短編「弟」
- 2023/05/07
- 21:39
2023年5月の連休の新作5つ目。
これも壊れたPCからサルベージしたものを推敲したものです。
書いたの自体は2022年。
よく訃報について書くことが少なくないのですが、子供の頃からよく親しんできた人たちが次々に亡くなってしまい、死について考えることが増えた影響と思います。
暗い話ですが、宜しければどうぞ。
PS
2023年5月連休の新作はこれが最後。
この後、kayさんにお預かりしている新作及び「近親相姦研究所」の過去ログを掲載します。
よろしくお願いします。
日本の交通事故死者数は年々減っているらしい。
毎日のように交通事故のニュースを見かけるから、あまり実感は出来ないけれど。
高齢ドライバーによる暴走事故や煽り運転、飲酒運転などいつも起きている印象が強い。
ただ実際にはここ数年間も継続して過去最少記録を更新し続けているようだ。
もっとも今も日本では交通事故で毎年数千人が命を落としている。
統計開始史上最少を記録した2020年でも一日あたり7人以上も亡くなっている。
当然だけれど、その一人一人にも人生があって様々な事情がある訳で。
昔、3歳下の弟直哉を交通事故で亡くしたことがある。
まだ4歳だった。
幼稚園の遠足で県内の公園に出かけた時のこと。
僕が通っていた時も同じ目的地だったから覚えている。
県内では有数の桜の名所でもある少し大きな公園で、春になると毎年マスコミが大挙して特集する観光地だ。
その日の朝、園児たちを乗せたバスは公園前の大駐車場にバスを停車させた。
そして少しずつ下車させて道路を横切って公園の正門内に入る流れになっている。
だから先生らは園児たちを十人ずつに分けて誘導して連れていたらしい。
弟は一番最初のグループだったから先に園内に入っていたが、突然駐車場の方に戻ろうと一人で道路を横切って走り出した。
なぜかはもう永遠に分からない。
後になってバスから園児たちを下ろす役の先生に懐いていたからじゃないか、とも聞いた。
道路へと走り出した弟は当然左右なんか見ていなくて、そこに一台の軽自動車が通りがかった。
園児たちの集団を見ていたこともあってあまりスピードは出ていなかったらしい。
しかし、あまりに突然のタイミングで徐行でも止まりきれなかった。
キーッ!
甲高いブレーキ音が響いたが、ドンッ!という鈍い音はしなかったという。
だから現場にいた人は車がぶつかる寸前で止まったんじゃないかと最初は思ったようだ。
しかし実際は衝突音が小さかっただけ。
弟は3歳と小柄なので実際はバンパーに側頭部を当たっていた。
500kg以上の軽自動車にぶつかられた弟の小さな体は頭からアスファルトに叩きつけられて。
事故が発生した直後から弟は目も閉じていて応答も全くできなかった、という。
その日、小学一年生だった僕は何も知らないまま校庭で遊んでいた。
多分事故が起きてすぐに母に連絡がいき、自宅から学校に電話があったのだろう。
職員室から校庭に飛んできた先生が僕を呼び、母もこちらに向かっているから帰りなさいと慌ただしく言われた。
教室から自分の帽子とランドセルを持ってくるように言われて職員室で待ってたが、事情は何も説明されなかった。
だからその時は「もう帰れるみたいだよ」なんて校庭で一緒に遊んでいた友達に言った覚えがぼんやりと残ってる。
その日の記憶はそこから曖昧だ。
職員措置鵜のドアを開けて入ってきた母がどんな様子だったかはもう覚えていない。
僕を幼稚園まで連れて行くと、事務所みたいなところに預けられて母だけで再び出かけていったのを覚えている。
何が何だかさっぱり分からなかったけれど、先生たちも僕に何かを説明してくれることはなかった。
(せっかく早く帰れると思ったのに何でここに来たんだろう)
弟が死んだ、という事実を僕は一瞬よく理解出来なかった。
車に撥ねられた、という事は分かったけれど、死というものをよく理解出来なかったし、それが幼い弟が上手く結びつかなかった。
父も母も僕には慟哭している姿を見せまいとしていたんだと思う。
お通夜の時も葬式の時も、僕が退屈してないか何か食べるか飲むかばかり気にかけられていた記憶がある。
小さな棺に収まっている弟は顔に傷もなくてまるで眠っているようだった。
「おい、ナオ」
僕がそう呼んでも、当然返事はない。
