短編「ずっと母に惹かれていた」
- 2022/05/04
- 12:35
これは新作ですが、何年も前に完成していました。ただ「なんか微妙だなぁ」と感じて寝かせておいたのですが、連日新作を出しているのでドサクサに紛れて出してしまおうと思います。
宜しければどうぞ。
思春期の頃から僕は実の母を意識してきました。同級生たちのように同じクラスの女子や女性の先生といった対象に興味が移る事もないまま……。
当時僕の母は40歳を過ぎたばかりでした。肉親のひいき目かもしれませんが、綺麗というよりはぽっちゃりとした可愛いタイプで、優しさに満ちた雰囲気がとても魅力的でした。おっとりとしていた当時の僕には同世代の女子はどうも苦手で、余計に余裕のある母に魅力を感じていたかもしれません。もっともそれは異性として魅力を感じている、というよりは母として強く慕っていたという方が正確でした。性的な対象として母親を思うような事はさすがにありませんでしたし、普段からそうした気配も全く無かったからです。日常生活の中で母が女性らしい表情や態度を示すような事も一切なかったですから。
それが少しずつ変わっていったのは僕が高校生になってからでした。さすがに母ばかりを慕う事も無くなり、当時高校の学食で勤めていた女性に恋をするようになりました。当時彼女は20代の後半くらいだったと思います。長い髪を後ろでまとめただけで華美な事ももちろん無かったのですが、僕と同じように彼女に憧れを抱いていた男子は少なくなかったでしょう。とはいえ声を掛けたり特別な話をする事もないまま、彼女とそれ以上の関係になる事はありませんでした。
その内に受験も近づき、いつまでもボヤボヤしていられない慌ただしさの中で自然とストレスを抱いていたのでしょう。ずっと今まで慕うばかりでそういう対象として見てこなかったはずの母を女性として意識するようになっていったのです。丸みを帯びた体形や膨らんだ胸、真っ白な素肌が食い込んだ服を見ては女性としての母を再認識する毎日でした。日々の生活の中で台所に立っていたり洗濯物を干したりしている母を見るだけで自然と勃起するようになっていたのです。しかし、そんな自分自身に異常性を感じて悩むようにもなりました。ただ慕うだけならまだしも、母親にそんな感情を抱いているなんて周囲にはもちろん、母にも決して知られてはいけない事も自覚していました。
夏が来て少しずつ受験が近づいてきても、あの当時は家で遅くまで勉強するのが一般的でした。都市部と違い、大手の進学塾は田舎にはなかなか無かったのです。夜遅くに母親が作る夜食、というと何だか昭和の話のようですが、当時はまださほど古びた光景ではありませんでした。自然、夜中のほんの短い間だけですが、母と二人だけの時間が出来ました。毎日のように僕の部屋にやってくる母に対して前々から抱いていた屈折した感情がさらに強くなります。もし今なら母にお願いすれば許してもらえるのではないか……そんな妄想をするだけで鼓動が高まってきて母を渇望するようになっていったのです。
ある晩、父が眠ってから部屋に母がやってきました。時間は午後11時を回った頃だったと思います。お盆を手にやってきた母はその時白い花柄の寝間着を着ていました。
夏だったので薄らと汗をかいているのか下着が透けており、胸元が膨らんでいるだけで僕は強く母に女性を感じさせられました。ははも風呂上りらしく、化粧気もなくてリンスと石鹸の良い匂いを漂わせている母。我慢できなくなった僕は躊躇しながらも、お盆を置いて出て行こうとする母の手を握りました。一瞬戸惑ったように僕を見返しましたが、僕の目を見てただならない気持ちを感じ取ったようです。まるでいつかこういう日が来る事を予想してたかのように、母は僕の思いを黙ったまま聞いていました。
「母さんを一度でいいから抱きたい」
ずっと僕は母の手を握り続けていました。
(18にもなって馬鹿みたいな事を言っているんじゃないわ)
