのは初めてだったからです。
僕はそっと2階へ上がり、ベランダへ出て姉の部屋の窓の前に行きました。姉の部屋は薄手のカーテンがしまっていました。ベットの上に姉が横たわっていました。
僕は昼寝をしているのかと思いましたが、そうではありませんでした。姉は上半身は制服姿でしたが、腰から下はスカートを脱いでパンティ1枚でした。そして姉の右手がそのパンティの中に、左手が制服の胸にさしこまれていました。姉はオナニーをしていたのです。
僕は顔中が熱くなりました。女の人のオナニーをみるのはもちろん初めてのことです。その時の僕は覗いてはいけないという気持ちはなく、姉のオナニーを見てみたいという気持ちでいっぱいでした。僕は自分のものをズボンから取り出して、しごきはじめていました。
僕は何とか姉の声を聞きたいと思いました。思い切って窓を少し開けてみました。
姉は押し殺したような声を上げていました。姉の右手はパンティの中で動きを早めています。左手は胸をつかんでいます。右手の指の動きがだんだん早くなっていったような気がしてきました。僕は我慢の限界にきていました。
その時姉が「お父さん」とつぶやきました。僕はハッとして全神経を耳に集めました。
姉は再び「お父さん、いい」とはっきりと声をあげました。姉は父とのセックスを思い出してオナニーをしているのです。僕は急に腹が立ってきました。姉が父の体の下で、悶えている姿が頭に浮かびました。
姉はやがて動きをやめてぐったりとしてしまいまいした。僕はまだ発射していませんでしたが、姉に見つからないように自分の部屋に戻りました。
僕は姉が父を呼ぶ声が耳から離れません。姉を父から取り返してやりたいという思いが強くなっています。僕はどうしたらいいのでしょうか。このままでは姉を襲うのではないかと自分が怖くなっています。
※ いくつかの記事は母子相姦から離れていますが、続き物なので日付飛ばしで掲載しました。
という訳で9月分はここまで。
寝取られ・複数などジャンルが徐々に分かれてきましたね。
それではまた明日更新しますので、お楽しみに。
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