元々弟はまだ幼かったし、内向的で一緒に遊んだり話したりした記憶はほとんどない。
母親の押すベビーカーですやすや寝ていた姿の方が今も残っている。
けれど呼びかければそんな幼くても目や表情でちゃんと反応があった。
もう少し時間が経てばもっと一緒に遊んだりして過ごせたはずなのに。
棺の弟は何だか物語に出てくるミイラの真似をしているみたいだと思った。
ちょうどそんな物語をその頃のテレビで見た事があった。
「ナオ、ナオ」
何回か呼べばもしかしたら起きるんじゃないかと思って何度も弟の名前、直哉を呼び掛けた。
あんまり穏やかで眠っているみたいだったから。
もちろん直哉が目を開ける事はない。
弟に呼び掛けている間、両親はずっと黙って後ろから見ていた。
(やっぱり起きないね)
そう思って振り返ると、初めて両親が泣いているのに気づいた。
それから我が家では弟の直哉の名前はほとんど話題に上がらなくなった。
両親は意図的に名前を出さないようにしている、という感じで何かの拍子にうっかり直哉の名が出るとハッとしたように気まずい雰囲気になってしまう。
直哉の話題をまるで腫れ物に触れるように両親がしているので、自然と僕も会話で弟の名前を出さないように気をつけるようになった。
それからなぜかたまに弟の夢を見るようになった。
それは直哉がまだ幼かった4歳の頃ではなく、もう少し大きくなっていてすごく活発だった。
家の中でかくれんぼや追いかけっこをしたり、一緒に風呂に入ったり。
そんな他愛もない夢なんだけど、僕は何だか妙な感覚だった。
僕が夢を見ているのか、それとも直哉が僕の夢に入り込んできているのか。
けれど、気持ち悪くはなかった。
夢の中だけじゃなくて、現実にも直哉がすぐそばにいるような気配を感じることもたまにあった。
夜布団に入っていると廊下や階段からミシッと軋むような音が鳴っても「直哉がいるからだな」と自然と受け入れるようになった。
なぜかは分からないけれど、直哉の存在が家の中でうろついているのを「感じて」いた。
弟が死んで数年が経った頃。
両親が直哉の遺骨を納骨しようと思っていると言い出した。
え?と不思議に思っていると、実は踏ん切りがつかなくて納骨せずに保管していたのだという。
僕にとっては初耳だった。
直哉もきっともう少し家に居たかっただろうから……そういう親心か未練だったらしい。
我が家の墓は自宅のすぐ近所の寺の境内にある。
その週末、家族で寺に足を運んだ。
父が取り出した骨壺は思ったよりもずっと小さく、思わず見つめてしまった。
葬儀の日以来、直哉はずっとこんな小さな箱に入っていたんだって。
墓の前に立つと、いつもより線香の香りが強く感じた気がする。
直哉はもうこの世にいない。
もちろん分かっていたことだけど、数年経ってその実感はより深まっていた。
隣にいた母は耐えきれないように涙を零していたが、父は震えたままかろうじて堪えていた。
今まで考えてなかったが、両親もまだ弟の死を上手く受け入れられずに苦しんでいた事に僕も初めて気づいた。
そして墓の中の幼い直哉は全く知らない先祖に囲まれてどうしているんだろう、と思った。
直哉を納骨してから不思議な変化がいくつかあった。
僕は弟の夢を見なくなり、あれだけ感じていた家の中からも気配も消えてしまったようだった。
(あの事故からも直哉はずっと自宅にいたんだな)
今さらながらにそれをはっきり実感した。
「本当は僕はさ、直哉がずっとそばにいた気がしてたんだよ」
「話は出来なかったけれど、夢の中で何度も一緒に遊んでたんだよ」
僕の話を聞いていた母は少し驚いたように瞬きをした。
目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
母が泣きそうな顔で笑みを浮かべた。
それは無理に作ったような笑顔ではなくて、本当に久しぶりの自然な母の微笑みだった。
「……ありがとう。それを聞いて少し救われた気がする。おかげで直哉は寂しくなかったんだね」
母が呟くように言った言葉に僕はそっと頷いて応えた。
今日は弟の命日だ。
僕と母は体と手を重ねて繋がったまま、直哉の冥福を祈ってゆっくりと目を閉じた。
今も弟はどこかで見守ってくれているだろうか。
母は僕の、僕は母の温もりを感じていた。
完
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これも壊れたPCからサルベージしたものを推敲したものです。