手を離した途端にそんな冷たい言葉を浴びせられることも覚悟していました。それくらいに自分なりに自分の事をどう見られるか悲観的に想像していました。母親にこんな事を言い出す自分を惨めにさえ思っていました。話をしている時も終えてからもとても母の顔を見られませんでした。しばしの沈黙した後、母は僕の決意を確認するかのようにじっと見つめています。
「……どうしてもなの?」
かなりの時間の後で母がそう言いました。戸惑っているのがありありと分かります。しかし、今さら誤魔化すことも無かった事にも出来ないのでもう一度頷きました。
「分かったわ……でも絶対にこんな事は続けられないんだからね。約束出来る?」
そう言ってもう一度僕の目を見て言いました。正直に言って内心では母が受け入れてくれた事が大変意外でした。それでも断られるのが現実だと思っていたからです。
「いいの?本当に?」
信じられない思いでもう一度聞いてみると、もう母は何も言わずに頷きました。その瞬間ですが、本当に不思議なのですが僕と母の間の何か目に見えない壁が無くなったように思いました。言葉には出来ないのですが、感激している僕の心と戸惑いながらも受け入れる事を決めた母の心が本当の意味で一つになったようなそんな気持ちでした。誰よりも自分を分かってくれて、いつでも味方だった母が本当の意味で僕を肯定してくれたお陰だったかもしれません。
それまで僕が母を女性として意識しているのは身近で何でも許してくれる存在だからだと思っていました。しかしそれは間違っていたのを知りました。自分を産んでくれた女性が、この世で最も身近で愛する存在の人が、究極の行為を許してくれた事。母親とセックスをさせてもらうという行為は想像と違い、遥かに尊いものでした。たとえ人から見れば女の子に縁のない18歳にもなる男が41歳の母親相手に性をねだるおぞましい光景であったとしても。
そしてそのまま僕の部屋でついに母と結ばれる事になったのです。母は僕が童貞であるため母親が初めての相手になってしまう事に躊躇いがあったようです。しかし、その時の僕にとってむしろ望むことでした。まるで夢を見ているようでした。何十年経った今でもその時の感情は忘れられません。肉体としては欲情しきっていたのは確かですが、母に導かれるままに僕を産み落とした場所で戻っていくのは特別な体験でした。最後には原始の僕が芽生えた母の最深部たる聖域の子宮に精液を流し込むことが出来た瞬間僕は信じられない思いで涙さえ流していたくらいでした。精子までも受け入れてくれた母。決して母自身が望んだ関係や行為では無かった事は重々分かっています。けれど自分にとっては全てを受け入れてくれた事に深い感謝を抱きました。
親子でするセックスとは究極の肯定でした。母との行為には何の不安も心配もなく、全てをさらけ出して心身を委ねられました。人は誰もがいつか親離れをし、自立しなければいけません。けれどその直前のほんのひと時、愛する母と求めるままに結ばれたい。親とするセックスの安心感と感動。そしてやってくる別れへの覚悟。全てが母とのセックスには含まれていました。母は僕がそんな感慨を得る事を分かっていた訳ではないと思います。それが親として母がセックスを通じて教えてくれた事でした。
もっとも母との近親関係は一度だけで終わった訳ではありませんでした。それから毎晩夜が来るたびに母と交わり、ただ吐き出していた精液を母の中へ大量に流し込み続けたのです。僕と母の寝間着やベッドはいつも精液と愛液が染み込むようになりました。親子で結ぶ深い関係の特別な快楽と興奮によって僕の狭い部屋の中で嵐でも吹き荒れているようでした。父に気付かれる事さえなければ、時間を見つけては深夜でなくとも互いに求めあい続けました。
その当時、母との間は単なる肉体関係からさらに深くなって、最も深い繋がりを持つようになっていたのです。当時、母とはセックスをするという点で普通の親子ではあり得ない関係になっていましたしかし、何度も熱く身体を重ねる内に父と母、僕達家族の関係も、二人の精神的な部分まで変わっていたのです。母と僕の間で関係を持ってから半年近くが経過しました。親子であり男女としての仲になるだけに留まらず、二人の関係は決して恋人やそれ以上の関係にはなりようがありませんでした。父も含めた家族を壊さないようにだけ意識はしていましたが、先の無い関係が行き着く先は見えないままでした。