書いたの自体は2022年。
よく訃報について書くことが少なくないのですが、子供の頃からよく親しんできた人たちが次々に亡くなってしまい、死について考えることが増えた影響と思います。
暗い話ですが、宜しければどうぞ。
PS
2023年5月連休の新作はこれが最後。
この後、kayさんにお預かりしている新作及び「近親相姦研究所」の過去ログを掲載します。
よろしくお願いします。
日本の交通事故死者数は年々減っているらしい。
毎日のように交通事故のニュースを見かけるから、あまり実感は出来ないけれど。
高齢ドライバーによる暴走事故や煽り運転、飲酒運転などいつも起きている印象が強い。
ただ実際にはここ数年間も継続して過去最少記録を更新し続けているようだ。
もっとも今も日本では交通事故で毎年数千人が命を落としている。
統計開始史上最少を記録した2020年でも一日あたり7人以上も亡くなっている。
当然だけれど、その一人一人にも人生があって様々な事情がある訳で。
昔、3歳下の弟直哉を交通事故で亡くしたことがある。
まだ4歳だった。
幼稚園の遠足で県内の公園に出かけた時のこと。
僕が通っていた時も同じ目的地だったから覚えている。
県内では有数の桜の名所でもある少し大きな公園で、春になると毎年マスコミが大挙して特集する観光地だ。
その日の朝、園児たちを乗せたバスは公園前の大駐車場にバスを停車させた。
そして少しずつ下車させて道路を横切って公園の正門内に入る流れになっている。
だから先生らは園児たちを十人ずつに分けて誘導して連れていたらしい。
弟は一番最初のグループだったから先に園内に入っていたが、突然駐車場の方に戻ろうと一人で道路を横切って走り出した。
なぜかはもう永遠に分からない。
後になってバスから園児たちを下ろす役の先生に懐いていたからじゃないか、とも聞いた。
道路へと走り出した弟は当然左右なんか見ていなくて、そこに一台の軽自動車が通りがかった。
園児たちの集団を見ていたこともあってあまりスピードは出ていなかったらしい。
しかし、あまりに突然のタイミングで徐行でも止まりきれなかった。
キーッ!
甲高いブレーキ音が響いたが、ドンッ!という鈍い音はしなかったという。
だから現場にいた人は車がぶつかる寸前で止まったんじゃないかと最初は思ったようだ。
しかし実際は衝突音が小さかっただけ。
弟は3歳と小柄なので実際はバンパーに側頭部を当たっていた。
500kg以上の軽自動車にぶつかられた弟の小さな体は頭からアスファルトに叩きつけられて。
事故が発生した直後から弟は目も閉じていて応答も全くできなかった、という。
その日、小学一年生だった僕は何も知らないまま校庭で遊んでいた。
多分事故が起きてすぐに母に連絡がいき、自宅から学校に電話があったのだろう。
職員室から校庭に飛んできた先生が僕を呼び、母もこちらに向かっているから帰りなさいと慌ただしく言われた。
教室から自分の帽子とランドセルを持ってくるように言われて職員室で待ってたが、事情は何も説明されなかった。
だからその時は「もう帰れるみたいだよ」なんて校庭で一緒に遊んでいた友達に言った覚えがぼんやりと残ってる。
その日の記憶はそこから曖昧だ。
職員措置鵜のドアを開けて入ってきた母がどんな様子だったかはもう覚えていない。
僕を幼稚園まで連れて行くと、事務所みたいなところに預けられて母だけで再び出かけていったのを覚えている。
何が何だかさっぱり分からなかったけれど、先生たちも僕に何かを説明してくれることはなかった。
(せっかく早く帰れると思ったのに何でここに来たんだろう)
弟が死んだ、という事実を僕は一瞬よく理解出来なかった。
車に撥ねられた、という事は分かったけれど、死というものをよく理解出来なかったし、それが幼い弟が上手く結びつかなかった。
父も母も僕には慟哭している姿を見せまいとしていたんだと思う。
お通夜の時も葬式の時も、僕が退屈してないか何か食べるか飲むかばかり気にかけられていた記憶がある。
小さな棺に収まっている弟は顔に傷もなくてまるで眠っているようだった。
「おい、ナオ」
僕がそう呼んでも、当然返事はない。
元々弟はまだ幼かったし、内向的で一緒に遊んだり話したりした記憶はほとんどない。
母親の押すベビーカーですやすや寝ていた姿の方が今も残っている。