ただ親子で一度超えてしまった境界線はそう簡単に無かった事には出来ません。母は父と別れる事はなく、また僕を男として選ぶような事もなかったでしょう。今よりもずっと離婚率の低かった頃の事ですし、口にした事はありませんが、二人とも同じ考えでした。肉親の薄く薄くなっていた壁の最後の一線を越えたのは避妊具を使用しなくなった事でした。初めての時を除いてずっと薄い皮膜越しに為されてきた二人の関係はようやく本当に繋がったのです。僕の精液が母の子宮内部に注入される危険性は僕はもちろん母も認識していました。それでも二人ともお互いに止められず歯止めが利かなくなっていて、この上なく繋がる実感が得られるセックスを望むようになったのです。正確にはその先に待ち受けている事さえも望んでいたのでしょう。親子で子供を作りたい。それだけ切羽詰まった考えに至ったのも当時の自分たちの若さであり、考えた末の事でした。母親と息子ではこれ以上の関係には発展継続など出来ません。
せめて二人のこの想いの結晶として子を残したいというエゴが出ていました。たとえなんと言われようとも、その時確かに二人の望みは一つになっていたのです。夕暮れ時、学校から帰ったら毎日僕の部屋で母と抱きました。初めての時とは異なり、母は女の顔をしていて快楽に耐えるような声をあげていて、比べ物にならないくらい遠慮のない悦楽の声をあげて、激しく抱き合いました。情けない僕を許し、全て受け入れてくれた母。
41歳の母が親としての顔と女としての顔を両立できる最後の時期でした。僕の性欲は母の性欲に溶け込んでいって一体化していました。母の中で射精する行為は母親と真に繋がり、母の全てを得られる行為でした。母がどう思っていたのかは正確には分かりません。母としては僕の激情に絆されていたのかもしれませんが、決してそれだけでは妊娠を決めるような事はないと母の性格からしても思います。母もまた僕の子供が欲しいと望んでいると。いつも母の胎内に射精する度に僕らは覚悟を確かめ合うように絶頂のタイミングを合わせました。心身とも一つになるような快感と一体感をも得られるセックスにのめり込み、ほぼ一緒に絶頂出来た時などは心が震えるほどの感動を受けました。それくらいに母親とする行為は肉体だけに留まらず、ずっと隔たれていた親子の最後の一線が無くなっていくようにさえ思えてくるのです。
あの時代で既に法律上は撤廃されていましたが、まだ尊属殺人という言葉がありました。
子供が親を殺すのは道義上強く非難されるだけでなく、実際に罪が重く処断されたのです。
尊属とは自分から遡った世代の血族を指します。母親に自分の子供を産ませた場合、その子は一体どちらになるんだろう?そんな会話を母とベッドで交わしたのを覚えています。母が孕み、僕とかなり年の離れた弟を出産したのはその翌年の事でした。父は自分の子じゃないのではないかと疑う事もなく、恥ずかし気に僕に遅い弟が出来たと言ってきたのを覚えています。その時隣にいた母は何か僕に言いたげな目をしていましたが、表面上は父に同調していました。まだDNA鑑定も無かった時代です。確かめる方法はありませんでしたが、僕と母は親子の間で出来た子供だと認識してました。実際に弟は父に、そして当然僕にもよく似ていました。だから本人もだれも疑う事は一生無いでしょう。
人に知られればきっと謗られるに違いない行為なのですが、弟の存在を通じて僕の母への感謝と愛は尊いものになりました。だいぶ後になって、何も知らない父やそして弟もいつまで経っても母親離れしない僕をマザコンだとからかいました。しかし、母と僕にとっては本当に全てを乗り越える事が出来た親子になれた気がしてたので、何となく顔を見合わせて苦笑いしたものです。
完
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- カテゴリ:母子相姦小説 短編
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