けれど呼びかければそんな幼くても目や表情でちゃんと反応があった。
もう少し時間が経てばもっと一緒に遊んだりして過ごせたはずなのに。
棺の弟は何だか物語に出てくるミイラの真似をしているみたいだと思った。
ちょうどそんな物語をその頃のテレビで見た事があった。
「ナオ、ナオ」
何回か呼べばもしかしたら起きるんじゃないかと思って何度も弟の名前、直哉を呼び掛けた。
あんまり穏やかで眠っているみたいだったから。
もちろん直哉が目を開ける事はない。
弟に呼び掛けている間、両親はずっと黙って後ろから見ていた。
(やっぱり起きないね)
そう思って振り返ると、初めて両親が泣いているのに気づいた。
それから我が家では弟の直哉の名前はほとんど話題に上がらなくなった。
両親は意図的に名前を出さないようにしている、という感じで何かの拍子にうっかり直哉の名が出るとハッとしたように気まずい雰囲気になってしまう。
直哉の話題をまるで腫れ物に触れるように両親がしているので、自然と僕も会話で弟の名前を出さないように気をつけるようになった。
それからなぜかたまに弟の夢を見るようになった。
それは直哉がまだ幼かった4歳の頃ではなく、もう少し大きくなっていてすごく活発だった。
家の中でかくれんぼや追いかけっこをしたり、一緒に風呂に入ったり。
そんな他愛もない夢なんだけど、僕は何だか妙な感覚だった。
僕が夢を見ているのか、それとも直哉が僕の夢に入り込んできているのか。
けれど、気持ち悪くはなかった。
夢の中だけじゃなくて、現実にも直哉がすぐそばにいるような気配を感じることもたまにあった。
夜布団に入っていると廊下や階段からミシッと軋むような音が鳴っても「直哉がいるからだな」と自然と受け入れるようになった。
なぜかは分からないけれど、直哉の存在が家の中でうろついているのを「感じて」いた。
弟が死んで数年が経った頃。
両親が直哉の遺骨を納骨しようと思っていると言い出した。
え?と不思議に思っていると、実は踏ん切りがつかなくて納骨せずに保管していたのだという。
僕にとっては初耳だった。
直哉もきっともう少し家に居たかっただろうから……そういう親心か未練だったらしい。
我が家の墓は自宅のすぐ近所の寺の境内にある。
その週末、家族で寺に足を運んだ。
父が取り出した骨壺は思ったよりもずっと小さく、思わず見つめてしまった。
葬儀の日以来、直哉はずっとこんな小さな箱に入っていたんだって。
墓の前に立つと、いつもより線香の香りが強く感じた気がする。
直哉はもうこの世にいない。
もちろん分かっていたことだけど、数年経ってその実感はより深まっていた。
隣にいた母は耐えきれないように涙を零していたが、父は震えたままかろうじて堪えていた。
今まで考えてなかったが、両親もまだ弟の死を上手く受け入れられずに苦しんでいた事に僕も初めて気づいた。
そして墓の中の幼い直哉は全く知らない先祖に囲まれてどうしているんだろう、と思った。
直哉を納骨してから不思議な変化がいくつかあった。
僕は弟の夢を見なくなり、あれだけ感じていた家の中からも気配も消えてしまったようだった。
(あの事故からも直哉はずっと自宅にいたんだな)
今さらながらにそれをはっきり実感した。
「本当は僕はさ、直哉がずっとそばにいた気がしてたんだよ」
「話は出来なかったけれど、夢の中で何度も一緒に遊んでたんだよ」
僕の話を聞いていた母は少し驚いたように瞬きをした。
目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
母が泣きそうな顔で笑みを浮かべた。
それは無理に作ったような笑顔ではなくて、本当に久しぶりの自然な母の微笑みだった。
「……ありがとう。それを聞いて少し救われた気がする。おかげで直哉は寂しくなかったんだね」
母が呟くように言った言葉に僕はそっと頷いて応えた。
今日は弟の命日だ。
僕と母は体と手を重ねて繋がったまま、直哉の冥福を祈ってゆっくりと目を閉じた。
今も弟はどこかで見守ってくれているだろうか。
母は僕の、僕は母の温もりを感じていた。
完

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- テーマ:18禁・官能小説
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